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【テロとの戦争から20年】フランスの視点 テロ事件を追う

小林恭子ジャーナリスト
2015年のテロ事件の公判開始を数日後に控え、パリのカフェで飲食を楽しむ人々(写真:ロイター/アフロ)

 2001年9月11日の米同時多発テロ(「9・11テロ」)は、イスラム教過激組織アルカイダが引き起こしたものだった。

 アルカイダとは「主に欧米諸国及びイスラエルに対するテロを主張するスンニ派過激組織。米国及びその同盟国を主な攻撃対象とする『グローバル・ジハード』を主張」する(公安調査庁)。その指導者は、9・11テロを首謀したオサマ・ビンラディンであった(ビンラディンは、2011年5月2日、潜伏していたパキスタンで米軍の特殊部隊に殺害された)。

 9・11テロ以降、イスラム過激主義の若者たちによるテロ行為が相次いだ。

欧州で発生したイスラム系テロの一部

2004年3月、スペイン・マドリードの列車爆破テロ

同年11月、オランダで映画監督銃殺事件

05年7月、ロンドンの公共交通機関を使ったテロ

2015年1月、フランスの風刺雑誌「シャルリ―・エブド」襲撃事件

同年11月、パリ同時多発テロ

16年3月、ベルギー・ブリュッセルの連続爆破事件

同年7月、仏ニースのトラック暴走事件

17年5月、英マンチェスターのコンサート会場での自爆テロ

同年8月、スペイン・バルセロナ中心部での車の暴走事件

2020年10月、授業でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を見せたフランスの中学教師が、パリ郊外で殺害される

 テロの実行犯の多くは,欧州域内に居住している移民やその背景を持つ者であった。

なぜ市民がテロリストに?

 一体、「普通の市民」がいかにして「凶悪なテロリスト」に変貌していったのだろうか?

 朝日新聞ヨーロッパ総局長国末憲人氏は、丹念な現地取材を基にその謎を解く本『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)を上梓している。

(『テロリストの誕生』表紙撮影、筆者)
(『テロリストの誕生』表紙撮影、筆者)

 同氏は1980年代後半のパリ留学後、朝日新聞でパリ支局員、パリ支局長などを歴任し、フランス社会や政治についての造詣が深い。9・11テロの位置づけも含めて、テロ事件の背景について、ロンドン市内で話を聞いた。

***

―2001年の9・11テロ発生当時は、パリ支局勤務でしたね。

 国末氏:その時は出張に行っていて、ベラルーシにいたんですよ。ルカシェンコ政権のまだ最初の方です。再選の大統領選挙があって、1週間ぐらい行ってました。(ベラルーシからパリに戻る)乗り換え地となったミュンヘンで、何か大変なことがあったらしいと乗客が話していたんです。それで会社に電話したら、ニューヨークで飛行機が(世界貿易センタービルに)突っ込んだと。

 (9・11テロの)犯人の軌跡を追う連載企画を何人かで取材をしました(後に『テロリストの軌跡』として書籍化され、新聞協会賞受賞)。2001年の11月から12月、一番先に(ビルに衝突した)飛行機を操縦していたモハメド・アタの家にも行きました。

モハメド・アタとは:米同時多発テロでは、アメリカ東部を飛行していた旅客機4機が計19人の実行犯グループに次々とハイジャックされたが、4機のうち2機は、ニューヨークの世界貿易センタービルに突入。午前8時46分、最初に世界貿易センタービルに激突したアメリカン航空11便に乗っていたハイジャック犯5人の主犯格が、エジプト出身のモハメド・アタ容疑者だった。(BBCニュース

 カイロにある、子供のころに住んでいたという家を見に行きました。普通の子供部屋がそのまま残っているんですけれど、小さな窓が開いている。「ひょっとして、クーラーじゃない?」と聞いたら、(案内してくれた人が)「そうだ」というわけですよ。当時のエジプトで、クーラーを持っている人はあまりいなかった。そういう、結構裕福な家の子だったんです。

