トランプ大統領の中東和平構想の検証 新たな中東危機に火をつけるか
トランプ大統領が1月28日に発表したパレスチナ紛争の政治解決を目指す中東和平構想は、パレスチナ国家を認めたものの主権は限定され、さらにイスラエルの入植地の併合を認め、聖地エルサレムをイスラエルの首都とし、かつパレスチナ難民の帰還権を否定している。和平強硬派のネタニヤフ首相の主張を一方的に反映したもので、これまでの中東和平の前提から逸脱した異例の内容となっている。
パレスチナ自治政府は構想を拒否することを宣言したが、サウジアラビアなど湾岸諸国やエジプトは容認を表明している。一方で反米のイランと「イスラム国」(IS)がトランプ構想を非難している。今後、構想を拒否するパレスチナ人の孤立が強まれば、アラブ・イスラム世界の民衆感情が反米・反イスラエル色を強めることは避けられず、新たな中東危機の火種をはらんでいる。
■トランプ和平構想の要点
トランプ和平構想の要点は次の通り。
▽パレスチナ国家
イスラエル・パレスチナの「2国共存」のために「現実的なパレスチナ国家」がつくられる。
パレスチナ国家はイスラエルの安全を脅かさないために、重火器や戦車、装甲車など軍事力の保持を禁止され、国家の主権は一部限定される。
外交権は認められるが、イスラエルと敵対する国際組織に参加することは認められない。
パレスチナ国家内での移動の自由を保障するために、道路、橋、トンネルが整備される。
▽聖地エルサレムの地位
多くのパレスチナ人が住む東エルサレムを含む全エルサレムはイスラエルの首都であり、イスラエルの主権の下に置かれる。
▽パレスチナ国家の首都
パレスチナ国家の首都は、東エルサレムの一部であり、イスラエルが建設した分離壁の外にあるアブディスに置く。分離壁はパレスチナとイスラエルの境界となる。
▽ユダヤ人入植地
ヨルダン川西岸にあるユダヤ人入植地のイスラエル人の97%はイスラエル領に編入される。
ヨルダン川西岸に住むパレスチナ人の97%はパレスチナ国家に編入される。
イスラエル領の飛び地に住むパレスチナ人のパレスチナへの移動と、パレスチナ領の飛び地に住むユダヤ人のイスラエルへの移動は、ともにイスラエルの治安管理のもとで実施される。
和平交渉が始まれば、イスラエルは4年間、入植活動を停止する。
▽ヨルダン渓谷
ヨルダン川西岸のヨルダン渓谷地域はイスラエルの安全保障の重要性からイスラエルの主権下に置かれる。渓谷地域に農地などを所有するパレスチナ人の立ち入りはイスラエルの特別許可のもとで保証される。
▽ガザ
ガザの発展を始めるためには、まずイスラエルとの停戦と、地域の完全な非武装化が条件となる。
▽難民の帰還権
パレスチナ難民のイスラエルへの帰還権は認めない。
パレスチナ難民の難民としての地位はなくなり、パレスチナ難民キャンプは解体され、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は消滅する。
現在の難民たちには(1)条件付きでパレスチナ国家での受け入れ、(2)居住国の同意による現地での同化、(3)イスラム諸国会議機構(OIC)加盟国への難民受け入れ――の3つの選択肢がある。
■2年前から喧伝された「世紀の取引」
トランプ大統領の中東和平構想は、2年以上前の2017年11月ごろから「世紀の取引(ディール)」として喧伝していたもので、これまで度々、「近く発表される」とされながら延期され、やっと発表された。全体で181ページの「繁栄のための和平」構想と名付けられた文書である。
和平案は第1部が政治的枠組み、第2部が経済的枠組みの2本立て。経済的枠組みは、2019年6月にバーレーンの首都マナマで米国が主催したパレスチナ支援の経済会合で、米和平案の一部として発表された。10年間で500億ドル(5兆4000億円)の経済プランをパレスチナ地区の発展のために投入するというものだ。
■和平原則「土地と和平の交換」の否定
トランプ和平構想は、ネタニヤフ首相の支持基盤であるイスラエルの右派の間で反発が強い「パレスチナ国家の樹立」が入ったが、その代わりに1948年の第1次中東戦争(イスラエル独立戦争)以来、国連総会や国連安全保障理事会がパレスチナ紛争の解決のために採択した決議をことごとく否定している。
