新金線旅客化祈念号、第4回は185系貸し切り電車で鹿島神宮へ。なぜ鹿島?
2024年7月6日、鉄道ファンに人気の185系電車が走りました。往路は松戸から鹿島神宮駅まで。復路は鹿島神宮駅から両国駅まで。団体貸し切り列車で、主催は新金線の旅客列車運行を目指す「新金線いいね! 区民の会」です。
新金線とは?
新金線は総武本線の新小岩駅(東京都江戸川区)と常磐線の金町駅(東京都葛飾区)を結ぶ貨物専用線です。新金線、または新金貨物線と呼ばれていますが、正式には総武本線の支線です。約7kmの短い路線とはいえ、かつては千葉方面の貨物列車を都心に乗り入れるために重要な路線でした。千葉方面からやってきた貨物列車は、ここでスイッチバックして新金線に入り、金町駅でまたスイッチバックして、隅田川の鉄橋を渡って隅田川駅(東京都荒川区)などに向かいました。
総武本線に隅田川の鉄橋があれば、千葉県からの貨物列車はそのまま都心に乗り入れたはずです。しかし、総武本線の前身の総武鉄道は資金不足で鉄橋を作れませんでした。貨物列車は両国駅に到着すると、船や荷車に積み替えて隅田川を渡りました。1907(明治40)年に総武鉄道が国有化されても、隅田川を渡る鉄橋が作られませんでした。
一方で鉄道貨物は増え続けます。しかし国も鉄橋を作る予算がありません。このままでは不便だと、次善の策として新金線を作り、貨物列車を常磐線に迂回させました。このルートは2度もスイッチバックしますが、隅田川駅へ向かう最短ルートでした。
1932(昭和7)年に総武本線も隅田川に鉄橋がかかり、両国駅から秋葉原駅へ延伸します。しかしこの鉄橋は電車専用となりました。その結果、新金線は千葉県と東京都を結ぶ物流ルートになりました。現在も貨物列車は新金線経由のまま運行されています。
ところが、戦後から列車全体の運行本が増加し、とくに旅客電車の運行本数が急増します。そこで国鉄は「貨客分離」を目指します。京葉線や武蔵野線を建設し、千葉から東京へ向かう貨物列車は蘇我から京葉線に入り、西船橋から武蔵野線に入って都心を迂回する形で運行されました。新金線の貨物列車は大幅に減りました。
旅客化構想は71年の歴史
家の近くに線路があるのに旅客列車がない。沿線の人々の不満と、新金線に乗りたいという希望は「半世紀を超える悲願」です。当時は国鉄だったので、施策のほとんどに国会の承認が必要でした。その要望はようやく政治の場に伝わります。いまから71年前の1953(昭和28)年に、地元の代議士から国会で「新金線を複線化して客車を運転すべき」と質疑されました。このとき、吉田茂首相(当時)は「国鉄に予算がない」と却下しています。
それでも地元に新金線旅客化の要望は強く、1983(昭和58)年の葛飾区議会は「新金貨物線の旅客化に関する意見書」を全会一致で採択しました。しかし、それから40年経っても実現の目途が立ちません。
そんな状況の中で、いくつかの市民グループや政治家が実現に向けて要望活動を続けてきました。参加者の高齢化による解散、引退もあるなかで、地道に活動を続けている団体が「新金線いいね! 区民の会」です。政治的な動きはしないで、市民の目線で新金線の実現をめざし「葛飾区を応援しよう」というボランティア団体です。
「新金線いいね! 区民の会」の主な活動は、新金線実現の区民の機運を盛り上げること。新金線沿線ウォーキング、ゴミ拾い運動や、会員の専門的な知識で新金線のプランを作り葛飾区へ提案することなどを実施しています。葛飾区とも定期的に話し合いを持っています。貸し切り列車「新金線旅客化祈念号」もその活動の1つです。
2023年4月24日に開催された住民説明会で、葛飾区の担当者も出席し、2023年度から専門担当課長を任命したことが明らかになりました。
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4回目の「新金線旅客化祈念号」は鹿島神宮へ
「新金線旅客化祈念号」は過去に3回運行されて、今回は4回目です。およそ6カ月~7カ月の間隔で実施してきました。前回、2023年10月29日の様子は当サイトで紹介しました。
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新金線に乗るだけなら、新小岩~金町間だけで十分です。しかし貸し切り列車を手配するには距離が短すぎます。そこで「新金線旅客化祈念号」は少し足を延ばして日帰りツアーの体裁になっています。