―特にアメリカでは9・11テロは非常に大きな事件としてとらえられていますよね。アメリカ以外の国ではどう見えたのでしょう。

 フランスからの視点になりますけど、アメリカほどは大きいテロとは思わなくて、自分でも、大きな事件で話題になるけれど、歴史を変えるものでは、たぶんない、と。おそらくこれも、そうじゃないだろうかと思っていました。

 どうしてかというと、インタビューした人もこう言っている人が多くて、仏シンクタンク「国際関係戦略研究所」のパスカル・ボニファス所長は「歴史を変えるものではない」、と。「ただし、混乱を起こすだろう」という風な回答でした。

 結果的に、20年経って、終わってきましたよね。小さなテロはありますが。

 今はテロが優先課題になることはなくて、中国、あるいはコロナ、気候温暖化などの方が優先化されています。おそらく、2001年のテロ前もそうだったと思うんですけれども。

 10年、20年の期間ではイスラム教に関心を持つ、あるいは中東に焦点を当てる効果はあったけれども、おそらく、大きな流れでいうと、例えば冷戦崩壊とは・・・。

―違う、と

 違うと思いますね。

冷戦とは:第二次世界大戦後、アメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営(西側)と、ソ連を中心とする社会主義陣営(東側)とが、世界的規模で緊張状態を生み出した。この対立構造は「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれ、1989年に米ソ両国首脳が冷戦終結を宣言するまで続いた。(NHK高校講座「世界史」

―9・11テロはアフガニスタンへの侵攻をはじめとする「テロとの戦争(War on Terror)」につながっていきました。アルカイダやビンラディンの討伐という当初の目的が次第に変わっていきました。9・11テロ自体というよりも、その後のテロとの戦争で影響が大きくなってしまったように思います。法を必ずしも順守しない米国という悪い印象を世界に与えてしまったような感じがします。

テロとの戦争とは:2001年の9・11テロを契機とした、米政府による国内外のテロリズムとの戦い。同年10月7日、アフガニスタン侵攻、2003年3月、イラク戦争開始。本来はテロ組織絶滅だった政策目標を大量破壊兵器保有国抑え込みへとつなげ、国際法無視の先制攻撃戦略へと拡大。特にイラク、イランと北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、イラクのフセイン政権を03年前半に軍事力で打倒した。(コトバンク他)

 そうですね、直し方を間違ったもんだから、よけい傷を広げてしまって、ちょっとした切り傷だったのが、化膿しておかしくなったという感じですね。

朝日新聞に掲載されていた記事の中で、アメリカのブラウン大学の調査(「戦争のコストプロジェクト」)があって、テロとの戦争で約90万人が亡くなったそうですね。9・11テロで3000人が亡くなって、その後のテロとの戦争で約90万人というのは大きいですよね。約100万人です。

 ブラウン大学の調査を見ると、大体100万人ですが、あれは間接的ですよね、直接的にはテロで亡くなった人は十数万人ぐらいではないでしょうか。

 ヨーロッパで一番大きい犠牲者が出たのは、マドリードの列車事故(2004年)でした。191人です。テロで亡くなった人は9・11テロと比べると、規模が違いますね。

 フランス国際関係研究所の研究部長マルク・エッケルさんがいうには、9・11テロが起きたときに、アメリカが大騒ぎした理由が2つあると。1つは、脅威が何もない時に起きたから、大変だったということ。冷戦が終わって、核戦争が遠のいて、脅威というのが何もない時にポンと起きたから、大変だった、と。

 もう1つは、アルカイダがどれだけの実力を持っていたのかが、わからなかったことがあるそうです。

 9・11テロを思い起こすと、あれが初めで、どんどんエスカレートしていく、例えば化学兵器のテロや、核にいく、と。そういう風に最初思ったんですね。結果的に見ると、9・11が最高峰で、だんだん下がっていったことになります。

 アメリカにとっては、情報がなかったというのがあると思いますね。

ドイツとフランスがイラク戦争反対の意思表示

―欧州では、9・11テロの直後、一旦はアメリカに集まった同情や支援がテロとの戦争が進むにつれて、一挙に減じていきました。「違法な」イラク戦争(2003年3月開戦)への反対運動も起きました。