パレスチナ難民の帰還を否定したことは、第1次中東戦争で70万人のパレスチナ難民が出た後、「故郷に帰還を希望する難民はできるかぎり速やかに帰還を許す。望まない難民には補償を行う」とした国連総会決議194号の否定を意味する。
さらに1967年の第3次中東戦争でイスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザを占領した後、国連安保理は決議242号を採択し、「今般の紛争で占領された領土からのイスラエル軍の撤退」と「地域のすべての国の主権、領土の一体性、政治的独立を認めること」を求めた。
これはイスラエル軍が占領地から撤退すれば、アラブ諸国がイスラエルの生存権を認めると理解され、「土地と和平の交換」の原則として、その後の中東和平の原則となった。トランプ和平構想で、西岸のユダヤ人入植地のイスラエル領への編入を認めており、安保理決議242号と「土地と和平の交換」の和平原則の否定となる。
■入植地のイスラエル編入とパレスチナ国家の分断
西岸のユダヤ人入植地は約130カ所で62万人が住み、そのほとんどが、西岸でイスラエル軍の全面的な支配下にあるC 地区にある。C地区は西岸全体の59%。パレスチナ自治政府が行政、治安の両方を管轄するA 地区(17%)と、パレスチナ側が行政、治安はイスラエル軍が管轄するB 地区(24%)がある。トランプ和平構想に出ている地図では、C地区のかなりの部分がイスラエル領となっている。
パレスチナ国家内の移動の自由を保障するために「道路、橋、トンネルを整備する」とし、トランプ和平構想に添付された地図ではパレスチナ国家内で12カ所が整備カ所として上がっている。これは国家が離れ島のように分断されていて、新たに高架の道路や橋、トンネルをつくってつなげなければ、パレスチナ人は自由に国内を移動できないことの裏返しとなる。
■遠隔地にある入植地の温存はユダヤ人右派向け
イスラエル領内にある飛び地に住むパレスチナ人と、パレスチナ領内の飛び地に住むユダヤ人の移動を保障するという記述があるが、「イスラエル領に住むパレスチナ人の飛び地」は周囲のユダヤ人入植地を含む西岸地区がイスラエルに併合されるためにパレスチナ人の町村が飛び地になるという話。一方の「パレスチナ領に住むユダヤ人の飛び地」は、現在のイスラエル領から遠く離れてパレスチナ自治区に建設しているユダヤ人入植地が飛び地になるという話である。
元々、西岸にあるパレスチナの町村がイスラエルによる併合によって西岸からもパレスチナ国家からも切り離されることはあってはならないことである。逆に、西岸の遠隔地に建設されたユダヤ人入植地の入植者には、強硬な右派勢力が多い。和平構想の地図では、パレスチナ国家内に15カ所の入植地と引き込み道路が描かれている。過去の和平交渉では、このような遠隔地の入植地は平和や治安維持の最大の阻害要因であり、真っ先に解体の対象とされ、イスラエルの世論の大勢も認めていた。
このような遠隔地の入植地を、パレスチナ国家の樹立後も、パレスチナに食い込んだ形のまま存続を認めるのは、国家の主権を無視したものである。そのような入植地に住む強硬な入植者がネタニヤフ首相の支持基盤になっているという理由以外は考えらえない。
■入植地を「違法でない」とする米国の方針転換
トランプ和平構想で、エルサレムをイスラエルの首都と認めたことは、すでに2017年12月に決定し、18年5月に在イスラエル米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転させたことを追認するものである。イスラエルは67年の第3次中東戦争で占領した東エルサレムを併合し、1980年に統一エルサレムを首都とする基本法を成立させた。この時、国連安保理は「武力による領土の獲得は容認できない」として、イスラエルの基本法について「法的効力はなく、無効」と決定した。トランプ大統領の2017年の決定は安保理決議違反である。
そもそも武力で占領した領土に自国民を入植させることは国際人道法のジュネーブ条約に違反する。2004年に国際司法裁判所はヨルダン川西岸と東エルサレムの入植地は国際法違反と認めた。さらに国連安全保障理事会は16年末に、入植地建設の停止を求める決議案を採択した。司法裁判所は、イスラエルが1967年の第3次中東戦争の停戦ライン(グリーンライン)のヨルダン川西岸側にはみ出して建設している分離壁を違法と判断した。
