事故で右足を切断した男性と下半身まひの友人が、バイクでサーキットを走った日
9月5日、東京2020パラリンピックが13日間の会期を終え、閉会式が行われました。障害を負った選手たちが日々努力を重ねさまざまな競技に挑戦する姿に、励まされ、感動した人も多いことでしょう。
一方で、この大会を見ながら私が痛感したのは、出場選手に交通事故の被害者がとても多いという現実です。
脊髄損傷でまひが残った人、四肢の切断を余儀なくされた人……、各選手がどのような事故の被害に遭ったのかはわかりませんが、危険な状態から一命をとりとめた彼らは、きっと長い時間をかけてリハビリを乗り越え、苦しい練習を重ねてここまで上り詰めてきたのでしょう。
■バイク事故で障害負っても、またバイクに乗りたい
つい先日、私のもとに義足のパラアスリートからメールが来ました。
「お久しぶりです。9月1日、22年ぶりにバイクでサーキットを走ることになりました。脊髄損傷で下半身まひになった友人も一緒に走る予定です。都合が合えばぜひ見に来てください」
差出人は埼玉県に住む丸野飛路志さん(58)。21年前、バイク事故で右足を大腿部から切断しながらも、車椅子バスケットや車椅子マラソン、義足でのウォーキング競技に、果敢にチャレンジしてきた男性です。
丸野さんが義足の条件付きで二輪免許を更新したことは、かつて取材したことがあったので知っていました。しかし、今回はサーキットを、しかも脊髄損傷の友人と一緒に走行するというのです。
私はこれを読んだとき、いったいどのようにすれば下半身まひの人がバイクに乗ることができるのか、まったく想像がつきませんでした。
でも、現地に足を運んでみて、自分がいかに固定観念に縛られていたかを思い知らされることになったのです。
■21年前の同じ日に不可抗力の事故で重傷を負った二人
9月1日、朝8時。千葉県の袖ヶ浦フォレストレースウェイのピットに到着すると、すでに到着していた丸野さんが車椅子に乗って出迎えてくれました。隣には、同じく車椅子に乗った丸野さんの友人、古谷卓さん(48)もいます。
丸野さんは語ります。
「実は僕たち、21年前、偶然にも同じ日に交通事故に遭ったんです。僕は右足切断、古谷くんは脊髄損傷。同じ病院で知り合ってから、車椅子バスケをやったりして、ずっと付き合いを続けてきました」
二人とも、バイクでツーリング中の事故でした。丸野さんは、今もその瞬間のことをはっきり記憶していると言います。
「2000年5月27日、SUZUKIの刀750改に乗ってツーリングに出かけました。その帰り道、右カーブで突然、対向の1トントラックがセンターラインを越えて突っ込んできたのです。僕はトラックと自分のバイクとの間に右足を挟まれたまま数十メートル前方に飛ばされ、しばらく意識を失っていたようですが、気がつくと痛みに耐えられず大声で叫んでいました」
丸野さんは、右大腿部および右膝開放骨折、右肘開放粉砕骨折、右骨盤骨折、左右肋骨骨折などの重傷を負い、医師からは「止血作業と搬送があと5~10分遅れていれば、死亡していただろう」と言われたそうです。
「加害者は認知症の高齢者でした。正直、怒りのやり場に苦しみました。でも、相手が任意保険に加入していただけでもよかったと前向きに捉えるようにし、今まで以上にアグレッシブに、家族みんなで楽しんでいこうと考えるようにしたのです」
友人の古谷さんも、同じく避けられない事故でした。
「僕はHONDAのブラックバード1100で仲間とツーリングをしていました。その途中、ごく普通の一般道を直進中、右車線から強引に左折してコンビニに入ろうとしたワンボックスカーがいきなりぶつかってきたのです」
衝突の衝撃で前方へ飛ばされた古谷さんの身体は、ガードレールに衝突しました。その直後、転倒した自身のバイクが背中に直撃し、脊髄を損傷したのです。
丸野さんも古谷さんも、相手車の一方的な過失で人生を大きく狂わされてしまいました。
それでも二人は、「バイクに乗っていたことを後悔はしていない」と言います。
古谷さんは私にこう話してくれました。
