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メディアの「独立」と「信頼」を、Choose Life Project、読売新聞と大阪府から考える

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
資金提供の経緯を説明するChoose Life Projectのホームページ

少し堅苦しいジャーナリズムの原理原則のはなしです。しかし、「いざという時、あなたの生活や命がかかった局面で、メディアの言っていることが信用できるのか」という大切な問題です。でもそれは、必ずしも明文化された形で共有されているわけでもありません。もう少しかみ砕き、整理しておく必要があると思います。

吉村大阪府知事の筋トレ写真に「黄色い声殺到」というニュース(読売新聞のものは会員登録が必要ですので、スポーツ報知の記事を貼っておきます)に何かもやもやする人がいるのはなぜか、また、Choose Life Project(以下CLP)の佐治共同代表の釈明に感情的に反応するのではなく、寄付などに頼るニュースメディアの信頼は、いかにして守られるのか、冷静に考えてみようと思います。

避けられない「利益相反」

ニュースメディアもニュースというプロダクトを制作、発信するという活動をする以上、経費がかかります。一定の収入をあてにしなければ、継続的な報道ができません。

広告、寄付、出資、あるいは副業や資産運用などでメディアは資金を調達しています。購読料、サブスクリプションというニュースの消費者が払うお金とは性格が違い、スポンサーから資金を得るということは、何らかの「借り」が発生するということです。

これを「利益相反」(コンフリクト・オブ・インタレスト Conflict of Interest)といいます。メディアは次のニュースを発信するために一定の収益を上げなければならないため、避けられないことでもあります。報道を継続していくためには、これをゼロにすることは、ほぼ不可能だと言えます。

しかし、その中でニュースの信頼を確保するためには、利益相反によってニュースの内容が影響を受ける可能性を限りなく低く抑える必要があります。具体的には以下のようなことです。

①利益相反が存在する相手を公開し、どのような影響を受ける可能性があるかわかるようにする。

②利益相反を受ける可能性をなるべく小さくするための対策を取る。

③そのような利益相反に関する考え方や対策に関して説明し公開する。

利益相反の極小化が信頼を生む

広告の収益モデルをとっているメディアは、だいたいCMなどを見れば広告主が判明するようになっています。広告が何らかの偏った政治的なメッセージを帯びたり、あるいは政治団体などが企業の広告を装って別の発信をしないように、完全とは言えませんが「審査」などの方法で防ぐ仕組みを作っています。

寄付によって運営資金を調達しているメディアの方が「自分たちが利益相反の影響を受けていない」と説明するのに、細心の注意を払う必要があると思われます。

アメリカのすぐれた調査報道で有名なプロパブリカは寄付で運営資金を得ています。大口の寄付をしている団体をウェブサイトで公開してリンクを貼り、寄付をした財団などがどのような背景を持っているのか、ユーザーが調べられるようにしています。上記の①の手続きです。

プロパブリカに大口の寄付を行っている団体のリスト。現在は43団体のリンクがある。スタートアップに重要な役割を果たしたサンドラー財団もある(下から2番目)
プロパブリカに大口の寄付を行っている団体のリスト。現在は43団体のリンクがある。スタートアップに重要な役割を果たしたサンドラー財団もある(下から2番目)

またプロパブリカはスタートした2010年には、銀行家のサンドラー夫妻が設立した基金から、ほとんどの資金援助を受けていました。フィランソロフィーの考え方に基づいた寄付だったので当初はあまり問題にされませんでした。

しかし、単一の大口寄付者の影響が強いと、何か特定の社会現象をことさらクローズアップしたり、あるいは寄付者の不利につながる報道を差し控える「配慮」をするのではないかとの指摘もあり、現在は40を超す団体からの寄付を受けています。

サンドラー財団を「複数の寄付をしてくれる団体のひとつ」として、「報道に大きな影響を及ぼす恐れはない」と読者に認識してもらえるように、上記②について対策をとったと見られます。

立憲民主党は「大口寄付者」

今回問題になったCLPは一定の期間、立憲民主党から、かなりの規模の資金提供を受けていたことを公開していませんでした。

佐治共同代表の釈明では、2020年7月に法人化し、クラウドファンディングを開始した際に「立憲民主党からの資金提供のお願いを終了した」ため、新しい法人として必要なかったという判断だったと読めます。