 当時のフランスのシラク大統領、ドイツのシュレーダー首相はイラク戦争反対でした。

 イラク戦争の前後にドイツで実施された世論調査があります。ドイツは、大体、好きな国はずっとアメリカなんですよ。フランスは嫌いなんですよね(小林注:第二次世界大戦中、ドイツとフランスは敵国同士だった)。

 ところが、2002年に急に変わったんですよ。一番好きな国がフランスになった。

 これは一時的かもしれないけれど、ひょっとしたら、大きな変化の前触れかもしれないとコメントをしている人がいて、結果的に、やはり大きな変化の始まりで、今EUは独仏関係の協調でもっていますが、それが始まったのは2002年だと思うんですよ。

 それまでは、ドイツはアメリカを見ていて、フランスはドイツを信用していなかった。イラク戦争に対する反対とブッシュ政権に対する不信感が独仏を結びつけたのではないかと思うんですね。今は、独仏関係はそれなりにお互いを尊重している関係になっていますね。

9・11テロと欧州のテロ

―欧州のテロについてお伺いしたいんですが、オランダの映画監督の殺害(2004年)から、大きな、象徴的な事件が立て続けに起きました。9・11テロからテロとの戦争の展開につながっているのでしょうか。

 つながっていると思います。同じネットワークですから。

 まず、アルカイダ。「イスラムテロのハーバード(大学)」と言われているのですが、アルカイダに入れば、テロリストとしてはエリートと思われるんですね。

 アルカイダが(アフガニスタンの)ジャララバードに訓練所を作って、これに入ったのが、(9・11テロ主犯の)モハメド・アタであったり、フランスはジャメル・ベガルという男だったり、ベルギーのアブデサタール・ダーマンだったんです。

ジャメル・ベガルとは:アルカイダの元主要人物。

アブデサタール・ダーマンとは:ベルギー在住のチュニジア人で,アフガニスタンに渡航してアルカイダに参加し,「タリバン」と敵対していた「北部同盟」のマスード司令官を爆殺した(2001年9月)。(公安調査庁

 ダーマンはチュニジア人ですが、ベルギーで学生になり、そこからアルカイダに入りました。

 その同僚で、同じフランス語圏出身者で一緒にいたのが、ジャメル・ベガルです。彼がフランスに戻って刑務所に入って、刑務所の中で出会ったのが、シャルリ・エブド事件を実行するシェリフ・クアシなんですよ。

―兄弟(シェリフ・クアシと兄のサイード・クアシ)でしたね。

 ええ、兄弟です。兄弟の片一方と、アメディ・クリバリというアフリカ系が出会っている。そこで、新しいチームを作ってやったのが、シャルリ・エブド襲撃です。

シャルリ・エブド襲撃事件とは:2015年1月、風刺週刊紙「シャルリ・エブド」の編集部などが襲撃され17人が死亡した事件。2020年12月、イスラム主義者の被告14人に有罪判決が出た。シャルリ・エブドとユダヤ系食品店で多数が射殺されたほか、女性警官も銃撃を受け死亡。食品店を襲撃し射殺されたアメディ・クリバリ、クアシ兄弟は当局に射殺された。(BBCニュース等)

―日本でなかなかわかりにくいのが、テロリストたちが何を達成しようとしているのか、という点です。自国に対する何らかの不満というのがあると思うんですけれど。

 9・11のときに3つ挙げていたと思うんですけれど、1

つは、自国政府の、親米の軍事政権を倒す、と。2つ目がイスラムの領土から、ユダヤ人とキリスト教徒を追い出す、と。もう1つはカリファの国(イスラム教徒の国)を作る、と。一種の政治思想ですよね、。

―シャルリ・エブドの実行犯は「イスラム過激主義のシンパ」と呼んでいいのでしょうか。

 シンパから入っていったんですけれども、ただ、軍事訓練を受けていますからね、モチベーションを抱いて、暴力の訓練も受けてやっているので、軽い気持ちではないと思いますよ。彼がどれだけ思想を分かっているかというと、おそらく、コーランは読んでいないでしょうね。理解してやっていても、理解は非常に浅いでしょうね。

