ジョニー・デップの友人「あれは恋愛というよりアンバー・ハードの侵略だった」
アンバー・ハードと一緒に過ごした数年のうちに、ジョニー・デップは精神的にも肉体的にもやつれていったーー。デップを20年近く知る友人が、自分の目で見たデップとハードの関係を「Page Six」に語った。
この友人は、デップのビジネスパートナーでアシスタントのスティーブン・デュータースの妻ジーナ・デュータース。彼女はデップのために証言をすべく、ヴァージニア州で行われている裁判に出廷したが、裁判の中継をオンラインで見ていたことをハードの友人イヴ・バーロウに指摘され、証人としての資格を失っている(バーロウも、法廷でのふるまいを理由に判事によって追放された)。世間の見つめる前で言いたかったことを言う機会をそんな形で失ったデュータースは、取材を通じてそれを伝えようと思ったようだ。
デュータースがハードに初めて会った時の印象は、「冷たい」と、「奇妙」。奇妙だと感じたのは、フェミニストを自称する自信に満ちた女性なのに、デップに対しては可愛らしい理想的な専業主婦のようにふるまったからだ。ハードはデップが帰宅すると、必ず自分の手でブーツを脱がせてあげたし、クッキーを焼いたりした(ある日、ハードが誰かと電話をしていて忙しそうだったので、デップが自分でブーツを脱ぐと、ハードは身を震わせて怒った。初めて彼女が隠していた素顔に気づいたのはその時だったと、デップは証言している)。
デップと付き合い始めると、ハードはたちまち自分の友人たちをデップの家に住まわせるようになった。同時にハードはデップには自分の家族や友人と距離を置かせるように仕向けている。「あれは恋愛というよりアンバーの侵略でした」と、デュータースは語っている。
だが、デップはそんなハードと結婚すると決意。そこからはあっというまに進んでいった。デュータース夫妻はウェディングの準備をお手伝いしたのだが、ハードがあまりに急にやりたがったせいで、デップ側の家族や友人にろくろく通知もできず、来られなかった人もいたという。
デップの母が病気だったため、結婚式は、ロサンゼルスの家と、デップがバハマに所有する島で、2回行った。それはふたりの結婚式というよりも「アンバーのパーティでした」と、デュータースは振り返る。祝福のスピーチで、ハードの父がすばらしい光景を指差し、「見てごらん。今やこれは全部君のものになったんだよ」と言った。それを聞いて、デュータースは、「彼らが求めているのは、愛でなくてお金なのか」と思ったのを覚えている。
結婚式の途中、ハードはデュータースに「あなたとスティーブンも喧嘩をすることはあるの?」と聞いてきた。デュータースが「口論することはあるわよ」と答えると、ハードは「そうじゃなくて、本気の闘いよ」と言った。「アンバーは、闘うことは情熱だと感じているんだと思います。ふたりの関係に火花を与えるような。アンバーは自分が求めるものを手にすることに慣れている。離婚でも大きな要求をしてきました。自分の思う通りにならないと、相手を破壊してやろうとするのです」と、デュータースは述べている。
事実、デップから離婚を切り出されると、ハードはデップがロサンゼルスを留守にしている間に先回りして自ら離婚申請をし、デップからDVを受けていたとして接近禁止命令を願い出た。デップのビジネスマネージャーによれば、離婚条件の話し合いで、ハードはどんどん要求を吊り上げていったとのことだ。さらにハードは、そのことについては公に語らないという離婚時の約束を破り、「Washington Post」に(実際に書いたのはゴーストライターだが)意見記事を寄稿した。それで堪忍袋の緒が切れたデップは、この名誉毀損裁判を起こしたのである。
この裁判で、デップは、ハードにも、ほかの女性にも、暴力を振るったことは一度もないと主張している。一方でハードは、酒やドラッグをやるとデップは人格が変わり、何度も暴力を振るわれたと証言している。だが、デップ側の証人は全員、デップがハードに手を上げるのを見たことがないと述べた。デュータースも、「彼が酒を飲んだり、ドラッグをやったり、マリファナを吸っている時に一緒にいたことがありますが、彼の態度は変わりませんでした。彼がカッとなるのを私は見たことがありません」と語っている。
今週は、ハードの妹ウィットニー・ヘンリケスがハードのために証言をする予定だ。ハードは、デップが妹を階段から突き落とすのではと恐れ、妹を守るためにデップを殴ったと裁判で述べている。その出来事について、ヘンリケスはどう振り返るのか。ヘンリケスもデップからは多くの恩恵を受けてきている。そんな寛大な人が、姉に日常的に暴力を振るっていたことを、彼女はどう説明するのだろうか。
裁判は東海岸時間16日午前9時に再開する。