ロシアの新軍事ドクトリン 「形を変えた侵略」とイスラム過激主義への脅威認識
異例の軍事ドクトリン改訂
2014年12月25日、プーチン大統領は軍事ドクトリンの改訂を承認した。
これまで軍事ドクトリンはおよそ7-10年周期で改訂されており、前回のバージョンは2010年に承認されたばかりであったから、かなり早い。しかしプーチン大統領は今年9月、軍事ドクトリンを年内に改訂するよう突如指示し、今回の改訂となったものである。
その中身を筆者も早速読んでみた(原文は安全保障会議のこちらのページから閲覧できる。日本語訳は筆者の運営するサイトWorld Security Intelligenceに掲載した)。
一読して分かるのは、新軍事ドクトリンが2010年のバージョンを全面的に改訂するのではなく、部分的な改訂・追加という型式をとっているという点だ。
たとえば新軍事ドクトリンは、紛争を武力紛争(限られた規模の武力衝突)、局地紛争(限定的な軍事・政治的目的のために二カ国以上の国家によって争われ、戦場や影響がそれらの領土内に留まる戦争)、地域紛争(重要な軍事・政治的目的を追求するために2カ国以上の国家が核・通常兵器を用いて同一の地域内で戦う戦争)、大規模紛争(根本的な軍事・政治的目標を追求するために国家連合または主要な世界的共同体間で行われる戦争。武力紛争・局地紛争・地域紛争からエスカレートして、複数の地域の多数の国家を巻き込んで行われる。全参加国のあらうる資源と精神力を動員する必要がある)の4つに分類しており、この点は2010年のバージョンから全く変化していない。
ロシアが直面する脅威についても、軍事的危険(特定の条件下で「軍事的脅威」へと至る可能性のある要素が集中している国家間関係)と軍事的脅威(実際に敵対国家と軍事衝突(武力紛争から大規模戦争までを含む)が起きる可能性がある国家間関係。または特定の国家(国家グループ)や分離主義者(テロリスト)が軍事力を使用する準備が高度に整っている状態)とに分類しており、これもやはり前バージョンと同様だ。
「非核抑止力」の概念
では、新軍事ドクトリンでは何が変化したのだろうか。
第1に、新軍事ドクトリン第1章に「非核抑止力システム(система неядерного сдерживания)」の概念が盛り込まれた。
これは「対外政策、軍事的手段、軍事技術的手段の総体であって、非核手段によってロシアに対する侵略を防止することを目的としたもの」と定義されており、後述する新たな軍事的環境において核以外の手段で抑止力を確保するためにロシアが最近、重視している概念だ。
厳しい国際環境認識
これに関連する第2点として、新軍事ドクトリンは現代の国際情勢の潮流を次のようにまとめている。
- 国際的・地域的な相互作用において、様々な分野でグローバルな競合が激化している。
- 多くの紛争が制御されず放置されている。既存の国際安全保障アーキテクチャ(システム)は全ての国家に平等に安全保障を提供できていない。
- 情報空間及びロシア国内領域における軍事的危険及び軍事的脅威が変化する傾向が生まれた。ロシア連邦に対する大規模戦争が行われる蓋然性は低下したにも関わらず、ロシア連邦に対する軍事的危険は増加している。
従来の軍事ドクトリンであれば、まず最初はイデオロギー対立の後退によって核戦争を含む大規模紛争の蓋然性が低下したことが指摘されていたが、新軍事ドクトリンでは国際的な環境を非常に厳しく捉え、しかもそれが既存の安全保障秩序では制御できていないという視点を打ち出している。さらに大規模紛争の蓋然性低下については後段で言及があるものの、その一方、情報空間やロシア国内では軍事的危険が増加しているという。
新たな脅威認識
では、第3に、ロシアが直面する脅威とはいかなるものか。
新軍事ドクトリンでは従来と同様、外的な軍事的危険、内的な軍事的危険、軍事的脅威の3つに分けて脅威認識を明らかにしている。外的な軍事的危険の前段(第12条a項〜i項)はほぼ一言一句、前バージョンと同一で、NATOの拡大やミサイル防衛システム・宇宙兵器の配備、領土要求、大量破壊兵器の拡散などが列挙されているが、注目したのは、新たに追加された以下の項目である。