 (テロ組織は)3層で考えた方が良くて、一番上はアルカイダとかIS(「イスラム国」)の中東の本部の人たちで、しっかりした理論を持っていて、理論と言ってもつぎはぎの理論ですけれども、戦略をたてている。

 その下にリクルーターがいて、彼らがいろいろな作戦を組織して、人を集める、と。

 一番下層の第3層というのが、ホームグロウン(自国で生まれ育った)で、ベルギーやフランスなどアフガニスタンにいて、「お前たち、こうすれば、将来天国に行ける」などと言われて、引き寄せられる、と。

―ある意味では、テロ行為が生きる糧になるというわけでしょうか。

 生きがいであり、死にがいである、と。

―欧州の文脈で考えると、オランダの映画監督殺害事件、シャルリ・エブド、それに去年、フランスで学校の先生の首が切られた事件がありました。自分たちの宗教が侮辱された、という思いを持つのでしょうか。

 そう主張していますが、それはあくまで口実だと思います。また、宣伝できるターゲットだと見なしているのは間違いありません。シャルリ・エブドは、「アラビア半島のアルカイダ」の明確な標的リストに入っていました。欧州で唯一リストに入っていたのが、シャルリ・エブドの編集長です。

アラビア半島のアルカイダとは:イエメンを拠点に活動するスンニ派過激組織。イエメン政府,サウジアラビア政府及び欧米権益に対するテロを実行。(公安調査庁

 実行犯はイエメンに行って訓練を受けているので、「あいつをやれ」と言われている。自分で考えているわけではなくて、ちゃんと指示を受けてやっている。かなり組織的です。

 2020年の事件で教師の首を切ったのは、チェチェン出身の若者でした。彼を感化した男は、シャルリ・エブドの実行犯と共通の友達を持っているんですよ。人が全部つながっているんです。

 非常に狭い世界で、例えば10人グループが何カ所かにいる感じのものがすべての騒ぎを起こしていると考えたほうがいいんじゃないかと思います。

―その下にいろいろなグループがあって、つながっている、と。

 1人で実行するテロの研究をしている人がいて、結果的にローンウルフ(「一匹狼」)テロリストはあり得ない、と言っています。ローンウルフに見えるのは背景が分からないだけで、誰かにつながっている、と。

 ウェブで見て、「そうだ、テロをやろう」となって人を殺す、というのは考えにくいんですよ。人を殺すことは、ハードルが高い。友達と一緒になって、これは殺してもいいんだと刷り込みを受けた上でしないとできない。

 フランスで137人のテロリストを調べた例があって、この中でローンウルフだった人はゼロです。結局、みんなどこかでつながっている。

裁判記録を調べ上げてわかった、定説をくつがえす「テロリストの実像」(2018年5月24日、朝日新聞GLOBE)

―ロンドンの「7・7テロ」(2005年7月7日)の実行犯たちもどこかでつながっているのでしょうか。

 可能性は高いと思います。

フランスの政教分離の原理

―表現行為に攻撃をかけられると、欧州ではとても動揺してしまうんです。風刺画を含めた表現を出さない方がいいのかと悩んでしまう。イギリスの場合は、出さない方向に進みます。フランスは、いや、これは出すべきだから出す、という方向に進んでいくようです。欧州はどうするべきなのか。風刺画のようなものを出していいのか、出すべきではないのか。

 フランスはちょっと特別な感じがするんですけれど、政教分離の伝統というか、ある意味政教分離原理主義みたいなところがありますので、元々、イスラム教の布教を兼ねたデモンストレーションに批判的なところがあるんですよね。

 ここは政教分離なんだということを説教したがる。そういう、説教をしたがるのがああいう事件につながってしまうと思うんですけれど。特に左派に多い。シャルリ・エブドは左翼ですから、やはりイスラム教にきびしい。

