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全米オープン10日目リポート:錦織圭、全豪王者破りベスト4へ―― ファンも祝福した若きスターの誕生

内田暁フリーランスライター

錦織圭 36 75 76(7) 67(5) 64 S・バブリンカ

時計の針が18時半を回った頃から、空にはオレンジから濃紺へのグラデーションが掛かり、アーサーアッシュスタジアムの照明に灯りがともりました。試合が始まったのは、15時を少し過ぎたころ。試合開始から3時間以上が経過し、デイセッションとして始まった試合は、徐々にナイトマッチのような雰囲気が漂い始めていました。

錦織のセットカウント2-1リードで迎えた、第4セットのタイブレーク。勢いを得ていたのは、0-4から追い上げ5-5に並んだ、錦織の方でした。

勝利まで……初のグランドスラム準決勝まで、あと2ポイント――。

客席からの声援はこの日最大級を迎え、若きスターの誕生を待ち望んでいるようでした。

しかし錦織は「バックハンドで焦ってしまって」、チャンスボールをワイドに打ってしまいます。次のポイントでは、93マイルにまでスピードを落としたバブリンカの深いセカンドサービスにタイミングが合わず、これもふかしてしまいました。

第4セットを落とし、試合は4回戦に引き続きファイナルセットへ。

「悔しい思いは、尋常じゃなかった」。

錦織は、振り返ります。

普通に考えれば、「尋常じゃなく」嫌な流れ。しかし錦織は、「忘れて、次のセットの1ゲーム目から集中しようと思った」と言います。同時に彼は、自分がファイナルセットでの戦績が良いことも知っていました。

「僕は5セットが好きだし、過去にも良い結果を残している」。

実は錦織の、第5セットの勝率は歴代1位。そんな実績も、彼に力を与えていたかもしれません。

一方で追い上げていたバブリンカにしても、どこか流れに乗り切れないと感じていたようでした。

「第2セットの3-3のゲームで、自分にはブレークチャンスがあった。あれを取れていれば、全く試合は異なる展開になっていたはずだ」。

選手の胸中とは、外野からは、なかなか推し量れないものです。バブリンカは、その後多くのブレークポイントや重要な局面がありながらも、とっくに過ぎたと思われた第2セットでの数ポイントが、心のどこかに引っかかっていたというのです。そして彼が、最後までリズムをつかめきれないと感じていた最大の理由は、錦織がかけてきた「プレッシャー」にありました。

「試合が進むにつれて、彼(錦織)はどんどんプレーが良くなってきた。そのせいで僕は、常にどこか迷いながらプレーしていた……」。

バブリンカはそう認めます。

その「迷い」が、第5セットで3つあったブレークポイントを、一つも物に出来なかった一因でしょうか。特に1-1からの第3ゲームでバブリンカが15-40とリードしますが、ここからの彼はベースライン遥か後方に下がり、どこか消極的に見えました。対する錦織は、この窮地でますます速いタイミングでボールをさばき、前に前にと踏み込み深いショットを打ち込みます。バックのクロス、さらにはフォアのクロスウイナーで、危機を切り抜ける錦織。「(試合の)最後の方は、打ち合いになっても負けてなかったので自信があった」。勝者は試合後に、控えめな口調で述懐しました。

第5セットは、当然のように疲れがあったという錦織。それでも彼は、最後の最後、重要な局面で集中力を研ぎ澄まします。わずか37時間ほど前に、4時間19分の熱戦を終えたばかりの小柄な身体の一体どこに、4時間戦ってなお「ギアを一段上げて」いく力が残っていたのでしょう? 5-4からの相手のサービスゲームでは、「しっかり腰を落として、集中するのを意識した」と彼は言います。そんな錦織の気力に、そして圧力に気圧されたかのように、15-30の局面でダブルフォールトを犯すバブリンカ。ついに錦織に、2本のマッチポイントが訪れました。

1本目は、ワイドに逃げる119マイルのサービスで、バブリンカがウイナーを奪います。

2本目――ファーストサーブはラインを大きく割っていきます。セカンドサーブは、高く跳ねるキックサーブ。身体を倒し、伸びあがるように返す錦織。そうして2打後……錦織がフォアのクロスで鋭角に相手を振ると、バブリンカの返球は、力なくネットを叩きました。

勝利の瞬間、錦織は反射的にファミリーボックスを見やります。コーチのチャンや両親を含む皆が跳び上がり喜ぶ姿を見ながら、「疲れていて、喜ぶ元気もなかった」錦織は、少し表情をほころばせて、両手で拳を握りしめました。

この時、時計の針がさしていたのは、19時28分。ニューヨークの長い夏の日も、さすがに地平線の向こうに姿を消しています。4時間15分の死闘を見届けたセンターコートのファンたちは、立ち上がり、拍手を送り、指笛を鳴らして両者の健闘を湛えました。ファンも一体となり作りだす、ナイトマッチのような高揚感――。ニューヨークの夜特有の熱気と喧騒と温かさが、24歳の準決勝進出者を包み込みました。

※テニス専門誌『スマッシュ』facebookより転載。

この他にも、ダブルスでベスト4進出を果たしたクルム伊達戦の模様も掲載。大会期間中は毎日リポートをアップしています。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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