k) 国際的な対テロ協力が不十分な状況下における、グローバルな過激主義(テロリズム)の増加及びその新たな発生、放射性物質及び毒性物質を用いたテロが実行される差し迫った危険、国境を越えた犯罪組織の大規模化(特に非合法な武器及び麻薬の流通)
l) 民族間及び宗派間の緊張の火種の存在(発生)、ロシア連邦の国境及びその同盟国の国境に隣接する地域での国際的な武装過激主義グループ、外国の民間軍事企業の活動、領土を巡る対立、世界の各地域に置ける分離主義及び過激主義の伸長
m) 国際法に違反して国家の主権、政治的独立性、領土的一体性に敵対し、国際社会、安全保障、グローバル及び地位的な規模の安定性に脅威を与える活動を行うための軍事・政治的目的における情報通信技術の利用
n) ロシア連邦に隣接する国家において、ロシア連邦の国益に脅威となる体制や政策を打ち立てること(正統な政府機関の転覆によるものを含む)
o) 外国及びその連合国の特殊機関及び組織による、ロシア連邦を弱体化する活動
続いて内的な軍事的危険については次の通りである(第13条)。
a) ロシア連邦の憲法体制の強制的な変更、内政及び社会的状況の不安定化、ロシア連邦の政府組織の機能・重要な政府施設・軍事施設・情報インフラの妨害
b) ロシア連邦の主権の弱体化、その統一及び領土的一体性の毀損を目的としたテロ組織及び個人の活動
v) 国民に対する情報感化に関する活動。特に祖国防衛に関する歴史的、精神的、愛国的伝統の弱体化を目的として若い国民を狙ったもの
g) 民族間及び社会的な対立、過激主義、人種的宗教的憎悪又は敵対の喧伝
以上のように、国際的テロの激化とともに、外国によるロシアの政体を弱体化する活動への脅威認識が強く打ち出されているのが大きな特徴だ(軍事的脅威については前バージョンと大きく変わらないため割愛)。
「形を変えた侵略」
これについては別の媒体で詳しく書いたが、ロシアは近年、旧ソ連諸国やアラブ諸国での一連の体制転換を西側による意図的な体制転覆と捉える陰謀論的な脅威認識を強めている。
外部からハイテク・高機動性の軍事力で圧迫を加えつつ、政治・経済・情報などの非軍事的手段を活用して「国民の抗議ポテンシャル」を惹起し、内乱に陥れて望ましくない体制を転覆する、というのである。そして、これに対抗するためには従来の核抑止は機能しないため、軍事力だけでなく非軍事的手段を含めた複合的な抑止力を持たねばならない、というのが前述した「戦略的抑止力」の考え方であった。
もちろんこれはかなり偏った見方だが、上掲の記事にも書いたように、ロシアでは国防相や参謀総長がこうした見方を公式に示したり、論文として発表する等、公式の脅威認識としてかなり定着して来た観がある。今回の新軍事ドクトリンは、こうした最近の国防・安全保障関係者の考え方を公式の国防政策としてまとめたものと言えよう。
実際、今回の軍事ドクトリンでは、現代の軍事紛争の特徴及特質として、次の9点を挙げている(第15条)。
a) 軍事力、政治的・経済的・情報その他の非軍事的性格の手段の複合的な使用による国民の抗議ポテンシャルと特殊作戦の広範な活用
b) 精密誘導型兵器及び軍用装備、極超音速兵器、電子戦兵器、核兵器に匹敵する効果を持つ新たな物理的原理に基づく兵器、情報・指揮システム、無人航空機及び自動化海洋装置、ロボット化された兵器及び軍用装備の大量使用
v) グローバルな情報空間、航空・宇宙空間、地上及び海洋において敵領域の全縦深で同時に活動を行うこと
d) 軍事活動を実施するまでの準備時間の減少
e) 垂直的かつ厳密な指揮システムからグローバルな部隊及び指揮システムネットワークへの移行による部隊及び兵器の指揮の集中化及び自動化
zh) 敵対する国家の領域内において、常に軍事活動が行われる地域を作り出すこと