しかし、法人化以前にも「Choose Life Project」と名乗っているなど連続性が認められるとしたら、視聴者にとって、その区別は意味を成しません。大口の資金提供があったという情報公開は絶対に必要でした。

「政党だから」問題なのではない

「立憲民主党という『政党から』カネを受け取っていたことが問題だ」という指摘も見られます。しかし少なくとも運営資金などに関しては、そこは大きな問題ではありません。

例えば、地球環境保護や人権などをメインで扱うニュースメディアを標榜したとしたら、その趣旨に賛同する政党などから資金提供を受けても、あまり問題にはならないかもしれません。

むしろ伝統的なメディアのビジネスモデルが限界に来ている現在、ニュースの消費者ひとりひとりや、フィランソロフィーの思想からジャーナリズムに貢献しようという組織などが寄付などを通じて支援する仕組みが整うのは悪いことではないかもしれません。

寄付を行う主体が「政党だから」という理由だけで排除されることにはならないはずです。

誠実な情報公開と説明がなかった

それでも特定の政党からだけの資金提供では、コンテンツが、その政党が主張する政策を色濃く反映したものになってしまっているのではないか、と批判を受ける恐れは充分にあります。しかし、そのような場合でも、複数の政党からバランス良く資金調達する対策も考えられなくはないでしょう。

CLPで資金調達をしていた人たちが、そうやってバランスを取れるかどうかの戦略を立てられなかったということです。

CLPは主に政治的なアジェンダを議論する番組づくりをしてきたと理解しています。そうすると特定の政党からの資金援助はバランスを欠く、単にコンテンツの「商品価値」を下げる行為で、それはそれで残念なことではありますが、そういうメディアは「報道」としては見向きもされない(か特定の党派の人が大喜びする)だけで、批判せずとも市場から排除されていくでしょう。

むしろ、そのような「偏り」を隠して、政治的に中立を装っていたという、正直な情報公開をしなかったことが、視聴者への信頼を裏切る行為として、問題になっているのです。

「法令」の問題ではない

CLPの佐治氏は「テレビや新聞などのマスメディアと異なり、ネットメディアについてはそれほど厳密な放送倫理の規定が適用されるわけではなく、政党や企業や団体からの資金の提供についてマスメディアであれば抵触するであろう各種法令は適応外であろうという認識でいました(原文ママ)」と釈明しています。

しかし、そもそもこのような「ニュースの消費者との約束」は法律に依拠するものではありません。メディアがそれぞれ自ら「誓い」として、ニュースの消費者に示す、一方的なものです。

約束を守っても誉めてもらえるわけではありません。しかし、守らないと読者や視聴者は失望し、あきれて離れていきます。いざという時に発信したニュースが、手放しで信用してもらえるように、歯を食いしばって守り抜くという覚悟の表明なのです。

目標を示し記者を縛る

先ほど例に挙げたプロパブリカにも、倫理規定(Code of Ethics)があります。2200語を超える長文です。内容は、メディアが目指す目標を明確に提示し、その目標達成のために「何をしなければならないのか」「何をしてはいけないのか」、ルールを明記、そしてひとりひとりの記者が守るために、どのような行動原則を整備したのか説明するという構成です。

まず、プロパブリカの究極の目標は「真実を伝えること」「読者に真実を伝えていると信じてもらうこと」が成功だと明記します。具体的には、「事実が正確に、公正に説明され」「分析が、メディア側や情報源の好みに左右されず、最善の独立した判断に基づくこと」「ジャーナリズムの営みとして、隠された意図などがないこと」など、より具体的な行動の指針が示されます。

次に「情報源は必ず編集責任者に伝える」「身分を偽って情報を得ない」「インタビューに報酬は払わない」などの取材やニュース制作の基本的なルールや、党派的な活動には参加してはいけないが、住民活動や宗教的な活動は妨げられないこと、記者の身分を使って得た情報は、ニュースになっていないものも含め会社の財産であることなど、記者の行動を具体的に規定する項目が、かなり詳細に列記されています。

