西田夏奈子が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#02】
2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。
♬ 西田夏奈子の下ごしらえ
5〜6歳のころ、ヴァイオリンの音色に魅了された。親にそのことを言うと、教室へ通わせてもらえることになった。
言われるがままに13年続けるが、高校で演劇に出逢い、大学ではより演劇に熱中。日常に占める演劇の割合が増えるとともにレッスンに通う時間が圧迫され、とうとう音楽から離れることになる。
ヴァイオリンを習っていたころは、家にあった「白鳥の湖」のレコードが好きでよく聴いていたが、チャイコフスキーが好きというよりもヴァイオリンに反応していたのだと思っている。
音楽の道に進む気はまったくと言っていいほどなかったが、歌は好きだった。なので、現在も歌唱シーンのある演劇作品に数多く出演している。
演劇については高校時代から始めていたが、大学に行かずに演劇の道を選ぶまでの勇気はなかった。
ヴァイオリンのレッスンに通っててわかったことは、自分が練習下手であるということ。それが演劇にも現われていて、「教えられたことを自分のものにするというよりも、それをすることでなにかを考えたり、自分の考えが変わっていくことを見守ったりしてしまうんです。だから、なかなか上達した実感が得られず、練習が苦手でした。ヴァイオリンの場合はそれが苦痛の原因にもなったんですが、演劇では逆になっていました。考えることが芝居に活かされている、って。だからお芝居は続けられているのかなと思うんです」。
♬ ヴァイオリン教則本にあったバッハの残り香
自分にとってバッハはどういう存在なのかなんて……。ヴァイオリンをやっていたのに、そんなことを聞かれたこともないし、生まれて初めてそんなことを考えました。
そういえば、ヴァイオリンの教則本に〈2つのヴァイオリンのための協奏曲〉(ニ短調 BWV1043)が掲載されていて、練習したことがありました。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの譜面がそれぞれ違う巻に収録されていて、上達すると両方とも弾けるようになるから、片方の演奏を録音しておいてもう一方を弾くと1曲が完成するんです。
バッハの、というより、ほかの人と合奏する経験がなくて、ほとんどひとりで練習していたんですけれど、その“ひとり合奏”は印象に残ってますね。やはりバッハはきっぱりしているというか、音の組み合わせとかがモヤッとしていないというか……。あまりちゃんと考えたことはないんですけど。
〈トッカータとフーガ〉(ニ短調 BWV565)は、小学校の音楽の授業で鑑賞しました。音が追いかけていくように連なっていくようすが、魅惑的というか、このあとどうなるのかなっていう、ちょっとスリリングなんだけど、不安になるわけではないというか……。おもしろい音楽だなぁって思っていたのを覚えています。
〈マタイ受難曲〉については、名前だけは知っていた、という感じですかね……。曲自体を意識して聴いた記憶はないです。ちゃんと聴いたのは今回が初めて。
もしかして、なかにはどこかで聴いたことがある曲もあるのかなぁと思ったんですが、ぜんぜんなかった。でも、聴き心地はすごく良かったというか、宗教曲という雰囲気が重厚で、イメージどおりというかなんというか……。
♬ “またいとこ”が引き寄せたマタイの縁
西川祥子さんという、絵描きの“またいとこ”がいるんです。30代になるまでそういう親戚がいるということを知らなくて、せっかく知ったからには「なにか一緒にやりましょう!」ということになった。それで彼女の絵と朗読を合わせたイヴェントを企画したんです。
祥子さんの絵って、お線香の先の火で、古い本の1ページを焦がしながら絵にしていくんです。
祥子さんはそのころ、アンデルセンの「絵のない絵本」の33話を1枚ずつ絵にしていたんですが、その絵と、私の朗読、そしてタップダンサーのタップとでコラボするイヴェントを、祥子さんが企画してくれたんですね。
同じころにshezooさんと祥子さんの出逢いがあって、それで、shezooさん作曲の音楽と、祥子さんの絵と私の朗読による「絵のない絵本」33話をすべてやってみようということになったんです。1回のイヴェントで3〜5話ずつ、トータルで3年ぐらいかかりました。
イヴェントを始めた当初のshezooさんの印象は、音楽がすっごくできる人なんだなぁ、って。なんか、バカみたいな感想ですけれど。
それもあって、最初はすごく緊張してました。私みたいなレヴェルでこのイヴェントは大丈夫なのかなぁって。そんな状態が1年ぐらい続いたんですが、続けていくうちに「あっ、おもしろい!」って思える瞬間があって、それと同時に自分にも少し自信がついてきて、話し合いながらイヴェントに臨めるようになっていきました。そうなるとshezooさんにも親しみやすさを感じられるようになってきて、意外とドジっ子かな? と思うようになって。
そんな感じで「絵のない絵本」のイヴェントをやっているなかで、shezooさんから「こんなことをやってみたい」って話されていたのが、今回の〈マタイ受難曲2021〉につながるアイデアでした。こういう役を考えていて、それを俳優さんにやってほしい、みたいな。
そのときは私もぜんぜん現実味がなくて、「そういうお話なら、私も加えていただければ嬉しいです」みたいな返事をしていたんですけれど、その後も何度かお目にかかるたびに声をかけてくださっていたんですよ。
