【寝屋川市】香里園の歴史とひらパー。渋沢栄一創立の京阪電車とともに歩む百年桜と金木犀のつぶやき。
京阪電車香里園駅の木と言えば、毎年春に咲く桜が思い浮かびますが、秋には金木犀のよい香りがします。この金木犀の香りこそが、香里園の名前の起源だと言えるでしょう。
この金木犀は毎年は10月中旬ごろに咲くのですが、今年は開花が大幅に遅れていて、これは先日、香里園駅出町柳方面行の1番線の先頭車両から撮ったものです。
金木犀の隣に銘板が見えますが、ここに金木犀のつぶやきが書かれています。
なんともはや、この香里の地に戻ってくるまで風雪40年と書いてありますが、昭和43年から、さらに53年が経っていますので、いまでは樹齢90年以上の歴史ある金木犀ということになります。現在、花が開いてとても良い香りがしています。
京阪電車は、萱島のクスノキといい、香里園の金木犀といい、1本の樹木も大切にしていることがわかりますね。
【渋沢栄一が創立した京阪電車の歴史】
そして、この季節の風物詩である第1回菊人形展は香里園で開かれています。
この菊人形は京阪枚方市駅にある渋沢栄一とその妻千代です。
京阪ホールディングスの前身である京阪電気鉄道は、日本最初の銀行である第一国立銀行を設立し、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一翁を創立委員長として1906(明治39)年11月19日に産声をあげました。
千年の王城「京都」と商都「大阪」を、京街道沿いに町や村をつないで鉄道を敷設するというプロジェクトは、事業自体が有望であったのに加え、地域社会の発展にも寄与するという高邁な思想に基づくものでした。
渋沢栄一翁の経営哲学は、ただひたすら私利私益のみに走るのではなく、公利公益も考え、他人の幸せのためにも力を尽くすのが本分だと唱えた「道徳経済合一説」に集約されます。(渋沢栄一と京阪電車)
【成田山不動尊の香里百年桜】
香里園駅から東に坂を上がったところに成田山不動尊があります。
成田山不動尊に香里百年桜についての石碑があります。
京阪鉄道が成田山大阪別院と共同で開業百年を記念して桜百本を植樹した記念碑です。
その記念碑に香里園地名の由来が載っています。
香る里の園と書いて「香里園」。
この美しい名前の由来は、京阪電車がつけた名前だということがわかります。
この付近の地名は当時、友呂岐郡大字郡(こおり)でしたので、1910年、京阪電鉄はこのまちに「郡遊園地」を開業し、同年10月に「郡」を「香里」と代えて「香里遊園地」としました。
しかし、当時は、この地域が大阪の鬼門の方角に相当するため宅地開発が進まなかったので、京阪電鉄は鬼門除けとして、成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼し、1934年に香里に成田山大阪別院が建立されたのです。
その時「香里遊園地」を枚方市に移転したのが、現在の「ひらかたパーク」となったのですね。
ここに読者の方から教えていただいた香里園ミュージックアートピクニックさん作成の香里園に関する特別映像がありますので、ご覧ください。
香里園駅前は連続立体交差事業により、また姿を変えていきますが、金木犀の木と百本桜はこれからも大切にされていくことと思います。