米国は1978年以来、「イスラエルの入植地は国際法と矛盾する」との立場をとってきたが、2019年11月にポンぺオ国務長官はそれまでの方針を覆して、「西岸に入植地を建設すること自体、国際法に反していない」と表明した。この方針転換はトランプ和平構想で入植地をイスラエルに編入することを認めるための伏線だったことが明らかになった。
■パレスチナ国家をエルサレムから切り離す
さらにパレスチナ国家の首都が置かれるという東エルサレムのアブディスには、見上げるほどのコンクリートの分離壁がそびえ、地域を分断している。この壁は、日本でも公開されたパレスチナ映画「オマールの壁」の舞台となった場所である。イスラエルが壁を建設したことで、幼馴染の友人の家と壁で分断され、主人公のオマールは友人と、さらに恋人である友人の妹に会うために、イスラエル軍に拘束される危険を冒して、分離壁にロープをかけてよじ登って越える。
アブディスはイスラエルの分離壁が建設される前は、聖地があるエルサレム旧市街から車で15分程度の場所にあったが、壁が建設されたために、ヨルダン川西岸に行くイスラエルの検問を通って大きく迂回しなければ行くことができなくなった。パレスチナ国家の首都がアブディスに置かれるということは、エルサレムから切り離されることを意味する。
さらにトランプ構想では分離壁をパレスチナとイスラエルの境界とするとしているが、分離壁の建設については、国際司法裁判所が国際法に違反すると判断している。そもそも分離壁は、国連安保理決議がイスラエル軍の撤退を求める1967年以前の停戦ラインの上に建設されたものではなく、占領地であるヨルダン西岸側にはみ出して建設されている。分離壁を境界にするという規定もまた国際法を逸脱したものと言わざるを得ない。
トランプの和平構想の要点は、帰還権の否定からパレスチナ難民の地位の否定やUNRWAの解体まで、すべて2017年にトランプ大統領が就任した後、米国政府がそれまで中東和平の仲介者として果たしてきた役割と原則を放棄し、一方的にイスラエル右派とネタニヤフ首相寄りの立場をとったものである。
■自身の政治的生き残りのためのパフォーマンス
米国大統領が細部まで踏み込んで和平構想を提案するというトランプ大統領の和平構想の発表の仕方も、異例である。これまでならば大統領の意を受けた国務長官か中東和平担当がイスラエル側とパレスチナ側の間を往復して合意を取り付けるか、米大統領がイスラエル首相とパレスチナ解放機構(PLO)議長を招いて、首脳会談を仲介するなどの形で行われてきた。
今回、トランプ大統領が極めてイスラエル寄りの和平構想を発表したのは、発表すること自体が政治的なパフォーマンスであって、その狙いは、第1に、3月に予定されているイスラエル総選挙で、ネタニヤフ首相の後押しをするためであり、第2に11月に予定されている米大統領選に向けて、米国のユダヤロビーと、親イスラエルのキリスト教保守派の票を固めるためという二重の政治的効果を狙ったものである。
ネタニヤフ首相は収賄と詐欺、背任の疑いで起訴されかねない状況であり、トランプ米大統領はウクライナ疑惑をめぐる弾劾裁判が議会で始まっているという共に政治生命に関わりかねない弱点を抱えている点も共通している。ネタニヤフ首相は渡米中、トランプ和平構想発表直前に起訴された。しかし、首相である限りは逮捕されないことになっており、次の選挙で勝利することに生き残りがかかっている。
トランプ和平構想からは、「20世紀最大の負の遺産」とされるパレスチナ問題が、米大統領とイスラエル首相の政治的な生き残りのための演出の材料とされているという印象しか感じられないが、それが中東情勢に与える影響は無視できない。
■パレスチナは拒否、国連事務総長も認めず
パレスチナ自治政府のアッバス議長はトランプ和平構想の発表を受けて、「今日のばかばかしい発表を聞き、我々は『世紀の取引』に1000回のノーを突き付ける」と即座に拒否した。さらに「エルサレムは取引材料ではない。我々のすべての権利は取引材料ではない。我々パレスチナ人はこのような陰謀がまかり通ることはさせない。イスラエルの占領と米国政府はこれから何が起ころうとも、すべてに責任がある」とし、「我々は屈することも、降伏することもない」と述べ、和平構想に基づく交渉の拒否を明言した。
