Yahoo!ニュース

「新しい戦前」論は本当か?…むしろ「異形の戦前」に突き進む日本

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
戦前の九段(提供:MeijiShowa/アフロ)

「新しい戦前」という言葉が聞かれるようになった。この言葉の直接的な由来は、昨年末の民放の番組で黒柳徹子氏に「来年(2023年)はどんな年」の旨を聞かれて、タモリ氏が該単語を答えたことである。

 タモリ氏の発言真意は分からないまでも、昨年から開始されたウクライナ戦争および、安倍元総理銃撃という衝撃的な事件が発生し、さらに防衛予算倍増が示される中、ここに来て4月15日には木村隆二容疑者による岸田首相襲撃事件が発生したことから、「政治家・要人の襲撃、暗殺、テロ等が相次ぎ、やがて軍部が台頭し侵略戦争に突入していった」1930年代の戦前日本と現代が酷似する…、と感じる向きがいよいよ加速していることは言うまでもない。

 歴史は繰り返すとはよく言ったものだが、このまま現代日本は「いつか来た道」を再び負の螺旋階段のごとく歩むことになるのだろうか。そしてそれは「新しい戦前」という言葉で形容するのが相応しいのだろうか。結論から言うと私は、確かに戦前の一時期と時代状況は似ているものの、解釈によってはそれとは似ても似つかない「異形の戦前」への道を、この先の日本が突き進むように思えてならない。どういうことか。

・軍部の関与なき「新しい戦前」

陸軍記念日を称揚する戦前の宣伝ポスター
陸軍記念日を称揚する戦前の宣伝ポスター提供:MeijiShowa/アフロ

 1929年の世界恐慌に端を発した大不況は、1930年代の日本を直撃してたちまち失業者があふれた。格差が亢進し、騒然とする世相の中で1930年には濱口雄幸首相襲撃事件(翌年死亡)、1932年に犬養毅首相暗殺(5.15事件)が起こり、そして1936年にはあの「2.26事件」が起こり、高橋是清蔵相ら重要閣僚が暗殺される大事件が頻発した。特に「2.26事件」は陸軍皇道派の青年将校が中心となって起こしたことから、皇道派の勢力が削がれ、代わって東條英機らを含む陸軍統制派が実権を握り、最終的には対米開戦に突き進むことになる。

 これに先立つ1921年には原敬首相が暗殺されているが、1930年代に起こった一連の要人襲撃や暗殺は、濱口首相を襲撃した佐郷屋留雄(さごうやとめお)を除けば、すべて現役の軍人等が関与したものである。このようなテロにより軍部の発言力が増し、軍国主義が台頭したと教科書的に述べられる向きがあるが、正確には襲撃に関与した側の軍閥やグループの力が衰退したことで、軍内部の派閥序列が変化したことにより、結果的に派閥力学が純化されたことによって国策にダイレクトに軍部(ことに統制派)の意向が反映されるようになった、というべきではないか。

 それ以前に、大日本帝国憲法(以下明治憲法)では軍を指揮する統帥権が天皇(天皇大権)に属しており、実質的に日本政府とは独立した状況にあった(二重権力)。よって1931年には早くも関東軍現地部隊によって満州事変が引き起こされており、それが1937年の盧溝橋事件に繋がっていくわけだが、一連のテロによって軍部が台頭したとは言えなくはないものの、そもそも統帥権を大本営が事実上、天皇に代わって独占的に運用することができた、という明治憲法の欠陥そのものに軍部台頭の諸悪の根源がある。1930年代に続発した政治家への襲撃や暗殺は、軍国主義台頭の原因の一部を形成したとは当然いえるが、根本的には明治憲法下における戦前日本の統治システムの構造的欠陥に依拠するところが大きいと言える。

 このような事実を踏まえれば、確かに安倍元総理銃撃事件や岸田首相襲撃事件は形だけをみれば戦前状況と類似しているものの、「軍部の関与がない」という一点において本質的には全く異なっている。自衛隊を軍隊とするか否かの問題は置いておくとしても、山上被告にせよ木村容疑者による事件にしろ、現役の自衛隊員や幹部が関与している形跡は一切ない。

 確かに戦前の政治テロの背景には「世直し」を求める民衆の声や、農村と都市の格差、財閥や地主による資本の寡占といった問題が大きく横たわっていた。とりもなおさずその原因は、戦前日本がまったくの軽工業国で、最大の輸出品は高度な付加価値製品ではなく繊維品であり、総人口の7割近くが郡部に住む半農国家ゆえの貧しさである。現代日本も民衆の生活は苦しくなる一方で、富の偏在、格差・貧困化が社会不安の大きな要因になっていることは事実であるが、戦前の状況とはまるで違っている。