利益相反に関しても、取材相手からの金品の授受、短期的な株式の売買、市場や商品の価格に影響を与えるような形での情報提供などが禁止されています。

最後に、この規定に従業員は1年ごとにサインをして更新し、違反した場合は解雇もあり得ると書いています。ここまで具体的を示し、記者が厳格なルールに基づいた、すべてのプロセスを踏んでニュースを作り上げることを示し、例外なく継続的に実践することで、ニュースメディアの信頼を辛うじて守っていると言えます。1回でも破ってしまうと、メディアの存立を及ぼしかねない厳しいものです。

「スポンサー」だけではない

メディアの行動や周辺の環境が、ニュースの内容に影響を及ぼすのは、経済的な利益相反だけではありません。特定のニュースメーカー(ニュースの話題となる主体)との強い結びつきも、そのひとつです。そういう意味で、大阪府と読売新聞大阪本社の「包括連携」も危うさがあると言わざるを得ません。

提携に関する文書には、教育、人材育成、情報発信、安全安心、子供や福祉など、誰もが反対しようのない項目が並んでいます。協定の第5条には、この協定で読売新聞が報道機関として大阪府への取材、報道、それらに付随する活動に一切の制限が生じないこと、大阪府が読売新聞を優先的に取り扱わないことも明記されています。

また大阪府の吉村洋文知事と読売新聞大阪本社の柴田岳社長との記者会見で、2025年の大阪万博などについて「記者、デスクの間に自己規制が働く懸念はないのか」と質したジャーナリストの立岩陽一郎氏に対し、柴田社長は、読売新聞の記者行動規範の「取材、報道にあたり、社外の第三者の指示を得てはいけない。また、特定の個人、団体の宣伝や利益のために事実を曲げて報道してはならない」という項目を示し、読売新聞の主体的な判断は貫くことができると回答しました。(記者会見もようはIWJのYouTubeで見られます。)

額面通り信じていいのか

連携の取り組みの内容を説明した文書には、読売新聞記者らを講師とした数々のセミナー、小中学校への出前授業、イベント、読売新聞の持つメディアによる発信などが示されています。

読売新聞と大阪府の接触する機会は、イベントの企画会議、出前授業の内容進行などのうち合わせ、大阪府が発信したい内容をどのように読売新聞のメディアに載せてもらうかの編集会議など大きく増えることが予想されます。ということは、大阪府庁の担当職員と取材記者というレベルとは違った関係のネットワークが強固に張り巡らされるということにつながる可能性が高くなるとも言えるでしょう。

そしてそのネットワークは、イベントを共に成功に導く、出前授業をうまく運営して実績をつくるなど、「共通の目標(≒利害)」を持つ関係なのです。

少し悪意を込めた想像をしてみましょう。提携イベントの企画が進行し、日程や予算などがかなり具体化した時点で、そのイベントの一部の分科会のテーマに特定の外国人などのヘイトともとられかねないものが入っていたというような事態を考えます。担当者はある政治家の名前を挙げ「知事がその人の名を挙げ内々に指示した」と説明したとしましょう。

読売新聞は、それまで経費をかけて準備してきたイベントを中止したり、それまでイベントの内容隅々までチェックができなかったことも公表して原因究明をする調査報道に臨んだり、あるいは「本当にその政治家の影響でテーマ選定を指示したのか」を検証し、公開の場で知事を問い詰めるようなことができるのでしょうか。

出前授業の予定に入っていた中学校が突然取りやめになり、原因がいじめの疑いがあるが調査が進んでいないことを、読売新聞のイベント担当者が「内々に」伝えられたとして、「内々」という信頼関係を犠牲にして担当記者に伝え、その中学校のいじめ問題の取材に踏み切ることができるでしょうか。

そしてその対応を、読売新聞の誰であっても、100%そうするという確信を、あなたは持つことができるでしょうか。

私は別に読売新聞に恨みがあるわけではありません。しかし、ここは厳しく考える必要がないでしょうか。

利害関係の(目標を共有する)ネットワークが張り巡らされるということは、公開できるかできないか、判断できない情報をたくさん抱え込むということです。そして、本来は「読者のために」公開されるべき情報でも、上司や同僚、カウンターパートやその上司らへの配慮や気兼ねによって制限され、公開されなかったり、部分的にしか公開されないような力学がはたらく恐れがあるのです。