構想に対して、国連のグテレス事務総長は報道担当を通じて、「国連は1967年の第3次中東戦争以前の境界線に基づく国境によって平和と安全のもとに2国家共存の理念を実現することを信じている」と述べ、トランプ和平構想を認めない姿勢を示した。
パレスチナ自治政府はアラブ連盟の緊急外相会合の開催を求め、トランプ和平構想の拒否にアラブ世界の世論を集めようとしている。しかし、アラブ諸国の反応は弱い。サウジアラビアはトランプ大統領の発表の後、サルマン国王がアッバス議長に電話して、「常にパレスチナの側に立つ」と伝えたとするが、一方で、サウジ外務省は声明を出し、「包括的な和平の実現のためにトランプ大統領の努力を評価し、パレスチナとイスラエルに米国の仲介の下で直接交渉をするよう働きかける」として和平交渉の再開を指示する声明を出した。
■サウジ・メディアは構想の肯定面を強調
サウジの英字紙アラブニュースは「トランプ構想は東エルサレムに首都を持つパレスチナ国家の樹立を求める」という見出しで、和平実現に期待を持たせるニュアンスの記事を出した。サウジのアラビア語有力紙シャルクルアウサト紙の電子版の記事の見出しは「トランプ大統領は地理的につながるパレスチナ国家を樹立する構想を発表、50億ドル(の支援)/東エルサレムにパレスチナの首都を置くことを認め、そこに米大使館を開設」と、パレスチナにとってバラ色の構想のような印象を与える。
「地理的につながるパレスチナ国家」というのは、トランプ和平構想について、イスラエルがヨルダン川西岸の入植地を含むC地区のかなりの部分を併合するという情報はこれまでも出ていたが、そうなれば、パレスチナ国家は分断され、国家の体をなさない、と言われてきたことを意識したものである。しかし、先に見たように、パレスチナ国家は12カ所で「道路、橋、トンネル」をつくってつなぐというつぎはぎだらけの国となるわけで、「領土的につながっている」と言えるかどうかは極めて疑問である。
トランプ構想に対するサウジ・メディアの肯定的な受け取り方は、メディアを統制するサウジ政府の立場を反映していると考えるしかない。サウジで実権を握るムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、トランプ大統領との親密な関係で知られる。2017年11月にアッバス議長がサウジを訪問した時に、皇太子はアッバス議長にトランプ和平構想の受け入れを求めたと報じられたこともある。
■湾岸諸国、エジプトも直接交渉を求める
湾岸アラブ諸国では、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、クウェート、オマーンはサウジと同様にトランプ構想を前向きに受け止め、米仲介によるパレスチナとイスラエルの直接交渉を求めるという姿勢だ。さらにアラブ主要国の一つのエジプト外務省も「パレスチナとイスラエルの両方に、和平の実現と、パレスチナの独立と権利を回復するために、米国の構想を受け止め、対話の道を開くべきだと求める」と表明した。
アラブ諸国の受け取り方を見る限り、トランプ構想の拒否を求めるアッバス議長の主張は、サウジなどの湾岸諸国とエジプトには支持されないことを示している。
■イランとISは、エルサレム問題で反発
一方、イラン外務省は「米国によってパレスチナに課された恥ずべき和平構想であり、世紀の裏切りであり、失敗する運命にある」との声明が出た。イランの最高指導者のハメネイ師は構想発表後にツイッターで「聖地エルサレムはユダヤ人が手にするという幻想は、ばかげている。パレスチナ人は敵の目標を阻止するために立ちあがるであろうし、すべてのイスラムの国々はパレスチナを支援するだろう」と書いている。
イランが米国案を批判するのは当然ではあろうが、トルコのエルドアン大統領は「米国案はパレスチナ人の権利を無視し、イスラエルの占領を正当化している。地域の平和のためにはならない」とし、特にエルサレムに触れて、「エルサレムはイスラム教徒にとって聖なるものであり、イスラエルに与える構想は決して受け入れられない」と述べている。
トランプ大統領の和平構想発表の前日に過激派組織「イスラム国(IS)」の指導者アブイブラヒム・クライシの報道担当が音声メッセージを発表した。AFP通信によると、「我々はユダヤ人がイスラム教徒から奪ったものをすべて取り戻すための新たな戦いを始める」とし、「カリフ国の戦士の目は、エルサレムに注がれている。パレスチナと世界中のイスラム教徒は、ユダヤ人との戦いと、米国の構想を失敗させるために立ち上がれ」と呼びかけている。