「正直、事故に遭って車椅子生活になったことよりも、大好きなバイクに乗れなくなったことのほうがショックでしたね」
■サーキットでみたもうひとつの「モト・パラリンピック」
さて、そんな二人が、この日はバイクでサーキット走行をするというのです。
走行会を主催したのは、一般社団法人SSP (Said Stand Project=サイドスタンドプロジェクト)。2輪の世界GPでレーシングライダーとして大活躍した「青木三兄弟」の長男・青木宣篤選手と、三男・治親選手が発起人となって、2019年に立ち上げられた非営利支援団体で、
『交通事故等で障害を負い、バイクを諦めざるを得なかった元ライダーたちに再びバイクに乗ってもらい、バイクを楽しんでもらえるように』
と、彼らの“夢”と“希望”を応援しているのです。
実は、青木三兄弟の次男である拓磨選手は、1998年、GPマシンのテスト中の事故で脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされました。宣篤選手と治親選手はそんな拓磨選手になんとかもう一度バイクに乗ってもらいたいと考え、「Takuma Ride Again」というプロジェクトをスタートさせました。それが、サイドスタンドプロジェクトの取り組みのきっかけとなったそうです。
この日、サーキット走行会に参加したのは、バイク事故で足を切断した丸野さん他1名と、脊髄損傷を負い下半身まひとなった古谷さん他1名、そして病気で全盲となった1名の計5名です。
重い障害を負ってもなお、バイクへの夢を抱き続けている彼らのために、青木宣篤選手と治親選手、そしてボランティアスタッフたちは、事故のないよう細心の注意を払いながら、優しいまなざしで一人ひとりのライダーに接し、それぞれの障害に応じて懇切丁寧に手順を説明していきます。
足でギアチェンジができない人には下の写真のような改造が施されされたバイクで、安全なライディングができるようサポートしていくのです。
下半身まひの古谷さんが革ツナギに身を包み、複数のスタッフの力を借りてバイクにまたがります。そして、ブーツをステップに固定し、ヘルメットをかぶって夢にまで見たバイクでサーキットを走る……、その姿を見守るスタッフたちから声援と拍手が沸き起こります。
ピットに戻ってきたときの彼の満面の笑みを見たとき、私はまさに、もうひとつのパラリンピックを見ているような気持になりました。
過去の走行会の模様は、サイドスタンドプロジェクトのウェブサイトにアップされている下記の動画をご覧ください。
■「バイクで走りたい」という夢を叶えた友の後ろ姿に涙
丸野さんは語ります。
「古谷くんは午前に3回、午後も2回乗って、結局5回サーキットを走行しました。自分とは一緒に2回走行できて、とにかくすごく感激し、感動しました。最初は『古谷くんがまたバイクに乗れたら喜ぶだろうなあ、その姿を見たいなぁ』という思いから始まったのですが、この日、一緒に風を切ってサーキットを走りながら、古谷くんが実際にバイクに乗って走っている後ろ姿を見ていたら、もうウルウルして……、ピットに戻ったときに涙を隠すのが大変でした。本当にSSPのスタッフの皆さんにはお世話になり、感謝しています。夢はあきらめず、持ち続けることが大切ですね」
サイドスタンドプロジェクト(SSP)のWEBサイトにはこう書かれています。
ちなみに、この活動に賛同し、協賛する企業や個人サポーターの支援により、丸野さんや古谷さんのように障害のあるライダーは、無料で試乗走行ができるそうです。
手や足がなければ2輪車には乗ることができない、体がまひしていたらバイクにまたがることはできない、そう思い込んでいる人は、ぜひ一度、サイドスタンドプロジェクト|一般社団法人SSPのサイトをのぞいてみてください。
そして、SSPの活動を知ることにより、一瞬の事故によって自分の好きな趣味や夢を絶たれてしまった人がどれほど大勢いるのか、また、その夢を実現するためにどれほどの努力と熱意とサポートが必要なのか……。
車を運転する人にはその現実をぜひ知っていただきたいと思います。