Yahoo!ニュース

【河内長野市】松ケ丘中町の松林寺はとても由緒のあるお寺。文化財の曼陀羅、境内には市指定の保護樹木も。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

三角形のような形をしている河内長野で、もっとも北側の先端にあるのが松ヶ丘地域です。西高野街道より西にある松ケ丘西町、国道310号線より東にある松ケ丘東町、その間にある松ケ丘中町と3つに分かれています。

かつては与通北(よつきた)と呼ばれ、河内長野市にありながら鉄道の最寄り駅が富田林市の滝谷駅という、少し不思議な気がする地域でもあります。

この松ヶ丘中町にあるのが、白鳳山松林寺(はくほうさんしょうりんじ)です。

門の前にある石碑には大聖歓喜天とありますが、その下をみると「施主 (カネ)傅商店」の文字が見えます。昔、寺に布施・寄進した商店の名前だと思われますが、意外にも京都の文字があり、京都のお店かもしれません。

実は京都にも浄土宗寺院として同じ松林寺があるのですが、河内長野のこちらの寺院は真言律宗です。

この真言律宗とは、あまり聞きなれない宗派ですね。調べると真言宗に似ていますが、微妙に違うようです。

詳しく書くと難しいので簡単に書けば、鎌倉時代にできた宗派のようですが、真言密教の教えに加え、奈良時代の仏教「南都六宗」の宗派「律宗」の精神をも受け継ぐという宗派です。

ということで境内に入ってみましょう。寺の創建は不詳とのことですが、真言律宗総本山である奈良の西大寺の記録に、鎌倉時代中期とされているそうです。

また1660(万治3)年に再興され、1710(宝永7)年に河内長野岩瀬出身の秀栄(しゅうえい)という僧が本堂を完成させたと、当時この地域を支配していた膳所藩の記録に残っているそうです。

松林寺の境内にあった説明版によれば、江戸時代中期の僧、浄厳(じょうごん)と関係があるようです。この僧の名前どこかで聞いたことがあると思えば、延命寺の中興の祖と言われている人です。

延命寺
延命寺

浄厳は、将軍・徳川綱吉をはじめ、側用人の柳沢吉保(やなぎさわよしやす)など、幕府に連なる諸大名が、帰依(きえ=信仰をする)ほどの大人物った訳ですが、その僧と松林寺との関係が説明されていました。

寺の中に金剛界、胎蔵界の種寺曼荼羅図(しゅじまんだら)が収蔵されているそうです。

それは松林寺が庵(野外に木草などを結んで仮に構築した建物、本堂ができる前の建物)だったころに、その主だった恵忍和尚の求めで、浄厳が授筆奉写(外部リンク)したとあります。

非常に言葉が難しいのですが、どうやら浄厳さんが、松林寺にいた恵忍さんに頼まれて、上のリンク先にある「紙本著色 種字両界曼荼羅」を描いたということのようです。

それが現在、河内長野市の文化財として、1968(昭和43)年1月8日に指定されているというわけですね。また寺にある木造不動明王坐像が府の指定文化財になっているとのこと。

このほかにも、松林寺が西高野街道と中高野街道に挟まれたところにあって、かつ両高野街道の合流点付近ということ。そのため高野山の参詣を目指す僧侶や信者の人が途中に休憩を兼ねて立ち寄る寺だったそうです。

そして旧市村新田に残る唯一の寺院でもあるわけです。そう考えると歴史の生き証人でもあるわけなんですね。

「四津の坂 登りて老の 跡見れば 松林寺に鳴 入相の鐘」という江戸享保年間の歌が残されています。

四津は昔の地名の「与通」と思われ、入相(いりあい)の鐘というのは夕方に撞く鐘だそうです。つまり松林寺の夕方に鳴る鐘を高野山に向かう人々が親しんだということを詠んだ歌です。

歓喜天の扁額(へんがく)が掲げられているお堂
歓喜天の扁額(へんがく)が掲げられているお堂

境内に歓喜天と書かれた扁額のついたお堂があります。歓喜天は聖天とも呼ばれ、元々はヒンドゥ教のガネーシャと伝わっているそうです。

これは頭が象の顔をした像が2体抱擁している像であることが多いそうですが、秘仏であることが多く、松林寺の歓喜天も秘仏のようで見ることはできないようです。

さて、ここの地名が松ケ丘で、このお寺も松林寺という名前なので、もしかしたら立派な松があるのかなと見ていると。

松ではなく、立派なカイズカイブキ(貝塚伊吹)があり、2008(平成20)年に河内長野市の保護樹木に指定されていました。

こちらがそのカイズカイブキです。調べるとヒノキ科ビャクシン属の小高木(高さ8メートル以下)とのことですが、この木は8メートル以上あるような気がしました。

先ほどとは違う門から外に出てみました。ここからの見晴らしは大変よく、富田林方向の羽曳野丘陵(錦織公園)が見えます。さらにうっすらと白い大平和祈念塔(PLの塔)が見えました。

河内長野市にある古い寺院と言えば、どちらかと言えば千代田駅から南側にあるような印象が強いですが、この松林寺のように北側にも由緒ある寺院があります。

文化財の曼荼羅が公開されているわけではなさそうなので、わざわざ行くまでではないのかもしれませんが、近くに立ち寄る機会があれば訪問してみてはいかがでしょう。

白鳳山松林寺
住所:大阪府河内長野市松ケ丘中町1607
アクセス:南海滝谷駅から徒歩11分

※記事へのご感想等ございましたら、「奥河内から情報発信」ページのプロフィール欄にSNSへのリンクがありますので、そちらからお願いします。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

奥河内から情報発信の最近の記事