■強権の下で見えないアラブ民衆の意思
米国と敵対するイランやISが、エルサレムに焦点を当て、イスラムの聖地の危機を訴えて、世界のイスラム教徒の支持を集めようとする構図が浮かび上がる。エルサレムはイスラムではサウジにあるメッカ、メディナに次ぐ第3の聖地とされ、パレスチナだけの問題ではない。さらに、和平構想を肯定的に捉えようとするサウジのメディアが「東エルサレムにパレスチナの首都」と見出しに出すのも、エルサレムがイスラエルに奪われるという批判を避けるためだろう。しかし、東エルサレムにあるパレスチナの首都は、高い分離壁で聖地からは切り離されているのである。
アラブ世界では各国が強権体制であるために、民衆の率直な意見は新聞やテレビなどのメディアを通じて現れない。トランプ和平構想の無軌道ぶりを見れば、かつて「アラブの大義」だったパレスチナ問題で、アラブ諸国がパレスチナの側に立たないことに、アラブ民衆の不満や怒りは強いと想像できるが、そのような民衆の声が表に出ることはない。
■パレスチナでは衝突激化は避けられず
トランプ和平構想は、今後の中東に何をもたらすのだろうか。この構想を受けて、ネタニヤフ首相は西岸の併合を開始すると表明している。イスラエルとパレスチナの対立が激化することは避けられない。すでにトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定して、2018年5月に米国が大使館をエルサレムに移転するという流れの中で、パレスチナでは流血が続いている。
2018年3月からガザでは反イスラエル・デモが始まり、19年3月までの1年間で、UNRWAの発表によると、イスラエル軍による実弾による銃撃でパレスチナ人195人が死亡し、29000人が負傷した。デモはなお毎週金曜日に続いており、トランプ和平構想の発表でさらにパレスチナ人の反発と、衝突が激化することになろう。
イスラエルとパレスチナの衝突が激化すれば、圧倒的な軍事力を有するイスラエル軍の攻撃で多くのパレスチナ人の死傷者が増えることになるが、サウジやエジプトなど親米アラブ政権は沈黙し、パレスチナ人はアラブ諸国から孤立することになる。しかし、米国やイスラエルがパレスチナの反発を抑え込むことで中東危機を回避できるわけではない。過去の中東危機を振り返れば、その逆である。
■第1次インティファーダから湾岸危機・湾岸戦争へ
1987年12月にパレスチナでイスラエルの占領に対する第1次インティファーダ(民衆蜂起)が起こり、イスラエル戦車にパレスチナの少年たちが投石で立ち向かうイメージが広がり、「石の抵抗」と呼ばれた。その2年半後の1990年8月にイラクのフセイン政権はクウェートを占領し、湾岸危機が始まった。フセイン大統領はクウェートから撤退する条件としてイスラエルがパレスチナ占領地から撤退することを条件とする「パレスチナ・リンケージ論」を持ち出した。91年に米軍が率いる多国籍軍による攻撃が始まると、イラクはイスラエルにスカッドミサイルを撃ち込んだ。
サダム・フセイン大統領のパレスチナ・リンケージ論はアラブの民衆の支持を訴えるための後付けの理屈であっただろう。しかし、インティファーダの激化という状況の下で、実際にアラブの民衆はイラクのイスラエル攻撃に拍手し、パレスチナ人はサダム・フセイン大統領を唯一、パレスチナ人のために行動したアラブの指導者として英雄視したのである。
■第2次インティファーダから9・11事件、イラク戦争へ
次の中東危機は、2001年9月に起きた9・11米同時多発テロと、それに対して米国が起こしたアフガニスタン戦争、イラク戦争であるが、9・11事件の1年前の2000年9月に第2次インティファーダが始まっていた。このインティファーダはイスラエル右派のシャロン党首(後の首相)のエルサレムにあるイスラム聖地であるアルアクサ・モスク地区への立ち入りを契機として起こり、イスラム聖地の危機として「アルアクサ・インティファーダ」と呼ばれた。第2次インティファーダが9・11事件の原因だとは思わないが、パレスチナとイスラエルの衝突が激化しているという状況が、反米の過激派を行動に駆り立てる要因にはなっただろう。
■ガザ攻撃・侵攻から「アラブの春」へ
