震災を乗り越えて。「頑張ろう能登」の声を「勧進帳」の町から届ける独立リーグ【日本海リーグレポート】
石川県小松市といえば、製作機械メーカーの企業城下町としてつとにその名を知られているが、「歌舞伎のまち」としても売り出している。この3月に北陸新幹線が延伸されたおかげで、駅は立派になっていたが、新幹線の乗客を当て込んで発売された駅弁のパッケージにも、歌舞伎のイラストが描かれている。その歌舞伎の演目は、無論のこと「勧進帳」だ。兄・頼朝に追われ奥州に逃れようとする源義経とその従者、武蔵坊弁慶の行く手に立ちふさがった関所を舞台にしたこの演目の、その舞台である「安宅の関」は、高速道のインターからほど近いところにある。
「歌舞伎のまち」らしく、町の中心からほど近い場所になる運動公園の施設にも「勧進帳」にちなんだネーミングがなされており、体育館には義経の、野球場には弁慶の名がつけられている。
ここで25日、独立リーグ・日本海リーグの公式戦が行われた。例年、複数回行われる試合は、今シーズンはこの日のみの開催。ナイター照明が老朽化で使えなくなり平日の夜開催ができないことがその理由だという。週末は、スポーツが盛んな土地柄もあり他団体の使用で埋まっている。プロとはいえ、独立リーグはアマチュア団体との共存は欠かせない。
ナイター照明は最新鋭のLED仕様の新しいものに付け替えられ、全面ビジョン仕様に改装されるスコアボードとともに来シーズンは、来場者を楽しませてくれるようである。
年一度の独立リーグ公式戦の開催とあって、試合前のセレモニーには、地元選出の代議士と副市長が出席し、場内を盛り上げた。そのスピーチの中でも出てきたのが、「震災復興」の言葉だった。
今年の元旦、石川県能登地方を襲ったマグニチュード7.6の大地震は石川県、北陸地方に大きな被害をもたらした。その被害は、直接的なものだけでなく、地域の経済にも暗い影を落としている。
「球団を立ち上げて18年目ですけど、最大のピンチですよ」
とは、最初に加盟した北信越ベースボールチャレンジリーグ(現BCリーグ)発足時の2007年から石川ミリオンスターズを切り盛りしてきた端保球団社長の言葉だ。所属リーグは、BCリーグからオセアンリーグ、そして昨年から日本海リーグへと変わったが、ハワイ球団との国際交流戦にコロンビアやチェコからの選手獲得、それに元メジャーリーガー、木田優夫の引退試合開催での独立リーグ観客動員新記録樹立など、斬新なアイデアで独立リーグ界を活気づけてきたアイデアマンだ。しかしその彼も天災の前には耐えるしかなさそうだ。
チーム運営そのものは、リーグの開幕を後ろ倒しにすることで、大きな問題を生じさせずに済んだが、やはり財政的には苦しいという。球団をささえてくれていたスポンサー企業も未曾有の大災害に無傷というわけにはいかない支援企業からのスポンサー料減額には応じざるを得なかった。
「震災復興で県外からスポンサーないかなって思ったりもしますよ」
それでも、長年の球団運営の実績は、リーグが変わっても揺らぐことはなく、今シーズンは「ドル箱」であるNPB球団ファームチームとの対戦がすでに4試合組まれ、さらに数試合追加予定だという。日本海リーグは、ミリオンスターズと富山GRNサンダーバーズとの2球団体制で運営されている。そのため単調になりがちなペナントレースに加え、NPBやアマチュアチームとの交流戦を積極的に行うことでリーグの価値を上げようと試みているが、その試みは着実に身を結んでいるようだ。
この日の試合、石川はNPB注目の速球派のルーキー黒野(誉高校)を、対する富山は昨シーズンまで日本ハムでプレーしていた立野を先発に立ててきた。
先制したのは石川。2回にランナーをひとり置いて9番の地元輪島高校出身の川崎のスリーベースで1点を先取。試合を優位に進めるかに見えた。
しかし、5回にその川崎が2アウトからフライを落球してしまう。ここから黒野は3連打を許してしまい、富山は相手のミスに乗じて2点をもぎ取り逆転した。さらに続く6回にも黒野は4安打を許した上、自身の暴投などもあり、2失点。踏ん張ることができなかった。
一方の立野は、7回を1失点にまとめ、その経験値を石川に見せつけ、2勝目をあげた。
その後、富山は石川が送り出したリリーフ陣を打ち崩し、7回にも3点を追加、試合を決めた。石川は8回に立野の後を継いだ瀧川(至学館大)からノーアウト満塁のチャンスを作るも、ゲッツーの間に1点しか奪えず。富山は7対2で石川を下し、対戦成績を3勝4敗とした。2チームでのリーグ戦だけに、対戦成績が大きく開くことはリーグ当局としても避けたいところ。今後は、ペナントレースを盛り上げるため、勝ち点にしてNPBファームとの対戦成績にボーナスポイントを付加するなどの工夫も必要ではないかと感じた。
試合後、今シーズンから阪神タイガースから出向してチームの指揮をとる岡崎監督は、震災後のシーズンについてこう語ってくれた。
「とにかくこの石川の地で野球をやらせてもらっていることに感謝しています。まだまだ能登は大変で、現状では僕らにできることは限られているんですが、動画配信などを通じて震災地の方々が僕たちのプレーを見て少しでも元気になってくれたならという思いでやっています」
石川ミリオンスターズは、これまでも、旅館・ホテルの多くが震災で被害を被った和倉温泉のある七尾市、そして先の大地震の震源地近くで壊滅的な被害を被った珠洲市でも公式戦を開催してきた歴史を持つ。現在、両市の球場は使用できる状態になく、七尾市の城山球場は、復興ボランティアのためのテント村になっているという。将来的には、現地の復興が進み、両球場で公式戦が再び行えるようになっていくのだろうが、その日まで、「がんばろう!石川、がんばろう!能登」を合言葉に、石川ミリオンスターズは、「独立リーグ日本一」を目指してシーズンを歩んでいく。
(写真は筆者撮影)