ドイツ国家ブランド指数1位に 文化は経済を生む要因 ヴィースバーデンで文化に浸る
国家ブランド指数の評価で2018年、ドイツは世界1位となった。経済を生む要因の文化はなぜ重要なのか。過去10年ほど常にトップ3位入りしているドイツのイメージとは。
アンホルトGfKローパー国家ブランド指数(Anholt-GfK Nation Brands Index、NBI)の評価でドイツは2018年、世界1位に選ばれた。今回の1位は5回目で、過去10年ほど常にトップ3位入りを果たしている。
このランキングは世界50ケ国の市場イメージを30項目に及ぶ評価要因を「輸出」「統治」「文化」「人々」「観光」「移住/投資」の6分野に分けて評価したもの。
英国人サイモン・アンホルト氏の考案したNBIは、ドイツのニュルンベルクに本拠を置くマーケティングリサーチ企業GfKと共同で2005年より毎年市場イメージを発表している。
アンホルト氏は、今年8月にドイツのイメージを「僕にとって驚嘆の国、ミラクルだ」と感想を述べている。
カギは経済と文化
2018年の評価のうち、輸出(3位)と統治 (4位) 分野のランキングは2008年と同じだった。注目したいのは、文化分野では4位から3位に、観光分野では10位から9位にランクアップしている点だ。
訪日客の爆増は、近年大きな経済効果の恩恵をもたらしている。ドイツもしかりで、文化は観光につながり経済を生む要因として今後も期待される分野である。
NBIグローバル局長のヴァディム・ヴォロス博士は、ドイツの歴史遺産や旅の魅力におけるアイデンティティーの土台となっている文化が持つ意味合いの詳細結果について次のように解説した。
「ドイツで文化と聞いて何を連想するかという問いに対して40%の人がスポーツと美術館・博物館と答えた。そしてデザイン、映画、音楽、造形芸術、オペラハウスと答えた人が20%から30%の間であった」
ここでは、ドイツのイメージを把握しやすい「文化/観光」に焦点を当てた。「文化の街」と称されるヘッセン州の州都ヴィースバーデンで文化の意義を考えた。
高級保養地と文化の街ヴィースバーデン
「歴史主義の真珠」と呼ばれるヴィースバーデンは、タウヌス丘陵とライン川にはさまれた温暖な街。歴史は古代にさかのぼり、この地にいたゲルマンのマティアカ族の名をとって「マティアカの水」と呼ばれていた。記録に残る最初の名前は「ヴィースバーダ」〈Wiesbada〉。「ヴィーゼのバーデン(草原の温泉浴場)」という意味とか。
古代ローマ時代から温泉地として知られ、保養と飲泉文化の地として栄えてきた。2000年前、26の源泉が見つかってからローマ人は温泉水の効用を評価して療法に活用した。
この街に湧き出る温泉は、生命維持になくてはならない必須ミネラルの塩化ナトリウムを多く含む46度から66度の塩類泉で、主にリウマチや呼吸器官治療に利用されている。泉源から湧き出る温水は、街全体で1日に2百万リットルという。
中世よりナッサウ伯の支配下にあり、19世紀にはサッサウ大公国として栄えた。第1次世界大戦でドイツ帝国が崩壊するまで、ドイツ皇帝や宰相、廷臣たちの夏の所在地として華やかな宮廷政治や外交がくりひろげられた。市街が美しく整備されたのもこの頃で、当時の面影を残す優雅な雰囲気は、今もあちこちに息づいている。
クアハウスにあるカジノは、文豪ドストエフスキーがルーレットに熱中して大敗したことで知られる。彼はのちにその時の体験をもとにして、ロマン長編小説「賭博者」を書き上げた。常連客ドイツの文豪ゲーテは、この街で65歳の誕生日を祝った。
充実した美術館と博物館
ヴィルヘルム通りは、世界のブランド品やインテリア商品、アクセサリーなど高価なものなら何でも入手できるショッピング天国。その南は、文化芸術関係の建造が立ち並ぶ美術館地区。クアパークのはずれには、展示会やコンサートが催される文化の家ヴィラ・クレメンティンや英国からの保養客のために建設された教会などがひっそりとたたずんでいる。
ドイツ連邦統計局の拠点として注目されるほか、この街が「文化の街」と称されている理由は、美術館と博物館が充実しているからだ。一番規模の大きい州立美術・博物館をはじめ、郷土博物館やローマ門前の野外博物館などがある。
さらにドイツ最大の統計専門図書館である連邦統計局図書館や州立図書館、ヘッセン州中央文書館や市立文書館、音楽図書館など文書館も完備している。
街の中心部マルクト広場周辺を散策していると、偶然この広場の地下にある市立博物館前の展示プラカードに目が留まった。
アウシュヴィッツ強制収容所で使用されたガスオーブンを製造した企業とホロコースト(ドイツナチスが行ったユダヤ人の大量虐殺)がテーマの「産業とホロコースト」特別展だ。
なぜこの街で特別展示?と興味がわいた。早速、居合わせた同博物館ディレクターのサビネ・フィリップさんに質問した。
「同博物館には市の歴史を知る展示品を多数常設しています。今回の特別展は『産業とホロコースト』がテーマです。収容者の殺害ガス室と火葬場で使われたオーブンは、主にエアフルトの『Topf&Soehne』社で製造されていました。この特別展示会は、マインツでの展示会に続き、8月よりヴィースバーデンで開かれており、2019年1月まで公開しています」
という思いもよらぬ情報を得て、吸い込まれるように館内へ入った。
1878年設立「Topf&Soehne」社の詳細については別の機会に記するとして、ここではごく一部を紹介したい。
同社は、1939年よりアウシュヴィッツをはじめ多くの強制収容所で使われたガス室や火葬場のオーブンを製造した。起業者の祖父から家業を受け継いだ父に続き、兄弟は会社経営を担った。そのうち一人は戦後エアフルトで青酸カリを飲んで自殺。もう一人はエアフルトを逃れ、ヴィースバーデンに移り住み、経営を再開したが、その後、マインツへ拠点を移した。
こうして同社とつながりのあった二つの都市が今回の巡回展示会場となった。なおエアフルトの本社跡地は、2011年より記憶と歴史を架橋する情報館に生まれ変わった。
これも負の遺産として歩んだ史実のひとつ。ドイツのイメージとして過去を帳消しにすることはできないが、今できることは次世代に過去の過ちから学んでもらうことだ。
NBIによると、欧州で文化探訪の旅の目的地として「ドイツは経済だけでなく、文化的イベントや文化財なども市場を牽引している」という。