台湾と鉄道が大好きになる映画『郷愁鉄路~台湾、こころの旅~』監督にインタビュー
台湾の鉄道路線「南廻線」のドキュメンタリー映画『郷愁鉄路~台湾、こころの旅~(原題:南方,寂寞鐵道)』が2024年7月5日から公開されます。本作品は鉄道風景から、そこで働く人、働く人を支える家族へと焦点を合わせます。見習い運転士のサクセスストーリーや、保守員の活躍、かつて線路工夫を支えた人々などのエピソードを重ね、鉄道、仕事、家族を愛する人々の姿を描きます。
台湾は日本から手軽に行ける海外旅行先として人気があります。日本の鉄道ファンも台湾の鉄道に興味を持っています。日本の鉄道会社のうち20社以上が台湾鉄路管理局(台鉄)と提携し、互いに宣伝しています。どちらかの1日乗車券を持っていくと相手方の乗車券が割引になったり、記念品を貰えたりという交流もあります。
そんなふうに、台湾の鉄道は観光の対象として紹介される機会が多くありました。本作品はそんな台湾の鉄道の魅力に加えて「人情」も描きます。心に沁みるリアルな物語です。
舞台となった「南廻線」は、台湾を一周する環状鉄道のうち、最後に開通した区間です。台湾鉄路管理局は日本の国鉄に当たり、そのほとんどは日本統治時代に建設された路線です。しかし「南廻線」と「北廻線」は険しい地形のため日本統治時代に開通できませんでした。その後、台湾の人々が建設に着手し、「南廻線」の全通は1991年、「北廻線」は1980年でした。「南廻線」の開通によって台湾の環状鉄道は完成しました。映画の冒頭でも建設の歴史が紹介されています。
映画冒頭に登場するDT650型蒸気機関車は、日本の国鉄のD51形の同型機です。D51形は日本でもっとも量産された機関車でした。DT650型は始めから台湾向けに製造され、出演している機関車は当初「D5118」という番号でした。1949年に「DT668」となり、1984年に引退しましたが、2010年に動態復元されました。このほか、CT270型蒸気機関車(日本国鉄C57形)、 R100型ディーゼル機関車が牽引する旧型客車「藍皮車」、DR2700型気動車(東急車輛製)、DR3000型気動車(日立製作所製)、TEMU2000型電車(日本車両製)等が登場します。軍用輸送列車の走行シーンもあり、ローカル線といえども南廻線の重要性を感じさせます。
本作品を制作したシャオ・ジュイジェン(蕭菊貞)監督は、1994年に初監督作品『博盛、這孩子』を発表して以降、ドキュメンタリー映画で数々の受賞歴がある人物です。とくに1999年の映画『紅葉野球チーム(原題:紅葉伝奇 )』は、日本のリトルリーグ強豪チームを相手に完封勝利した台湾少年野球チームと、その後の人生を描く実録です。山形国際ドキュメンタリー映画祭など国際ドキュメンタリー映画祭で好評を博しました。その後も台湾を舞台としたドキュメンタリー映画を発表しています。
そのシャオ監督にインタビューする機会を得ました。最新作で鉄道をテーマに選んだ理由、とくに南廻線を選んだ理由について、この作品への思いを聞きました。
信頼を得るため、取材に5年を費やした
杉山:鉄道をテーマとした作品は初めてですか? もともと鉄道が好きでしたか?
