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論理的ではない人ほど「それは論理的ではないよね」と言う理由〜相手の論理の流れを理解できてないだけ〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「ここからこういうことが導けます。それゆえ、これがこうなって・・・」が追えてない(写真:アフロ)

■「論理的でない」という死刑宣告

部下が上司に企画の資料などを持っていくと、フィードバックとして頻繁に出てくるのが「論理的でないなあ」という言葉です。そう言っておけば賢げに聞こえるのか、それしか言わないで「やり直し」というような人もいます。

MBAやコンサルタントが台頭してきたロジカル至上主義とも言える昨今のビジネスの世界においては「論理的ではない」と言われることは全否定、言わば死刑宣告のようなもので、言われたほうはグウの音も出ません。

ただ、この「論理的ではない」というフィードバックは不親切、もっと言えばイケてないと若者には思われており、不興を買っていることが多いようです。それはなぜなのでしょうか。そして、そもそも、考えてみれば「論理的である」とは一体どのような意味なのでしょうか。

■しかし、それは「オレには理解できない」という意味にすぎない

実際に上司が部下に対して使っている意味合いを見ていると、「論理的」というのは、「筋道が通っている」「前提条件と結論に明確な因果関係がある」「主張の根拠がわかる」「話に飛躍がない」というようなことを指しています。しかし、これらはすべて受け手側である上司が理解できたかどうかにかかっています。

つまり、「論理的でない」というのは「その文章の論理が俺には理解できない」ということです。しかし、本当は「その文章が実際に論理的に間違っている」という可能性と、「その文章が述べている論理を自分が知識不足などのために理解できない」という可能性があるはずです。そこを上司の強い立場から一方的に、「部下のほうが論理的ではないのでわからない」としてしまっては、反発も食らうでしょう。

■受け取り側の非はないのか

もちろん、よく言われるように、「伝わらなければ、伝えていないのだ」というのも正論です。ただ、一方でこうも思います。私は昔、数学の先生でした。図形の証明問題などを教えていたのですが、論理の流れをスキップするためにまとめられたものである「定理」や「公式」を知らない人は、論理を飛ばさずに一つひとつたどっていかないと、なぜこの仮定から結論が導かれるのか理解できず、論理的飛躍に見えることはいくらでもありました。

数学のような用語が明確に定義されたものでもそうなので、ビジネス文書のようにもっと「含み」(言外の意)があるものであれば、周辺情報を共有しているもの同士なら理解できるが、そうでないと「なんでそうなるの」とわからないことはさらに多いことでしょう。つまり、上司側が「含み」をわかっていないがゆえに理解できないということもあるのではということです。

■「上司は自分を見てくれていない」

部下の立場に立って考えてみます。彼の提案が論理的に一本の筋が通ったものであったとします。しかし、論理の流れを一つひとつ説明するのは冗長なので、「自分の仕事を日々きちんと見てくれている上司なら、この部分は理屈を端折っても理解してくれるだろうから大丈夫でしょ」と、論理の筋道をスキップしたのだとすればどうでしょうか。

そこに上司から「論理的でない」「意味がわからない」とだけ一方的にフィードバックされれば、「この人は全然自分の仕事を見てくれていない」「自分のことをわかっていないのだな」と思うかもしれません。上司と部下の信頼関係の基本は相互理解です。相手がスキップした論理がわからないことで、その人間関係に傷がついてしまうこともあるのです。

■「上司は自分を信頼してくれていない」

さらに最悪なのは、上司が自分の理解できていない論理の「ミッシング・リンク」の部分を指して、「こんな理屈の通らない(と自分が思っている)ことを言うからには、部下は何かそもそも言いたい主張が先にあって、それにこじつけて論を張っているんだろう」などと、性悪説に陥る場合です。

わからないことはすぐに、自分の妄想を投影してしまい、部下に悪意があると認定する。これではせっかく良かれと思って提案したのに、変に勘繰られ、疑われることになり、この上司は、思い込みが強く、面倒くさいなあ、いちいち人のことを悪く見るんだな、と上司への部下の信頼は地に落ちるでしょう。今後は、その上司には率直な提案をするのを躊躇するかもしれません。ストレートに物を言ってくれなくなるのです。

■「論理」がわからなければ、まず自分を疑う

論理は長くなると、それはそれで追うのが難しくなります。そのために人間は公式や定理、常識、理論を生み出して使用しているわけです。そう考えれば、理解しやすいようにしようと公式や定理などを使って話を短くしようとしている発信者側の努力に、わからない側はわからない側なりに努力をして寄り添うべきだと思います。

また、論理が明確に明示されていないからと言って、論理的でないわけではありません。発言者自身もある前提条件から結論を導くのに、その途中の論理は可視化できていなくとも、直感的に「絶対そう」ということだってあるはずです。

上司たるもの、部下がなかなか論理をつなげられないときには、突き放すように「論理的じゃないよね」と言っておけばよいのではなく、自らその「ミッシング・リンク」を見つけてあげるくらいでありたいものです。

OCEANSにて若者のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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