―イギリスはイスラム教徒の市民(=ムスリム)のことを考えて、どっちつかずになる。

 イギリスはあんまり関心がないんじゃないかと思ったりしますけれどね。

―そうかもしれませんけれども。

 英国はかつて多文化主義を掲げていましたが、キャメロン首相時代の2011年に止めると言っていて、方針が変わっている。

多文化主義とは:異なる民族(エスニック集団を含む)の文化を等しく尊重し、異なる民族の共存を積極的に図っていこうとする思想、運動、政策。(コトバンク他)

2011年2月5日のミュンヘンでの演説で、「ホームグロウンテロリズム」(イギリス生まれイギリス育ちの者によるテロ)に対処するためには、イギリスでそれまで実施されてきた「政府主導の多文化主義」を廃棄しなければならない、とキャメロン首相が述べた。(「多文化主義の『危機』」望田研吾教授、慶應義塾大学出版会

 もともと、コミュニティを作って、勝手にやってくださいというのだったのですが、フランスはそうじゃなくて、昔は同化主義と言っていて今は統合主義と言いますけれども、要するに、共通のところを見て、違うところはあってもいいけど、共通のものを持たなければいけない。

 共通のものというのは、共和国の市民としての意識であって、政教分離の意識であって、…という風な原理原則を持っていますから、多分、それに触れるのを嫌がるんだと思います。

 ここイギリスはそういった原理原則がない、何でも放り込めばいいという国だから。

―自分としては、だからここにいるとほっとします。ロンドン近辺は様々な国籍の人や人種の人がいますから。デンマークの風刺画事件(2005-6年、デンマークの新聞がイスラム教をテーマにした風刺画を掲載したことがきっかけで、中東や欧州各国で大論争が発生した)で、現地のムスリムの人に聞くと、ああいう風刺画は出してもいいんだけれども、個人的には傷つくと言っていました。風刺画の掲載を決めた新聞の当時の文化部長があるポッドキャスト番組に出演し、掲載を後悔していないと話していました。でも、移民が増えたりして、社会の構成が変わっていくとき、自分たちの価値観に合わせなさいというのは、傲慢な感じがするのですが。

 イスラムの考え方はいろいろあると思うんですけれども、僕はフランスに長い間いたせいもあるかもしれませんが、ある程度フランスの考え方を理解できるところがあって、つは、移民と少数民族の扱いは、当然ながら違うんですよね。

 今の一般的な人権の世界でも、移民の文化を100%認めようという人はいないと思います。移民で来たら、それなりに(自分の)文化を捨てて、相手の規範に入るのは当然だ、と。ただ少数民族はそういうわけにいかないですが。移民の場合は帰るところがあるから、と。

 例えば、一夫多妻制はだめですよ、というのが基本ですよね。移民の(価値観を)100%受け入れることはないだろう、移民の権利はある程度は制限されるのは当然だろう、と考えるんです。

 次にムスリム市民なんですけど、実はマイノリティ(少数派)かというと、世界に13億人いるんですよね。

―世界的には大きいですよね。

 そうすると、彼らの文化を各地でどこまで守る必要があるのかというと、疑問が生じます。あえてフランスに来ている人々の文化をすべて守る必要があるのか、と。

 移民の第1世代というのは、かなりフランス人化しているんですね。テロリストはだいたい2世です。

 1世がお酒を飲んで、豚肉を食べて(注:イスラム教徒はアルコール飲料や豚肉を摂取しない場合が多い)、フランス共和国万歳になってやっているのは、それはそれでいいわけです。何で先祖返りした若者が主張するイスラム主義を守らなきゃいけないのか、という疑問が1つ生じます。

 もう1つ例を挙げると、いわゆるスカーフ問題です。1989年、パリ近郊の町クレイユで3人の女生徒が始めた行動です。それまで、学校ではイスラム教徒もスカーフをかぶる習慣があまりなかったんです。それをあえて始めたのは、ムスリム同胞団系の団体の政治運動だったんですよね。スカーフをかぶろう、というキャンペーンだったんです。

ムスリム同胞団とは:イスラム教の国際的な宗教・政治組織。道徳的腐敗や不平等の拡大を排撃し,『コーラン』や『ハディース』などの教えに立ち返って理想的な現代イスラム国家を建設することを主張する。エジプトで1920年代末に創設された。(コトバンク他)

 これに対し、学校側が「学校でそんなことをするのは許さない」と言って、そこからスカーフ問題が大きくなっていったんです。

―女生徒が学校でスカーフをかぶることに政治的な意味があった、ということですか?

