どんな行為が「いじめ」?-保護者が知っておきたい「いじめ」の定義
2013年9月にいじめ防止対策推進法(以下、「いじめ防止法」といいます)が施行されて、今月でちょうど10年になります。この10年間で、教育現場における「いじめ」の対応は、大きく変わりました。
他方で、自分の子どもが通う学校で、「いじめ」という言葉が出ると、つい身構えてしまう保護者も多いことでしょう。そのくらい「いじめ」という言葉には、強いインパクトがあります。
教育現場で今、「いじめ」がどのように考えられ、どのように対処されているかを事前に知っておくことは、いざ実際にいじめの問題が起きたときに、冷静に問題に向き合う助けになります。
夏休み明けのこの時期に、ぜひ基本的なことを確認しておきましょう。ここでは「いじめの定義」(いじめ防止法2条1項)について解説します。
法律は事前に“共通認識”を作るためのツール
「いじめ」と「法律」の組み合わせで、真っ先にイメージするのは「罰」かもしれません。
しかし、いじめ防止法は、その名のとおり、いじめの「防止」を目的とする法律です。「罰すること」や「子どもに“加害者”のレッテルを貼ること」を目的とする法律ではありません。
日々の学校生活の中で、大人がどのように「いじめ」を考え、どのように対応していけばよいかの指針が示されています。
法が示すそうした指針は、いじめが発生する前にこそ、みんなの共通認識におくことが大切です。交通安全や避難訓練の例のように、あらかじめ「起きないようにどうするか」、「もし起きてしまったらどうするか」を学び、検討しておくのです。
そうした共通認識のないまま、「いじめ事案」が発生すると、被害者、加害者などの立場ができるため、保護者間の感情的な対立は激しくなってしまいます。そのときになって、慌てて共通認識を作ろうとしても非常に難しいのが現状です。
昔の「いじめ」と今の「いじめ」は違う
そこで、まず大前提として押さえておきたいのは、「いじめ」の捉え方自体が大きく変わった、ということです。
先に、いじめ防止法は、いじめの「防止」を目的とする法律であることに触れましたが、具体的には、いじめの早期発見、重大化防止などを目的としています。
このため、「いじめ」を早く発見し、早く子どもを支援できるよう、「いじめ」を以下の通り、かなり広く定義しています。
(定義)
第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
つまり、①行為の対象になった子どもが、②心身の苦痛を感じていたら「いじめ」となります。
少し言葉を付け加えると、同法は、そうした場合を“「いじめ」ということにして”、大人が対応しなければならない、と定めているのです。
子どもの「心身の苦痛」に気づいたら、大人はそれを注視しましょう。みんなで見守って対応していきましょう、ということです。
大人には、できるだけ早く子どもの心身の苦痛に気づき、状況次第では介入するなどの適切な措置を行うことが求められています(法23条等参照)。
これは、大人が「ひどいもの、過激なものがいじめ」というイメージのままでいると、対応すべき行為に接しても「この程度なら、よくあることだから大丈夫」などと考えて対応せず、いじめを重大化させるおそれがあるからです。
なお、このように広く「いじめ」を定義する以上、それほど違法性が高くない行為も「いじめ」に該当しうることになります。
ですから、子どもの行為がいじめ防止法上の「いじめ」に該当したからといって、直ちに刑事責任や賠償責任等を負うわけではないことは、知っておいた方がよいでしょう。
これも「いじめ」!?困惑する保護者
いじめ防止法施行以降、文部科学省が毎年発表する「問題行動・不登校調査」における「いじめの認知件数」は、上昇傾向にあります。
これは実は、現場の教職員のみなさんが「子どもの心身の苦痛」にたくさん気がついた結果、教育現場の努力の結果、ともいえるのですが、「いじめが増えた!学校は何をやっているんだ!」などと勘違いされることもよくあります。
また、上記のように「いじめ」を広く捉えると、大人にとって“子ども同士の些細な行為”と感じるものでも「いじめ」に該当することがあり、それによって保護者が困惑してしまう例も散見されます。
例えば、「少しからかったつもりが相手を泣かしてしまった」などの例は、子どもの間ではよくあることです。しかし、こうした例も、①行為の対象になった子どもが、②心身の苦痛を感じる行為ですから、現行法上は「いじめ」に該当します。
つまり、現状では、そうした事実も「大人が気づいて把握しておく必要があること(他の事実関係や状況次第では介入しなければならない場合もある)」と考えられているということです。
子ども同士のからかい等は、その場限りのものから、重大化してしまうものまで様々あります。
ですから、“まずは現状を把握しておく”ことがとても重要で、「よくあることだから」といって放置されたり、軽視されたりすることのないようにしなければなりません。
しかし、子どものそうした行為も「いじめ」にあたると指摘された保護者は、「本人にいじめたつもりはない」、「泣かしたのは、その1回だけ。継続的なものではない」、「1対1だった。複数でやったわけではない」、「そんなものまでいじめと言われたらコミュニケーションできなくなる」などと言いたくなってしまいます。
「我が子のその行為は『いじめ』ではない」という主張に力を割いてしまうのです。
そのため、「いじめ」という言葉を用いない指導(ガイドライン上、許されている)が行われるなど、各現場で様々な工夫がなされていますが、保護者が「よくあること」、「仲良し同士のコミュニケーション」などと流してしまう可能性も高まるため、その運用も悩ましい部分があるようです。
「いじめ」か否かよりも「何があったのか」の方が重要
何度も述べるとおり、いじめ防止法が施行された10年前から「いじめ」の捉え方は変わり、それによっていじめ事案の教育現場における運用も変わっています。
様々な専門的な議論(批判的なものも含む)が行われているものの、「①行為の対象になった子どもが、②心身の苦痛を感じていたら、周りのみんなで早く気づいて見守っていく」という傾向自体は今後も続くと思われます。
ですから、「いじめ」という言葉に過剰に反応せず、まずは冷静に我が子が「何をしたか」、「何があったのか」を適切に把握することが大切です。
先に述べた通り、子どもの行為がいじめ防止法上の「いじめ」に該当したからといって、直ちに刑事責任や賠償責任等を負うわけではないのです。落ち着いて事実関係を確認しましょう。
その上で、相手が本当に心身の苦痛を感じたのであれば、その事実に真摯に向き合うよう子どもを促すことが望まれます。
過度に子どもを責め立てる必要はありませんが、大人の感覚をもとに「大したことはない」、「よくあること」などと言って子どもを安心させようとしてしまうと、子どもは相手の心身に苦痛を与えることの重さに気づけません。
先のからかいの件であれば、「どのようなからかいをしたのか」、「なぜしたのか」といったことを丁寧に聞き、自身の行為が結果として相手を傷つけてしまったことを子どもがきちんと理解することが重要です。
子どもは、相手のことを尊重しながら、自分も楽しく集団生活する術を学んでいる最中です。どうすれば相手を尊重したコミュニケーションができるのか、親子が共に考え、学ぶ機会を作っていくことが大切です。
ここまで「いじめの定義」を解説しましたが、いじめの防止のために法が大人に求めていること、提案しているアイデア等はたくさんあります。この機会にぜひ確認してみてください。
文部科学省 いじめの問題に対する施策
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302904.htm