シャオ:鉄道ファンとかマニアとか、そういうレベルではありません。台湾で鉄道マニアっていうと、撮り鉄をイメージしますけれど。列車はいままでたくさん乗っています。
2000年に撮った『銀簪子』で、父の時代のことをドキュメンタリー映画にしました。その時に、私は自分がその家に帰って、そしてまた自宅に戻ってくるっていう場面を描きました。その表現方法が鉄道なんです。車窓から見える風景に、自分の気持ちを重ねるように。汽車には私とちょっと重なる部分があるように思います。私は映画監督なので、そういうやり方で語ります。
杉山:故郷に近づく、思い出の風景がある。そして遠ざかる。思い出とのお別れ、未来への一歩、でしょうか。いろいろな思いがそこにはありますね。鉄道そのものというより、鉄道を借りて、気持ちを投影するんですね。
シャオ:今回の『郷愁鉄路』は、初めて鉄道を主題にして撮った作品です。鉄道に携わる人たち、誰がここにその鉄道路線を引いて、どういう人たちがその工事に携わって、どうやってその人々が働いているのか。そういう人間を撮ることは好きです。だから舞台は鉄道ですけれども、テーマは人間です。実は台湾には、鉄道で働く人を専門に撮った映像作品はないんです。
杉山:それは意外でした。台湾初の鉄道文化ドキュメンタリー映画なんですね。
シャオ:もちろん、ドラマや映画の中に鉄道の場面が出てくる作品はたくさんあります。でも、鉄道で働く人たちを主体に描いた作品は初めてです。
杉山:『郷愁鉄路』には鉄道で働く人、その人たちを支える人などたくさん出てきますね。私が印象に残ったエピソードのひとつは、鉄道建設現場のそばにある売店の母娘です。当時の鉄道工夫はみんなその店に通っていて、娘さんは看板娘で、「私、あの頃モテたのよ」という話をしている。お母さんはなんだかそれが気に入らないみたい。もう20年以上も前の話で、娘さんは楽しい思い出、おかあさんはそうでもない。そのやり取りがすごく興味深く感じました。
シャオ:撮影には5年間かけましたので、いろんな人物を取材して、鉄道と関係性のある物語を見つけていきました。最初は運転士を主人公にして、その視点から見たものが狙いだったんです。それがだんだん広がって、様々な人物に焦点が当たりました。それぞれの人物の背景を拾っていくと、どのエピソードも非常に面白く素晴らしいものでした。それらを集めて、映画で記録することに意義があると思いました。
杉山:鉄道がドラマチックになるのは、鉄道の周りにいる人それぞれに物語があるからですね。
シャオ:台湾でも鉄道ファンは鉄道、列車というハードに興味を持って撮るところが出発点ですけれども、私のドキュメンタリーを見た鉄道マニアの人たちは、人の物語が鉄道の背後にあるっていうことを、非常に面白いと感じたようです。その後、鉄道だけではなく、鉄道と関係のある人物も撮ろうという感じになって、映画と鉄道ファンの相乗効果が面白いと思いました。
家族の気持ちを撮れた……台湾の上映で泣く人も
杉山:映画の冒頭で、若い見習い運転士さんが点検するところから始まって、後半に運転士の試験に臨みます。先輩の厳しさ、仲間の応援、その結果は……という、あそこがとてもドラマチックでした。リアルで、共感するところです。
シャオ:ドキュメンタリーは、時間をかけて撮って、そして時間に助けてもらうところもあります。あの若い運転士、ホアン・ユーチンは、最終的に私たちの撮影が終わる頃に、全台湾の中の運転技術のコンクールで1位になりました。それで、この映画の最後の場面に表彰式を入れました。でも、彼と知り合った頃は、全台湾で1位になるなんて、こっちも全然思わなかったです。
杉山:映画の終盤で、彼のビッグニュースが出てきて、ああ、良かったなあと。私も感動しました。ほかに、監督として、とくにこの人に登場してもらって良かったという方はいますか?