 少なくともフランス側はそう取っていて、もしそうなら規制するのは当然だ、と考えたのです。学校に政治を持ち込んではいけない、と。

 こういう経緯を理解しないで、イスラム教徒の人権を守れとひたすらいうのは、ちょっとどうかなという感じはしますね。

―アメリカのテロに対する反応はかなり批判的に見ていらっしゃったんですか。

 アメリカはそれまで、イスラム教世界と付き合う経験が少なかったですよね。分からないから騒いだのかなあという感がしていました。

 特にブッシュ大統領(ジョージ・W・ブッシュ、在職2001―09年)の時です。ブッシュは、昔の冷戦時代の発想を持っていて、(当時の国家安全保障問題担当大統領補佐官の)コンドリーザ・ライスもロシアの専門家です。ですから、テロをパワーバランスの面から、国と国との争いという風に受け取ったのです。

 テロは犯罪の面が強いですから、もっと丁寧にやらなきゃいけないところを、空爆で解決しようとしたところに問題があったのではないかと思いますね。

 クリントン大統領(在職1993-2001年)やオバマ大統領(在職2009-17年)だったら、違ったやり方だったかもしれませんね。

―9・11テロの発生直後は、世界中から米国に対し、大きな同情と共感が寄せられました。テロとの戦争になって進んでいくうちに、こうした支持が消えていったように思うのですが。イラク戦争についてはどう見ていらっしゃいましたか

 僕は戦争前にイラクに2回行ったんですけど、当時はフセイン政権(大統領在職1979-2003年)の末期。行ってみると、もう国がボロボロなんですよ。何でも賄賂を払わないといけない。湾岸戦争以来、制裁が続いていたので、いろいろなところに穴が開いていました。

湾岸戦争とは:1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻に端を発し、翌91年1月に米欧軍を主とする多国籍軍のイラク攻撃によって起こった戦争。「クウェートは歴史的にみて自国の領土である」などといった論理に基づくイラクの侵攻による湾岸危機に対して、アメリカはただちに国連安全保障理事会の開催を求めた。安保理は、イラクの行動を非難するとともにイラクの即時無条件撤退を要求する決議を採択、さらに対イラク経済制裁決議、イラクのクウェート併合不承認決議、イラク空域封鎖決議、対イラク武力行使容認決議などを相次いで成立させた。(コトバンク

 (2003年3月のイラク開戦はその理由として)大量破壊兵器を作っているという話だったじゃないですか。でも、行って見ると、とてもそんなものは作れない状態でした。ただ、「作れない」というのを証明するのは難しいですから。

 アメリカ人がイラクを事前に十分に調べていたら、当然そんなのを作るのは無理だということが分かっていたと思うんですよね。大量破壊兵器を作って、アメリカにテロを起こすような元気がある国ではなかったですよ。

―イラク戦争が起きた後にも行かれたんですね?

 そうです。戦後は、大混乱になっていました。

 今、テロの中心はアフリカに移っています。ボコ・ハラムやマグレブのアルカイダです。リビアから流れた武器が彼らのもとに浸透していますよね。リビアが崩壊したのはすごく影響が大きい。それを、空爆までしてつぶしたのは欧米諸国ですから、その判断が正しかったかどうかはもっと検証すべきだと思います。