直近の中東危機は、2011年1月に始まった「アラブの春」と、その延長としてのシリア内戦、「イスラム国」(IS)の出現である。戦争でも、テロでもなく、アラブ民衆の強権体制への蜂起という形だが、その2年前の2008年12月から09年1月にかけて、イスラエル軍によるガザ空爆・侵攻があり、3週間で1400人以上のパレスチナ人が死亡し、3分の2は民間人だった。当時、イスラエルや、イスラエルを支える米国に対してアラブ諸国が対抗しようとせず、アラブの民衆から批判が上がった。特にガザと国境で接するエジプトは、国境を閉ざしたままで、イスラエルの封鎖や攻撃に加担していると批判された。
「アラブの春」でチュニジアやエジプトの親米の強権体制を倒した若者たちはデモで「自由と公正」を求め、民主化を求める動きが注目されたが、もう1つの標語は「カラーマ(プライド、名誉、尊厳)」であり、政治的には「反米・反イスラエル」の志向が強かった。
私がエジプトの「アラブの春」で取材した若者指導者は「イスラエルのガザ攻撃が続く2009年1月、ガザとエジプトの境界地下にある密輸トンネルを通って、支援物資を持ってガザに行き、連帯を表明した」と話した。彼はガザから戻って軍に拘束され、軍事裁判にかけられて1年近く服役した。出所した後に始まった「アラブの春」で反政権デモを率いる有力リーダーの一人となった。
■「アラブの春」で噴き出した「反米・反イスラエル」の民衆感情
「アラブの春」の若者のデモで、カイロのイスラエル大使館は2011年に襲撃され、12年にはエジプトの米国大使館やリビア東部のベンガジにある米国領事館が襲撃された。その頃の取材から、特にイスラム過激派でもない若者たちの間に米国やイスラエルに対する怒りが広がっていることを知り、アラブの親米政権や親米の指導者たちと民衆の間にある深い溝を実感した。
■パレスチナ人が単独でイスラエルに対峙
1990年-91年の湾岸危機・湾岸戦争、2001年の9・11米同時多発テロ、2011年の「アラブの春」と10年ごとに深刻な中東危機が訪れ、いずれも、その1、2年前にパレスチナ・イスラエル危機が始まっているというのは、単なる偶然だろうか。
その前の中東の危機は1979年のイラン革命と、80年のイラン・イラク戦争の勃発であるが、その前にパレスチナ問題に激震を与えたのは、1977年にエジプトのサダト大統領が電撃的にエルサレムを訪問したことである。それが78年のイスラエル・エジプトのキャンプ・デービッド合意、79年の両国の平和条約につながる。
サダト大統領は81年にイスラム過激派によって暗殺されるが、1948年の第1次中東戦争以来、「アラブの大義」を掲げてアラブ世界の先頭でイスラエルと対抗したエジプトが和平に転じたことで、イスラエルとアラブ世界の戦争の時代は幕を閉じた。その後は、パレスチナ人が単独でイスラエルに対峙することになった。
もちろん、パレスチナが軍事力でイスラエルに太刀打ちできるわけはなく、2度にわたるインティファーダでも、パレスチナ側が一方的に多大な犠牲を出すことになる。パレスチナ危機が始まっても、アラブ諸国はイスラエルや、それを支える米国に対して、政治的に結束して対抗することもなく、パレスチナ人の苦難を見殺しにする構図となった。しかし、その後に、中東は決まって危機に見舞われることになる。
■トランプ和平構想は、次の中東危機を引き起こすか?
中東で10年の節目で危機が繰り返されてきたから、次の中東危機が今年2020年か来年来るなどと単純化するつもりはない。しかし、トランプ大統領が米国大使館をエルサレムに移転させたことに続き、今年、和平の原則を無視した和平構想を発表したことは、パレスチナ問題を激化させることで、中東を不安定化させ、次の危機に追いやる危うい判断であると思わざるを得ない。
中東には危機の種はいくつもある。トランプ大統領が火をつけた米国とイランの対立は解消されず、アルカイダやISなどイスラム過激派の脅威も残っている。さらにレバノンやイラクでは政府を批判する民衆のデモが続き、「アラブの春」の再燃も現実の脅威である。
トランプ大統領にとってパレスチナ問題は、イスラエルの首相に恩を売り、米国内で自身の大統領再選を確実にする政治的取引の材料でしかないのだろう。しかし、パレスチナ問題の怖さは、アラブ諸国の政府の米国への迎合とパレスチナの孤立という構図のなかで、アラブの民衆の怒りが生まれ、次の中東危機につながる緊張が醸成されることである。