三冠王、オリックスに帰る。怪人ブーマーの一番長い日
「怪人」がオリックスに帰ってきた。
1983年に来日、阪急ブレーブスの主砲として来日2年目の1984年には外国人選手初の三冠王に輝き、チームを優勝に導き、NPB10年で1413安打277本塁打を残した。レジェンド助っ人、ブーマー・ウェルズ氏が来日し、「古巣」オリックスの本拠、京セラドーム大阪を訪れた。今回の来日は、自身も名を連ねる日本プロ野球外国人OB選手会の企画で、各地でイベントを開催し、かつてのチームメイトと交流するため。3日は、オリックスの試合前にファンミーティングを行い始球式を行った後、ミーティングに参加したファンとの観戦を楽しんだ。
長年のファンとのファンミ―ティング
ファンミ―ティングは試合2時間半前の午後3時半から始まった。京セラドーム内のイベントスペースは大入りの満員。阪急時代からのファンが圧倒的に多く、阪急や2シーズンだけ存在したオリックス・ブレーブスのユニフォーム姿が目立った。通訳による質疑応答の後、ファンからの質問も受け、同じ「ブレーブス」のあるアトランタで育ったブーマー氏がミネソタ・ツインズから阪急に自身の契約を「売られ」た時、同じチーム名の球団に移籍することに縁を感じたこと、教員免許を持ち、小学生を教えたこともあることなど、今まであまり知られていないエピソードが披露された。
最近のメジャーや日本の野球については、「いい選手」の基準がデータ重視となり変わってきている。試合の流れで決めるべき時に打てるかどうかはデータだけではわからないのにと私見を述べていた。
30分にわたるトークショーで一番盛り上がったのは、野球殿堂に話が及んだ時。今年、同時期に日本で活躍し、三冠王にも輝いたランディ・バース氏(元阪神)が野球殿堂入りしたが、通算成績ではるかに上回っているブーマー氏が殿堂入りしていないのはおかしいという来場者の声に場内から大きな拍手が起こった。これに対しブーマー氏は、「ランディの殿堂入りにはもちろん拍手を送るよ。でも、(外国人)最初の三冠王は自分なんだ。まあ、これだけは自分にはどうすることもできないんだけど」とのコメントを残した。
トークショー後のファンとの撮影会の後は、球場内に移動。通路を歩くブーマー氏を前に、オールドファンはあのブーマーがいると歓喜の声を上げ、彼の存在を知らないちびっ子たちは、目を丸くしてその巨体を眺めていた。
勇者たちとの再会
ドームでは、福良オリックス・バファローズGMが迎えてくれた。1985年、阪急にドラフト6位で入団した福良GMは、2年目の1986年からセカンドのレギュラーに定着。ファーストを守っていたブーマー氏と鉄壁の一二塁間を形成していた。
控室に入るや否や、GMは「ブー、瘦せたんじゃない?」と、自らがチームを率いていた前回の来日の時に比べ幾分スマートになったその姿を見て、笑顔でかつての同僚を迎えてくれた。
チームレジェンドの写真パネルが飾られている選手通路では、バントをする姿のGMの写真を見て「よくバントしてたけど、ここでの写真に使うことはないだろう」とブーマー氏は大笑い。二人で記念撮影に応じていた。
福良GMの案内で次々と阪急時代からのスタッフがあいさつに訪れる。GMが四方を探し回って連れてきたのは中嶋監督だった。中嶋監督が高卒ルーキーとして阪急に入団したのは1987年。その後、1989年からはオリックス・ブレーブスの、ブーマー氏がダイエー・ホークスに移籍する前の1991年まで5年間プレーをともにした。
監督を見つけるなり、「サメ、サメ(中島監督の愛称)」と抱き寄せてくるブーマー氏に、フィールドでは崩れることのない監督の表情も緩みっぱなしだった。
若き後継者との出会い
今回の訪問でブーマー氏が会いたかった選手が二人いた。自身の背番号、44を受け継いでいるスラッガー、頓宮選手と今売り出し中の助っ人で「ブーマー2世」の呼び声も高いセデーニョ選手だ。
球団スタッフに促され、選手通路に現れた頓宮の第一声は「デカっ!」。現役時代の2メートル100キロから幾分増量したレジェンドの姿は、その体格を誉められた若きスラッガーのそれも圧倒していた。
試合前練習を終えた選手たちもブーマー氏の姿に興味津々。この日、急遽代役で先発投手を務めることになったワゲスパック投手もレジェンドの姿を目にして挨拶にやって来た。
中でも興味を示したていたのが宮城投手。事前にブーマー氏の来訪を知っていたようで、ロッカー室から顔をのぞかせていた。そんな姿を見た球団スタッフの「一緒に写真撮ってもらえば」の言葉に促され通路に出てきた左腕は、ブーマー氏からの「お前さんの得意なボールは何なんだ?エースピッチャーなのか?」の声にひたすら恐縮していた。
フィールドでは、「2世」のセデーニョと面会。ブレイク中の若き助っ人に「引っ張るだけじゃなく、反対方向を意識して」と自らの経験に裏打ちされたアドバイスを送っていた。
いよいよ始球式へ
試合30分前になるといよいよスタンバイ。選手のミットを借りてキャッチボールをした後は、ファンの拍手に見送られマウンドへ。
投球は残念ながらホームまで届かず、本人も苦笑いだったが、久々にボールを投げてご満悦の表情を見せた。
ブーマー氏と言えば、現役時代、内野のボール回しの際、アンダースロー投球していたが、これは父親から伝授された投法らしく、いわく「腕を挙げて投げると肩に悪い」かららしい。
記者会見、そしてファンと観戦
始球式後には、多数のメディア前に会見。各社のからの質問に答えた。
今年に入って、現役時代、通訳を務めていたロベルト・バルボン氏、オリックス・ブレーブス時代、「ブルーサンダー打線」の中核をともになした門田博光氏の訃報が届いたが、これについてコメントを求められると、6年前に死去した上田利治元阪急監督と合わせ、「私にとって上田さんは最高の監督だった。義理の父と言っていい存在だ。チコ(バルボン氏の愛称)さんはおじさん、門田さんはベストフレンドだった。悲しいとしかいいようがないよ」と表情を曇らせた。
会見のあとは、スタンドへ。道中、至る所からファンの「ブーマー!」の声がかかる。ファンミ―ティング参加者の陣取る内野席に腰かけると、一時ファンが殺到し「バウアー状態」になってしまった。球場警備員がやってきて事なきを得たが、かつての三冠王の人気はいまだ衰えずということを見せつけたシーンとなった。
ブーマー氏は、もうしばらく日本に滞在し、旧交を温める一方、ファンイベントにも参加する予定である。
(写真は筆者撮影)