ボコ・ハラムとは:ナイジェリア北東部及び北部を拠点に活動するスンニ派過激組織。近年,治安当局のほか,一般市民へも攻撃対象を拡大。(公安調査庁

イスラム・マグレブ諸国のアルカイダとは:アルジェリア等を拠点に活動するスンニ派過激組織。「アルカイダ」に忠誠を誓う。(公安調査庁

リビア空爆とは:2011年3月、リビア最高指導者カダフィ大佐の支持派勢力と反体制勢力の間で衝突が激化する中、リビア市民の人命保護のため「必要なあらゆる措置」を容認する国連安保理決議1973の採択を基に、米英仏が開始した空爆。同年8月、カダフィ大佐が支配した長年の独裁政権が崩壊した。その後、イスラム過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大し、混乱が続いた。2016年9月、英下院外務委員会は英仏主導の軍事介入が「北アフリカでのISの台頭につながった」と結論付け、キャメロン英首相(当時)に最終的な責任があると指摘した。(時事通信、2016年9月14日付他)

―リビア空爆については?

 僕は反対でした。リビアには2回行ったことがあって、2004年と05年に行ったんですけど、それは、イラク戦争が終わった後に今度、リビアのカダフィが核兵器廃棄を表明し、その取材でした。カダフィは核兵器の計画を投げ出して、アメリカに降参したはずだったのですが。

 空爆して、ろくなことはないですよ。市民を巻き込みますし、ピンポイントができない、悪いところだけにメスを入れることができない。腫瘍ができたら、腕を全部取ってしまうような世界。それはどうかと思うんです。

―日本はどんな感じに見ていらしたのでしょう。

 日本もイラクに自衛隊を派遣しましたよね。

自衛隊の中東派遣:2001年に米同時テロが発生すると、当時の小泉純一郎首相が米国への支持を表明。テロ対策特措法の制定後、インド洋での多国籍軍への給油のため、海上自衛隊の護衛艦や補給艦を中東に派遣した。03年のイラク戦争では、イラク特措法を根拠に陸上自衛隊をイラクに送り、人道復興及び安全確保支援活動を行った。陸自はイラク南部サワマの宿営地で活動し、2006年に撤収。航空自衛隊は2008年12月まで輸送活動を支援した。(日本経済新聞防衛省・自衛隊他)

 欧州ではドイツも日本と同じく、武力で問題を解決できない、ある意味で縛られている国です。それはそれでやりようがあって、それでやってきたのがこれまでで、決して間違ってなかったじゃないかと思います。

 今後、このままいくかどうかはわかりませんけど、問題があると直ぐ空爆するアメリカのようなやり方とは違う方法を地道にやっている国があって、それなりに評価を受けているのは、いいことだと思っています。

 武力を完全に否定するわけではないです。タイムズ紙のオピニオン欄にデービッド・アーロンビッチさんが記事を書いていて、ルワンダ大虐殺の場合と比較しているんですね。

ルワンダ虐殺とは:多数派民族フツの政府や軍が、少数民族ツチの抹殺を狙った事件。1994年4月、フツのハビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜されたことが引き金になった。フランスのミッテラン政権(当時)はハビャリマナ政権を支持していた。虐殺発生後は人道介入で仏軍を派遣。避難民の保護地域を設けながら、フツ民兵の蛮行を積極的に止めなかったという批判があった。2021年5月、ルワンダを訪れたマクロン仏大統領は、約80万人が死亡した虐殺事件でフランスの責任を認めた。(産経新聞

 ルワンダは介入しなくて批判されたわけですけど。だから、介入しなければいいというものでもない、というのは確かだと思うんですね。

 アメリカは全然地域研究をしないでやっているわけですから。イラクがどんな社会かも知らなかった。

―でも、本当にやっていないんですかね。なぜこうなるんでしょうね。

 学問の系統が違っていて、アメリカやイギリスは国際政治で全てを語ろうとする傾向が強いという話を聞いたことがあります。

 国際政治学は、実は、世界ではアメリカとイギリス、日本と韓国程度にしかない学問だといいます。フランスには、明確な形ではないんですよ。国際政治学とは何かというと、要するに政治が何をするか。政治ばっかり見ている学問、との印象をフランス人は抱いているように思います。

 フランスに多いのは地域研究。基本的には社会学なんですね。そうすると社会の中に入らざるを得ない。その国の社会を見ていないと、おそらく本当の介入はやりにくいのではないか。