シャオ:そうですね、まず挙げるとすれば、過去の列車の転覆事故で大怪我をしたウー・チータイさん。事故の衝撃がすごくて、トラウマが残っていたのでインタビューを3年待ちました。3年待って、やっと、私たちに信頼を寄せてくれるようになって、その事故についても語ってくれるようになったんですね。彼の話からして、鉄道で働く人たちの、とくに運転士のプレッシャーがいかに大きいか。ふだん、運転士は、そういうプレッシャーの大きさっていうのを語る機会ってないんですね。私たちを信頼して語ってくださいました。とても意義深かったと思います。
杉山:鉄道という仕事の理解が深まりますし、鉄道ファンの尊敬も集めるだろうと思います。
シャオ:もう1つは、家族の気持ちを撮れたことです。家族が、鉄道員の父、夫に対してどういう思いだったか。その奥さんの気持ちに着目するって、なかなかできないです。奥さんたちは、その旦那さんが鉄道で働く、昼夜も区別なく一生懸命働いている。奥さんは非常に複雑な思いを抱えて夫の仕事を支え続けてきたと思うんです。そういう奥さんたちの気持ちは多分、『鉄道員(ぽっぽや)』の映画の中で語られるのと同じような気持ちだったという風に思います。そういう風に台湾で言われました。
杉山:日本映画の物語にも鉄道員の家族が登場する作品はいくつかあります。でも、ドキュメンタリー作品は「事実」ですから、重みがあると思いました。
シャオ:台湾の上映会で、上映後にQ&Aコーナーもあったんですけれど、最後まで観客席を離れない女性がいました。その人はずっと涙を流しながらそこにいたので「どうしたんですか。気分が悪いんですか」って聞いたら、そうじゃないんですって、「自分の夫のことを思い出して、こんなに自分たちの物語を描いてくれたんだなって風に感じたので、もう、感動して泣けました」っていう風に言ってくれました。
杉山:嬉しかったのかな。
シャオ:さらに聞くと、彼女の旦那さんは鉄道員で、ある寒い冬の日にホームで勤務中に倒れました。脳溢血だったそうです。
杉山:ああ、それはたいへんなことで……。
シャオ:それで、こういう鉄道のドキュメンタリーがあるので、あなたの代わりに見に行ってくるわねって旦那さんに言って、見に来てくれたそうです。そして、すごく感動したって言ってくれました。だから、この映画って、鉄道員の家族にとっても、何かしら、心を慰めるようなものになったのかなって思いました。
杉山:家族の場面は印象的な場面がいくつもありました。親子4人の鉄道一家とか、旦那さんがめったに家に帰らなくて、ひとりで出産した奥さんとか。別の鉄道員は、家族で旅行なんてしたことないって。定年退職したら妻と旅したいと。鉄道の仕事は苛酷で家族と一緒に居られないけど、それでも家族を大切にしている。心を打たれます。
鉄道を描くことで台湾を知る
杉山:鉄道のお話を伺いたいのですが、今回、南廻線を選ばれた理由は何でしょうか。私の印象だと、比較的新しい路線で、日本統治時代と違って台湾の人々が始めから建設に関わっていた。つまり、運行する人だけではなく、建設した人、電化にかかわった人もご存命で、取材対象がたくさんあったからかなと思いました。もちろん景色も良かったんですけれども。
シャオ:最初の構想は「鉄道を描くことで台湾を知るアプローチにしよう」でした。ちょうど南廻線が電化工事の最後の路線になるタイミングでした。でも、台湾鉄道の人も含めて、なんでわざわざ南廻線を撮りに行くのかって、そんな不便なところに何しに行くのかって、そんな風に言う人が多かったです。非常に辺鄙なところですし、そこを走ってる列車も旧型の古いものばかりだし。乗客も多くない。言わば忘れられた鉄路であるわけで、そういうところをなぜ撮りに行くのかと。でも、そういう路線だからこそ物語があるような気がしました。ご覧いただいたように、あの風景もとても美しいので、南廻線を撮りたいと思いました。
杉山:それは成功だったと思います。
シャオ:映画が完成して、私が強く感じたのは、この映画が単にその南廻線だけの話ではなくて「あらゆる人の記憶を呼び覚ます」ものでした。これは自分のこれまでの人生とその鉄道との関わりのストーリーだって改めて思いました。鉄道にかかわった皆さんが、自分のこれまで歩んできた道のりの記憶を呼び覚ます作品になったと。