で、2年前に「やっぱり本格的に始めたいと思います」と、喫茶店で資料を渡されて、「あっ、本当にやるんだ」って。
まぁ、コロナもあって、それからスムーズに進んでいったわけではなくて、どんな内容になるのかぜんぜんわからないまま、渡された資料を時折見るぐらいで、ただでさえ重い腰がぜんぜん上がらない状態だったんですが、実は私がそんな状態だったときもshezooさんはミュージシャンの方たちと何度かライヴを重ねていて、それを観に行くと「あ〜、こういうふうになるのかぁ……」って思ったことがあったことを思い出しますね。
〈マタイ受難曲2021〉でエヴァンゲリストが語っている部分を、オリジナルでは歌手が歌っているんですよね。だから、参考資料として観ていたYouTubeなんかは、私にはどう参考にしていいかぜんぜんわからなかった。
ですが、shezooさんが台本を書き上げ、その説明を受けているうちに、私が担当する“語り”の役割もオリジナルと同様に成立するように考えていらっしゃるのがだんだんわかってきました。
正直なところ、立ち上げのころはエヴァンゲリストとして台本の朗読をすることだけが自分の役割だと思っていたんです。それがだんだん、shezooさんが書き上げてくれたものを土台として、私と千賀さん(千賀由紀子、エヴァンゲリスト)が“話者”としてお客さんにより伝わるような言い回しになるよう、台本のブラッシュアップにも関わっていくことになっていきました。
shezooさんの台本で読み合わせの稽古をしているとき、もしかするとお客さんにうまく伝わらないかもしれないという部分に気づき、千賀さんと私でshezooさんに確認をしたのが発端です。言い換えたり説明を足したりしたほうがいいんじゃないかというような提案をした、という感じです。
♬ 俳優の経験値をつぎ込んだ台本づくり
そこから、脚本の段階で、セリフを扱う俳優としての経験から「こうしたほうがいいのではないか」という案を出したり、場合によっては3人で話し合ったイメージから新たに文章を創作し、shezooさんと千賀さんに見てもらって、それを追加したり手直ししたり、という作業をしていきました。
私が注意していたのは、わかりやすさというよりも、shezooさんが意図したものがボンヤリとしてしまわないようにということ。そのうえで、ストーリーの輪郭とか軸をはっきりさせたかったんです。
3人でZoom(オンライン会議システム)を使ってミーティングを繰り返しました。かなり白熱して、結局、全体リハの直前まで詰める作業をしていました。
だから、全体像が理解できるようになったのは、ゲネプロ(本番同様に舞台上で行なう最終リハーサル)のとき。そこで初めて全員が集合して、演奏や歌が語りとどのように組み合わさるのか、初音ミクがいるという状態もぜんぶ融合させて、そのあいだにセリフやナレーションが挟み込まれていくというやりとりを目の当たりにし、感動しました。ようやく、shezooさんが何をしたいと考えていたのかがはっきりとわかった、という感じだったんです。
私としては、もともと〈マタイ受難曲〉を好きな人がこの舞台を見てどんなふうに思ってもらえるのかも、音楽としてどのように評価されるのかもわからなかったけれど、設定からなにから遠い昔のものではなく、現代人にもすごくイメージしやすい内容になっていると思った。だから、この上演を体験する時間をお客様と共有できるって、めちゃめちゃスゴいことなんじゃないか、って。それはもう、ワクワクしてましたね。
♬ 独特の連帯感が生まれていた本番会場
とにかくいままでに観たことも聴いたこともない斬新な試みだと感じていましたから、本番では、お客さんも一緒に「冒険に出かけよう!」みたいな興奮した気分でステージに立ってました。
客席のようすからも、すごく集中してくださっていることが伝わってきました。なにか、会場全体の一体感を強く感じられたと思います。
ラスト・シーンには印象的な演出が施されましたが、それも含めて最初から最後までしっかりと伝えたいことが積み上がっていて、ひとつの“なにか”が達成されていた感触がありました。それをお客さんにも持って帰ってもらえて、とても幸せでしたね。
振り返ってみると、この内容で海外のみなさんにも観ていただきたいと思えるものになっていたと思います。
国内もあちこちで上演したいですね。とにかく、いろんなところへ出かけて、この独自の世界を届けたい、と自信をもって言えるものを創りあげることができたと思っています。
「バッハとか、マタイとか、あまりよくわからないから」という方にもうっかりお届けできるのが、この〈マタイ受難曲2021〉の良いところなんじゃないかと思うんです。
オリジナルの〈マタイ受難曲〉を知っている、好きだという人ならなお、この演出のスゴさをわかっていただけるのではないか、と、いまは思います。
そういった作品に、演劇の経験がある自分の力を少しでも活かすことができ、とても歓びを感じています。
Profile:にしだ かなこ 俳優/歌い手/ヴァイオリン弾き
1974年生まれ、神奈川県出身。
小劇場演劇の舞台を中心に、2002年よりフリーの俳優として活動している。NODA・MAP、木ノ下歌舞伎、FUKAIPRODUCE羽衣、庭劇団ペニノなど、演劇の舞台に幅広く出演。映画は杉田協士監督『ひかりの歌』がある。「エビ子・ヌーベルバーグ」の別名で音楽活動も行なう。多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科非常勤講師。