 1930年代の日本は、第一次世界大戦に勝利し、「五大国」に冠されたものの、GNP(国民総生産)規模でイタリアとほぼ同水準だった。内地人口が7000万人強程度だったので、当時総人口4000万人とされるイタリアに対し、ひとり当たりGNPはざっくり6割に過ぎない。要するにこの水準を現代感覚に置き換えると、ひとり当たりのそれは約16,000ドル程度ということになり、ロシアやパナマと大差ないということになる。「五大国」「アジアの一等国」と言ってもその内実はこの程度だった。要するに戦前日本は余りにも貧しすぎ、その内国格差は想像を絶するほどであり、軽々に戦前の状況と比較するのに適さないのである。

・防衛予算倍増でも侵略戦争の能力なし

 とは言え、先日示された防衛予算(ほぼ)倍増の動きは、現在でも賛否両論が渦巻いているものの、仮にそれが実現したとしたら日本は世界有数の軍事予算を有することになることから、またぞろ「新しい戦前」を危惧する向きが強いのもなるほど道理と言える。しかしながら、戦前日本は言わずもがな朝鮮、台湾等の植民地を有し、国際社会の強い反発を受けながらも満州国を勝手に建国して露骨な対外拡張の方針を採った。明治以来養成された日本陸軍は、このとき徴兵もあって100万に近い兵力を有するまでに膨張し、海軍戦力は軍縮条約の影響もあって米英よりも劣後したものの、総トン数で世界第3位の実力を誇った。

 現代の自衛隊を軍隊とするか否かの問題は繰り返すようにともかく、陸上自衛隊は約15万人規模であり、海上自衛隊は「いずも」「かが」級に対しF-35Bの離発着可能な事実上の軽空母化改修をようやく行っている最中である。遠洋の敵シーレーン切断や自国商船等の護衛に有用とされる原子力潜水艦はそもそも保有していない。航空自衛隊は高度な制空能力は保つものの、中国空軍に「量」で大きく劣後する。勿論、戦前の戦争と現代戦は位相が異なっており、単なる陸軍兵力や大型艦の隻数がただちに防衛力と比例する、と短慮することはできないが、それでも現代日本にかつての大侵略を実行する能力は無い。

 戦前日本とちがって現代日本は、この島国を出て他国沿岸に強襲揚陸(上陸)し、あまつさえ上陸地点を恒常的に占領する能力を持たないどころか、敵の防空システムを突破して衛星情報を元に誘導ミサイルで飽和攻撃を仕掛ける能力もほぼ有していない。自衛隊は在日米軍と密接に情報を交換しなければ、大規模な作戦を遂行することは難しい。防衛予算を倍にしたからと言って、戦前日本が行った南方作戦のような稀有の大作戦(むろん、この場合の稀有は悪い意味として捉えよ)を実行する能力は存在しないのである。

 現政権はトマホークを複数購入し、ミサイルの射程を伸ばし、イージス艦の建造を引き続き押し進める等というが、何を目的にしているのかよく分からない。増額される防衛予算の中には自衛隊員の福利厚生の拡充も入っており、その部分は納得するにしても他国と比較して超割高な小火器や車両、被服・備品類等の調達費抑制などはほとんど考慮されていない。防衛予算増額だけが目的化し、肝心の防衛方針の根本的なところは在日米軍依存からまったく抜け出し切れていない。意味のよく分からない、目的のよく分からない「軍拡」だけが進んでいるように思える。

 このような「よく分からない」防衛予算の拡充にあっては、日本国憲法第9条の”制約”が百歩譲って仮に無くなったところで、現代日本は戦前日本のように侵略戦争を遂行する能力をまったく獲得することはできない(獲得されては困るのだが)。日本が「一応」、あやふやで無謀ながらも独自の判断で米英等と戦争を始めた戦前(その判断は膨大な犠牲を生んだ大失敗だったわけであるが)と、現代の「能力なき日本」を「新しい戦前」という言葉で比較することはやはり、少々なじまない気がする。

 それでも昨年の安倍元首相銃撃、そして不幸にして発生したばかりの岸田首相襲撃事件という二つの大事件とそれに連なる様々な事象が、本当にこの先の日本を「いつか来た道」に引き返す危惧は無いと言い切れるのだろうか。

・そして「異形の戦前」へ

ペルシャ湾に展開する米空母「ジョージ・ワシントン」
ペルシャ湾に展開する米空母「ジョージ・ワシントン」写真:ロイター/アフロ

 すでに述べたように、テロや襲撃事件によって引き起こされた社会不安に対し、軍部が何らかの形で関与しない限りは「戦前」の再現は構造的には起こらない。現代日本の統治機構に統帥権という概念が存在しないからである。自衛隊は、ごく一部の退職した人々が政府公式見解とは必ずしも相いれない主張などをして、局所的な影響力(特異なファンの形成等)を持つに至る場合はあるが、アメリカの退役軍人団体等と違って、基本的には大きな政治力を有さない。実力組織が強い政治力を持たない以上は、「軍部の台頭」という「いつか来た道」の再現は「現時点では」無い、と言える。