杉山:つまり、南廻線のドキュメンタリーと同じような物語が、台湾のどの路線にもあるっていうことなんでしょうね。
シャオ:南廻線ともうひとつ、北廻線があるんですけども、この2路線っていうのは、日本の統治時代に技術がまだ足りなかったので完成できなかった路線なんです。
杉山:トンネルのお話が映画にも出てましたね。
シャオ:日本が出ていって台湾独自で作った2路線は、その意味でもちょっと特別な感じがあります。ただ、いずれにせよ、今まで鉄道が頼りだったわけです。これまでずっと。だから、いろんな人の記憶の中に、電車に乗るっていう記憶が深くこびりついているわけです。ですから、南廻線のドキュメンタリーをとることで、いろんな人の過去の経験にリンクするところがあるのではないか、という風に思いました。
杉山:登場人物のなかで、乗客の1人のおじいちゃんが、「電化されると今までの南廻線とは違ってしまうんじゃないか、電柱がいっぱい立っちゃうから嫌だ」と語りました。監督はこの電化によって、南廻線が何を失ってしまって、何を得たと思われますか。
シャオ:何かを建設するとか、交通手段がどんどん発展していくことは、もう避けようのないことです。人々は「より早く」を求めます。そこで常に新しいものを絶えずこの社会は求めていくんですけれども、私の関心は、その大変革の時代のなかで「変わりゆくこと」です。この南廻線も電化されて70パーセントは変わってしまいました。たくさんの架線柱が立って、風景が相当変わってしまいました。駅のホーム自体も電化をきっかけにきれいになりました。
その電化前の風景は、もう映画の中でしか見られないわけです。変化は必然的なこと、それはやむを得ないわけですから、いい面とか悪い面とか、はっきりこう分けることができないわけです。ですけれども、やっぱりそこを残しておきたいっていう意識はありました。
杉山:鉄道ファンは古い車両がいいなあなんて思います。この映画の中で藍皮車(旧型客車)の定期運行の最終列車の風景が良かったです。
シャオ:この映画の中には廃棄処分にされた列車が出てきます。とても思い入れがあるものですよね。私は、そういう古い廃車になった列車を見て「一体、どれほどの人がこの列車に乗っただろう」、「どういうところを走って、どんな思いを持った人たちがそこに乗っただろう」、「どんな夢がそこにあっただろう」っていう風に、列車と人々のその気持ちを結びつけて考えます。
杉山:数え切れない思いがそこにありますね。
シャオ:私自身がとても気に入ってるところは、機関区の区長と廃棄処分になった車両を撮ったところなんです。自分が20年一緒に走ってきた列車が転覆してしまう。それをショベルカーで元に戻そうとしたのに押し倒されてしまって、結局、廃棄処分せざるを得なかった。「列車っていうのは、その命があるんだからと泣きそうになったよ」って語ってるところ。そのあと30分もらえれば、その倒れた車両を起こして、ちゃんと使えたのにって、語るところがあります。
杉山:悔しそうでしたね。あと30分ですよね。それが許されなかった。
シャオ:台湾でこの映画を上映した時に、ちょうどその本人がいらしたんです。それを知った観客のみなさんが「30分あげたかった!」って。
杉山:映像から共感が伝わりました。いい話ですね。最後に、台湾の鉄道の魅力について、メッセージをください。
シャオ:やっぱり変わらないものは、物質的なものではなくて心の問題だと思うんですね。情感ですとか、鉄道に寄せる思いとか、鉄道と結びついた記憶とかですね。どれだけ物質的に変わっていっても残る大事なスピリットと言いますか、そういうものを私は映画の中に残したいなと思ってます。
映画『郷愁鉄路~台湾、こころの旅~』は7月5日より新宿武蔵野館で上映開始。その後、全国順次ロードショー予定です。
(2024年6月27日 15時41分 表記などを修正しました)
(2024年7月9日 9時37分 冒頭のエラー文字を削除しました)