「そう見える」ことも問題

「そんな奇想天外な設定を考える方がおかしい」とか、「読売新聞とはそのような会社ではない」と判断するのも、ニュースの消費者である、ひとりひとりの自由だとも思います。

しかし、吉村知事の筋トレ写真ニュースで、多くの人がもやもやしているのは、これが「提携によって『知事の宣伝をしてくれ』と大阪府から優先的にもたらされたニュースなのか」、それとも「提携したために発生した大阪府への『配慮』によって誰かがニュースにしようとしたものなのか」、「以前から吉村知事のプライベートな行動などをソーシャルメディアで取り上げてきた、クリックバイトを狙った純粋なメディア戦略的なものなのか」「インスタ写真に『黄色い声殺到』などと書かれるのは、提携先の吉村知事へ何らかの政治的な配慮なのではないのか」などの疑問に応える正確な情報がないためです。

このような「もやもや」は「包括提携」が発表されたために発生したとも言えます。提携は読売新聞の信頼や、吉村知事の評判には少なくともあまり効果は期待できそうにありません。そうすると、別の「隠されたメリットはないのか」との疑念がどうしても発生します。

少なくとも欧米のジャーナリズムの世界で、メディアの信頼に関しては「想像し得る最悪の事態が発生しても、例えば、そのメディアで働く何人かに悪意の人物が混じっていたとしても、そのメディアの発信する情報は最終的に信用できるか」、そのような備えをしているかで判断されます。整備されたルールを作るだけでなく、不必要なしがらみが発生するような行動は避けるという行動も含まれます。

プロパブリカの倫理規範。サイト上の、わかりやすい場所に置かれており、誰でも簡単に見ることができるようになっている。
プロパブリカの倫理規範。サイト上の、わかりやすい場所に置かれており、誰でも簡単に見ることができるようになっている。

プロパブリカの倫理規範は、敢えて持って回った書き方をしています。先述の「事実が正確で公正に提示されている」などのくだりは、正確に翻訳してみると以下のようになります。

もし私たちが読者に真実を伝えなければ、あるいは、他の何か妥当な理由により、私たちが真実を伝えていないと読者が思い込んだとしたら、プロパブリカは効果的な報道をすることができない。例えば、私たちが以下のようなことを実践していないと読者が判断すれば、プロパブリカは大きな損害をこうむる。

 ・私たちが伝えた事実が正確で、公平な判断で提示されていること

 ・私たちの分析が、私たちが最善を尽くしたもので、何者にも影響を受けて   

  いない判断を反映しており、自分たちの願望や、私たちが情報源としてい

  る人物らの意向を反映したものではないこと(以下略、訳は筆者)

つまり、「私たちはそんなことはしない」というだけでは不十分で、第三者から見て「そんなことをするように『見える』」という可能性を限りなく低くしなければ、信用を守ったことにはならないという考え方です。

私たちが試されている

大阪府と読売新聞の説明は、読者は信頼してくれるはずだと確信し自信に満ちているように見えます。しかし、決意表明だけで、それをどんな状況でも守る仕組みは皆無で、裏を返すと「どうせ信じてくれるんでしょ?」と、読者に甘えた、あるいは少し悪意を込めて言えば、みくびっている態度にも思えます。

そのような説明で十分と本当に思えるのか、ニュースの消費者である私たちのジャーナリズムへの感覚が問われています。

あるいは前半で議論したCLPが、あの説明だけで、ほとぼりを冷まし、また番組を始めたとしたら、あなたは見るべき価値があるものと思えますか。それとも、再発防止策や新たな決意表明など、どんな説明があれば納得できますか。それとも、どうしてもできませんか。

ニュースメディアに何を求めるか、ひとりひとりが具体的な言葉を持ち、共有し、メディアにも働きかけることが求められています。読者のみなさんが考えてくれるヒントになればと思います。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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