 でも、フランスもいつも見ているかというとそういうことはなくて、ルワンダでは失敗しています。

―最後に、イギリスから見ると、マクロン仏大統領は右派化、保守化して、対イスラム教徒には非常に頑なになっているように見えますが、フランスの中ではどう受け止められているのでしょうか。彼に対する違和感はあるのでしょうか。

 マクロンに対する違和感は強いらしいですけれど、彼としては、もとから移民に対して融和的というのはないと思いますね。共和国の原理の推進者として来ていますので。

―極右政党・国民連合(旧「国民戦線」)のルペン党首への対抗という面もあるのでしょうか。

 ある程度はあるかもしれないですけど、彼は元からそうなんです。インテリになるとこういう人が多い。

 ムスリムとの融和というのは…「ムスリム」という時、どの人を指して言っているのか、よくわからないのですが、一般の市民の間ではイスラム教徒という意識が強いかというと決してそうではなくて、もっと違うアイデンティティをいっぱい持っているわけで、普段、宗教のことはあまり考えていない人が多い。最近、宗教回帰という面はありますけど。

 イスラム教に配慮すれば、ムスリムのためになるかというと、決してそうではなくて、ムスリムであっても、それが主要なアイデンティティかどうかは分からないですから。

―すると、かえって、イスラム回帰主義を加速させる・・・

 その可能性はあると思いますね。日本で、フランスのイスラム社会のことをあたかも敬虔なムスリムであふれている社会として書いている人が何人かいますが。

―私もそう書きがちなんですが。

 僕はちょっと違うと思いますね。

 フランスの学者ジル・ケペルが著書の中でこう書いています。一方で最近テロリストが出ている、と。だけれども、その一方でムスリムの中で選挙に出る人がいっぱいいるというんですね。地方選とかあるいは国政にも出ると。左派からも右派からも出るし、国民戦線からも出ると。

 これは2010年頃以降の傾向で、政治に参加しようという意識が非常に高まっている。それは原理主義やテロに行くのとは、全く逆の方向です。

 おそらく、社会は原理主義ではない方向に全体としては流れていて、その反発として、いろいろなテロとかなんかが時々出てくるんじゃないかと思うんですね。そうすると、社会の流れというのは、そんなに危険な方向ではなくて、ある程度の統合の方に行っている、と考えることもできます。

 今、移民3世、4世の世代になってきているので、そうすると、若干の差別とかはあるにしても、彼らはフランス社会の中で生きていくしかないですし、大体アラビア語が話せないですし。

 そういう意味では、社会全体は脱イスラム、脱アイデンティティ、フランスのアイデンティティ化の方向に行っていると思います。そうすると、日本での受け止め方とは違うかなあと。

 確かに、名前もムスリム系だと就職できないとか、差別はあります。一方で、差別されているから、テロが起きるんだという短絡的な関係は、違うと思いますね。

 テロリストって、もっと少数集団ですから。一般のムスリム全般を代表してでてくるものではないですからね。みんなアルカイダにつながるネットワークなんです。

欧州で活動中の国末氏(本人提供)
欧州で活動中の国末氏(本人提供)

国末憲人氏のプロフィール:1987年に朝日ジャーナルに掲載された「アフリカの街角から --サバンナ人間紀行」で朝日ジャーナル大賞優秀賞を受賞。朝日新聞入社後は地方局での勤務を経て、2001年〜2004年パリ支局員、外報部次長の後、2010年までパリ支局長。2019年5月まで2年8か月間、朝日新聞GLOBE編集長。2019年からヨーロッパ総局長。共著の『テロリストの軌跡』(朝日新聞アタ取材班、草思社、2002年)で新聞協会賞受賞。『ポピュリズム化する世界 --なぜポピュリストは物事に白黒をつけたがるのか』(プレジデント社、2016年)、『ポピュリズムと欧州動乱 --フランスはEU崩壊の引き金を引くのか』(講談社、講談社+α新書、2017年)など、著書多数。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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