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【富田林市】富田林にも古墳がたくさん。彼方の嶽山山麓にあるというイタイゴ古墳群を探してきました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市内には本当に古墳が多くありますね。北の羽曳野市には古市古墳群があるので、その続きのように点在しています。

これまでにもいろんな古墳跡を取り上げてきましたが、今回は彼方(おちかた)にあるイタイゴ古墳群が実際にはどうなっているのか、見にいって来たので、ご紹介します。

富田林市内遺跡群発掘調査報告書の地図の一部を見ると「79.イタイゴ古墳群」と明記されており、古墳があったことは間違いないようです。

場所はこのあたりです。近鉄滝谷不動駅から中佐備(なかさび)に通じる道路の途中、北側に位置しているようです。

ということでやってきました。正面の道を上っていくと古墳群に近づけるようです。

昔からあったであろう道を上っていきます。

ちなみにこの先には民家もあるので、生活道路でもあるわけですね。

古墳群にだいぶ近づいてきました。

見ると、ここから道が分かれていて山の奥の方に向かっていますね。さらに近づけるかもしれないので、行ってみることにしました。

舗装されていない道を奥に行きます。何か痕跡のようなものはあるでしょうか?

途中足場が悪いところがあるようですが、しっかりとした道は続いています。

しかし、道は先に続いていますが、肝心のイタイゴ古墳群からは遠ざかってしまうようです。ということで引き返しました。

地図アプリで指し示している古墳は、この丘の先のようです。

確かに盛土のようにはなっているので、古墳のようには見えますが、それ以上は何もないので何とも言えません。

イタイゴ古墳群について情報を調べましたが、出てきたのは嶽山(だけやま)の紹介のところに、古墳時代に山麓にいくつか作られた古墳のひとつとして載っているだけでした。

発掘の情報などは見つかっていませんが、存在は公式に認められている古墳なので、将来的に何らかの発見があるかもしれませんね。

古墳と思われる部分をズームアップして撮影しました。もう想像の世界ですが、このあたりに古墳時代に埋葬された可能性があるということですね。

ということで、存在はするけれど情報がほとんど無い、イタイゴ古墳群を見てきました。「イタイゴ」の語源についても情報が皆無。いつかその意味がわかるときが来れば、改めてご紹介します。

古墳群の前の道からは、ちょうど美しい山(大和葛城山?)が見えていました。あの山からは、古墳時代にこのあたりに作られたイタイゴ古墳の様子が見ることができたかもしれませんね。

イタイゴ古墳群
住所:大阪府富田林市彼方1717
アクセス:近鉄富田林駅からバス 中佐備バス停より徒歩5分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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