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川崎フロンターレ1998→2017 極私的トリロジー(2) 中村憲剛という芯

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

学ランを着たダイヤの原石

近年の川崎フロンターレの新体制発表会は、ちょっとしたコンサートというか、とにかくゴージャスだ。「音楽のまち」のクラブとして、“ライブ”感にあふれたイベントは、数時間にもおよぶ。

このスタイルのスタートは、川崎市市民ミュージアムで行われた2004年にさかのぼる。その1年前、まだファンへの公開型ではなかった新体制発表会は、確か公民館のような公営施設で行われたと記憶する。クラブが念願のJ1昇格を1年で終え、J2暮らしが3年目に入るシーズンだった。クラブの事務所が武蔵小杉駅前から移転した後のことだった。

この新体制発表での注目選手は、「和製フリット」と呼ばれてヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)などで活躍した石塚啓次さんだった。確かにキャンプに入ると、ジュニーニョには「ただ者ではない」感はあった。だが、本当の原石は別にいた。こじんまりした一室で行われた会見の後、記者らと並んで軽食に手を伸ばしていた、中央大学からやって来たルーキーである。大卒らしく学ランで出席したMFは、名を中村憲剛といった。

「本当に誰も獲らんの? ワシ、もらっちゃうよ?って言ったんだよ」。埋もれていた逸材を見つけ出したのは、2001年途中からチームを率いていた石崎信弘監督だった。最終学年を関東2部リーグで過ごした細見のMFの獲得に、手を挙げるJクラブは他になかった。

指揮官の期待を受けて、開幕戦からベンチ入り。9試合の交代出場の後、早くも第11節には先発を果たしていたが、まだ遠慮の様子も見えていた。もっと自分で仕掛けていっていい場面があったのでは? 試合後にそう声をかけると、「よく、そう言われるんですよ」と、少し視線を落としながら、控えめな口調で語った。

それでも、指揮官の信頼に揺らぎはなかった。石崎監督が思いを強めたのは、第20節の大分トリニータ戦だったという。「すごいゴールを決めてね。こいつはすごいな、と思ったよ」。34試合出場4得点という記録を残して、中村はルーキーシーズンを終えた。大学時代に続いて1部昇格をつかむのは、プロ2年目のこととなる。

永遠のサッカー小僧

外から見た体つきは、プロ入りした頃とまったく変わらない。だが、全身にまとうサッカーの鎧を年々強固なものにしてきた。

中村を成長させているのは、その柔軟な考え方だろう。高校に入った当時の身長が160センチに満たなかったという中村には、常に「未完の選手」であり続け、成長を続けている印象が強い。

川崎を初タイトルへ導いたのは鬼木達監督だが、昨年まで率いた風間八宏前監督によるスタイルの確立が大きかったことは、誰しも認めるところだろう。だが、スタートは決して順調ではなかった。

風間八宏監督が就任したのは2012年のシーズン途中でもあり、調子が突然好転するようなことはなかった。だが、「もう、目から鱗、ですよ。今まで聞いたことがないことばかり。毎日の練習が新鮮で、楽しくて仕方ない」。背番号14は当時、少年のように語っていた。

ファンの間にも、懐疑的な見方はあったようだ。チーム周辺には、漠然とした不安が漂っていた。そんなチームをまさにけん引していたのが、中村だったように思う。すでに30歳を過ぎていた大黒柱が新たな発見に目を輝かせていたら、チームの誰もが信じてついていくしかない。

サッカーが大好きで、お気に入りはバルセロナで。EURO2012のスペインとイタリアの対戦には、「開幕戦では中盤で並んでいた(アンドレア・)ピルロと(ダニエレ・)デ・ロッシがMFとDFの縦の関係に変わっていて、決勝ではどうなるか興味深い」と、マニアックに笑みを浮かべていた。

2004年のJ1昇格は、もちろん関塚隆監督の手腕や選手たちの努力の結晶である。中村を中盤の底にコンバートしたのも、関塚監督だ。だが、中村や彼らの成長には、プレシーズンのキャンプで朝の筋トレから始まる3部練習で選手を徹底して鍛え上げた、2003年の石崎体制が大きく寄与したと信じる。バトンを手渡すように続いてきたその歴史には、一見細くとも非常に強い、中村という芯が通っていた。

もっと仕掛けていいのでは。そんな印象もあった大島僚太は、かつての中村同様に、頼れる選手に成長した。キャプテンマークは、小林悠に引き継がれた。少し肩が軽くなったかのように、背番号14のサッカー小僧はホーム等々力陸上競技場のピッチの上で舞っていた。

等々力陸上競技場のピッチは、いくつもの涙を吸い込んできた。2005年には逆転優勝の喜びにこぼれたガンバ大阪の宮本恒靖さんの感涙を、2013年には逆にタイトルが指の間からこぼれた横浜F・マリノスの中村俊輔の嗚咽を。「15年間見たかった景色」。優勝を決めて、中村はそう語った。等々力の芝はようやく、主人の尊い涙を受け止めた。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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