4回目のルートは松戸駅を出発し、金町駅から新金線を通り抜けて新小岩駅へ。ここでスイッチバックして、総武本線で佐倉駅へ。佐倉駅から成田線で香取駅へ、香取駅から鹿島線で鹿島神宮駅に至ります。このルートはちゃんと意味があります。現在、新金線を経由する貨物列車のルートをなぞっているかたちです。貨物列車の気分になってみましょう(笑)というわけです。
なお、実際の貨物列車は鹿島神宮の次の駅、鹿島サッカースタジアム駅まで走り、スイッチバックして鹿島臨海鉄道の貨物線「鹿島臨港線」に入って神栖駅まで走ります。この路線は非電化のため185系電車は乗り入れできません。したがって往路の終着駅は鹿島神宮駅となりました。
鹿島サッカースタジアム駅はJR東日本と鹿島臨海鉄道の境界駅です。もともと北鹿島駅という貨物専用の駅ですが、隣接地に茨城県立カシマサッカースタジアムができたことで旅客駅になりました。ただし営業はカシマサッカースタジアムで試合やイベントが開催されるときだけです。
7月6日は夕方から鹿島アントラーズと北海道コンサドーレ札幌の試合が開催されました。通常、鹿島サッカースタジアム駅に停車する列車は試合時刻の18時ごろから20時頃までとなっています。しかしこの日は「新金線旅客化祈念号」の到着に合わせて停車時刻を繰り上げていただき、ふだんいけない駅の訪問が可能となりました。
ツアーの鹿島神宮駅滞在時間は12時19分から16時50分までの約4時間半でした。参加者は鹿島神宮にお参りする人、鹿島線に沿って歩きながら貨物列車を撮影する人など、自分なりの時間を楽しんでいました。ちなみに私はどちらも選ばす、冷房の効いた鹿島臨海鉄道に乗り、水戸駅まで往復しました。木が茂った緑のトンネル、長い高架橋から眺める水郷の景色を楽しみました。
水戸駅からの帰りの列車は鹿島アントラーズのシャツを着た応援団の人々で大混雑でした。途中の駅からもサポーターらしき人々が乗車します。自家用車で行くとスタジアムでビールを飲めませんから、列車で行く人が多いようです。鹿島アントラーズは地元の人々に支持されているなあと、あらためて思いました。
帰路も同じルートをたどります。ただし、新金線には入らずに新小岩駅を直進して両国駅に到着しました。かつての貨物列車の終着駅です。ここで解散となりました。
葛飾区がホンキにならないと実現は遠い
今回の「新金線旅客化祈念号」は参加者約300名、沿線自治体の葛飾区と江戸川区が約3割で、7割が沿線外でした。鉄道メディアで紹介されたこともあり、貨物鉄道や185系電車のファンも多かったようです。ボランティア団体が主催ということもあり、旅行会社の同様のツアーよりもおトクな値段も魅力でした。いままでよりも沿線外の比率が高まり、東京都全体や、さらに広範囲の人々に新金線旅客化を認知してもらえたと言えるでしょう。
新金線の旅客化については「新金線いいね! 区民の会」のボランティア活動のほかに、自治体や商工会を交えた「期成同盟会」の設立が重要だと私は考えます。「貨物線が空いているからLRTを走らせよう」だけではなく、「なぜ葛飾区にとって新金線が必要か」をまとめていく必要があります。「葛飾区は南北交通が貧弱だ。しかし住宅が密集しており片側2車線道路を建設しにくい。だから新金線を活用したい」という強い意志が必要です。
その上で東京都に提案し、国土交通省に図って官庁の認識も高めたい。とくに懸案事項のひとつ、国道6号線(水戸街道)の交差部「新宿(にいじゅく)踏切」の解消は国の力添えが不可欠です。
東京圏の新路線は、国土交通大臣の諮問「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」の答申に掲載されないと進みません。この答申は2016年の第198号が最新で、目標年度は2030年です。それまでに新たな答申が作られるでしょう。その答申に採用してもらうべく、葛飾区の尽力に期待します。
<追記> 次回は2025年1月の開催予定、新金線を行き来する貨物列車の本来の終点、神栖駅乗り入れを目指すそうです。実現すると良いですね!!
※この記事は筆者が「新金線旅客化祈念号」に招待いただいて取材執筆しました。
新金線いいね!一般社団法人新金線実現の会(新金線いいね区民の会)
※ 2024年7月19日 19:48 文中の時刻を修正しました。
※ 2024年7月19日 21:48 次回の情報を追記しました。
※2024年7月22日 22:43 校正結果を反映しました。