 現代日本において軍ファシズム体制の勃興が構造的に起こりえない代わりに、状況を表面的に見れば、なんとなしに戦前の再来のように思えるという薄ぼんやりとした不安だけが襲う。戦前日本も、特に満州事変以降、米英との軋轢が高まるにつれ、「満蒙(まんもう)の権益を米英から守らなければならない」という気運が高まり、中国問題を巡るそれが米英との対決を不可逆なものにした。つまり戦前日本も、戦争の開始は「防衛」の掛け声で行われたのである。これを現代日本に援用するとすればどうか。

 現代日本は戦前日本と違って、自らが主体的に「防衛」という名目の侵略の主体になる意志も、能力も持っていない。戦前その”意志”は変形したアジア主義により正当化されたが、そういったものは現代日本では一部の好事家を除いて国策に関与するだけの力を持っていない。侵略戦争を行うためには無理やりであっても理論的支柱が必要だが、そういう理論が現代日本にはない。

 現代日本で戦争が起こるとすればそれはほぼ確実に在日米軍を有するアメリカが関係するだろう。能動的ではなく完全なる受け身、つまり受動的に戦争は開始されるであろう。そして仮にこの先社会不安が亢進するとしても、先に述べた”変形したアジア主義”の様な対外拡張を正当化する理論が強力に生まれない限り、「自分からは一切攻撃しないものの、防衛のための戦争協力であれば政府に全面協力するのが正しい」という風潮があらゆるメディアを通じてたちまち瀰漫するであろう。防衛のための戦争への協力は、あくまで正当防衛であり、「高度な」理論的支柱は必要ないとみなされるからである。

 戦前日本は、ことに1930年代の日本は独伊の枢軸に接近して軍事同盟を結んだことは周知のとおりであるが、ドイツ海軍の潜水艦連絡等を除いては、独伊の正規軍が太平洋戦線に直接介入・関与することは地理的な理由で無かった。現代日本は、介入する・しない以前に、在日米軍という外国軍が駐屯している以上、これを抜きに防衛方針を自主的に決定することは事実上できない。

 戦前日本の同盟国軍はスエズ運河以西にしか存在しなかったが、現在日本では沖縄はおろか横須賀にも三沢にも岩国にも東京にも存在する。侵略の意志も戦意も能力もないが、あってはならないことではあるにせよ、仮に不期遭遇等によって自衛隊員の戦死などが起これば世論は沸騰器のように激昂してアメリカと一体になっての「防衛的報復」を希求するであろう。このようにして現代日本にあっては、同盟国軍がもっと近い、すぐ隣ばにいる状況で戦争行為が受容され得るのではないか。

 戦前日本と決定的に違うのは、このようにして開始されるかもわからない「防衛戦争」が、概ね米軍と付帯する日本の戦術的勝利に終わるかもしれないということである。超大国アメリカの地位は零落して久しいと言われつつも、軍事的即応力・技術力にあっては未だ世界最高水準であり続ける。100年後、200年後の未来は分からないが、現時点で米軍に正面切って戦闘を挑み、確実な勝利を納めることのできる他国軍は存在しない。

 米英と激しく対立し、真珠湾攻撃まで実行した戦前日本とはまるで変わって、現代日本はすでにウクライナ戦争においても米英側に明確に立っている。近い将来起こるかもしれない通常戦闘では米軍に大きく依拠することによって結果的にせよ局所的な勝利を掴むことができるかもしれない。

 東洋の王道と西洋の覇道の対決―、などと吹聴して米英と戦争を始めた戦前日本が、今度は逆にとりわけアメリカに追従することにより「勝ち馬」に乗ろうとする。

「勝つ見込みのある戦争なら、かつての無謀な戦争とは違うわけだから、過ちを繰り返すことにはならないのだ」等と強弁して戦争を正当化する風潮が跋扈する近未来予想があるとすれば、それはあながち荒唐無稽とは言い切れないのではないか。

 こうなるとむしろ連合国側に立って同盟国に宣戦布告し、ドイツ領青島など主戦線から遠いアジア辺境の限定箇所で小規模戦闘に終始した第一次大戦前夜の日本の姿の方にやや近いかもしれない。

 経済規模、国力では衰退しつつもなんとか「地域大国」として、辛うじてG7の末席に座り、一方で外交的には完全にアメリカに追従し、政治・社会体制は権威主義的な傾向が強く、相次ぐ政治家への襲撃事件に社会不安が亢進しつつも、軍部には政治権力はほぼ無く、積極的な侵略意志も戦意も乏しいものの、書類上の防衛予算だけは「在日米軍の補完機能」としてはすこぶる”補助的戦闘”の役に立つ…。

 こんなよく分からない、「アジアの一等国」とも呼べず、さりとて先進国とも、途上国とも言えない、国家目標も理想の社会像も明確に描くことができない、先細りながらも中途半端な力を辛うじて持った極東の工業国の現状や近未来は、やはり「新しい戦前」ではなく、「異形の戦前」と呼ぶにふさわしいと私は思う。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

古谷経衡の最近の記事