z) 軍事活動に非公式の軍事編成及び民間軍事会社が関与すること
i) 間接的及び非対称的な手段の利用
k) 政治勢力、社会運動に対して外部から財政支援及び指示を与えること
ここでも、「形を変えた侵略」に対する意識が顕著であることが読み取れよう。
もちろん、ここではロシアがこのような侵略を受けることへの懸念として表現されているのだが、ロシア自身がこのような方法を用いることも考慮されていない筈はない。ウクライナ危機におけるクリミア半島の併合や、ウクライナ東部での紛争は、まさにロシアがこうした「形を変えた侵略」を自分自身で実施した最初の事例と言える。
核兵器を巡る論点
また、精密誘導兵器、極超音速兵器、「新たな物理的原理に基づく兵器」、自動化された指揮通信システム、無人兵器について多くの記述が割かれていることからも分かるように、こうした最新のハイテク軍事力によって厖大な戦略核戦力を中心とするロシアの軍事力が無効化されることへの危険性も読み取れる(2012年の大統領選においてプーチン首相(当時)が発表した国防政策論文では、こうした新兵器によって核兵器の地位が低下することへの懸念が示されている)。
このため、新軍事ドクトリンでは、「戦略的抑止力」の軍事面において精密誘導兵器の使用を考慮するとの条項が新たに盛り込まれた。
では核兵器はもはや重視されないのかといえばそうではない。ロシアは近年の装備更新計画においても依然として戦略核戦力を最重点項目としているし、新軍事ドクトリンでも紛争抑止の「重要ファクター」と位置づけられている(第16条)。
一方、核兵器の使用基準については、ロシアが局地紛争でも核兵器を使用するとか、予防核攻撃(紛争が始まる前に核兵器を使用する)ドクトリンへと転換するのではないかといった観測が以前から存在していたが、実際にはこのような規定は盛り込まれなかった。以下の通り、核兵器使用基準は前バージョンと全く同様である。
ロシア連邦は自国及びその同盟国に対する核兵器及びその他の大量破壊兵器の使用並びに通常兵器によるロシア連邦への侵略で国家が存亡の危機に立たされた場合の対抗手段として核兵器を使用する権利を持つ。
核兵器の使用はロシア連邦大統領が決断する。
イスラム過激主義に対する脅威認識
最後に、ロシアの脅威認識のもう一つの面についても指摘しておきたい。これまでの引用部分に頻繁に現れる大規模テロへの懸念である。
ウクライナ危機発生以前、ロシアが最も差し迫った安全保障上の懸念としていたのは、アフガニスタンかのISAF(国際治安支援部隊)撤退後、タリバーンが再興し、中央アジアからロシア南部に掛けてイスラム原理主義勢力が浸透してくることであった。
さらにシリア内戦の激化や、その過程におけるイスラム国(IS)の台頭が顕著になると、中東からのイスラム過激主義流入の懸念も深刻化した。
ウクライナを巡る西側との対立で一時的に霞んではいるものの、こうした脅威は決して過ぎ去った訳ではなく、むしろ高まり続けている。依然としてチェチェンを含む北カフカス情勢は不安定なままであり、そこにアフガニスタンや中東のイスラム過激主義勢力との連携が生まれれば、再びロシアを揺るがす安全保障上の脅威となりかねない、というのは以前からロシアの政府関係者や研究者たちが口にしてきたことだった(最近も過激主義対策をテーマとした安全保障会議が開かれたばかりである)。
新軍事ドクトリンにおいて、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンなどとともにロシアが構成している集団安全保障条約機構(CSTO)との連携強化が繰り返し打ち出されているのも、こうした事態を睨んだものと考えられよう。
まとめるならば、今回の軍事ドクトリン改訂は、ウクライナを巡る西側との対立とイスラム過激主義の伸長という二重の脅威の高まりを反映したものと言える。
本稿はWorld Security IntelligenceのWSI COMMENTARY VOL.1 NO.6を転載したものです。