神の領域に近づくネット社会 〜つながりすぎた世界〜
我々は今、神の領域に踏み込もうとしている。それぐらいインターネットの影響力は大きい。ただ神は人を選ぶことなく、悪人にも慈悲深い上に、試練を与えるものである。この試練を避けるためにも、神と共生するか、逆に拒絶するか、あるいは畏敬の念をもって接するか判断する時期に来ているということであろう。
スモールワールド現象という言葉をご存知だろうか。1967年に社会心理学者のミルグラムがまったく無関係の2人を選び、その2人が平均で6人の知り合いを介せばつながるという、いわゆる六次の隔たりである。現在はどうだろうか。家族や近所付き合いといった血縁、地縁に基づくつながりは希薄になったものの、様々な人とものとの関係は複雑に絡み合い、特にインターネットの利用によって瞬間的な関係を単位時間内に数多く結ぶようになったのである。人は意識しないうちに様々な複雑な関係を背負う事になった。
ウィリアム・ダビドウはこの複雑に絡みあう人とものとの相互関係の潤滑油として、さらにそれ自体が相互関係の加速度を与えるエネルギーとなるインターネットを見つめ直し、その負の効果とも言うべき、予測不可能性がもたらす問題を明確にしている。取り上げる題材はアイスランドの金融破綻、およびサブプライム問題からリーマンショックに至る経済問題を主とし、その原因と結果をインターネットがもたらした過剰結合とその上で加速する思考感染によって説明を与えている。過剰結合は文字通り、予期そして意識しない依存関係であり、思考感染とは過剰結合上で自己増殖する、これも予期しない、そして意識しない情報の伝達である。
限りある世界、それが今までの社会であった。情報でさえ、それが伝わるまでに摩擦や抵抗が有り、急激に減衰したのである。インターネットの加速度はその抵抗を消し去り、情報が単に高速に伝わるだけでなく、その情報が雑音とともに自己暴走し、核分裂のごとく増幅する。これを本書では正のフィードバックと名付け、複雑なシステムに生じる脆弱性の根源と位置付けている。
インターネットは、それまで神のみぞ作り上げる事できた「時間」と「空間」を創成した。それは物理的な距離を克服し、処理においては高速大容量化が実現した。これは社会活動における「時間」と「空間」の創成にほかならない。我々は今、神の領域に踏み込もうとしている。それぐらいインターネットの影響力は大きい。ただ神は人を選ぶことなく、悪人にも慈悲深い上に、試練を与えるものである。この試練を避けるためにも、神と共生するか、逆に拒絶するか、あるいは畏敬の念をもって接するか判断する時期に来ているということであろう。
本稿は2012年6月に産經新聞紙上で発表したウィリアム・ダビドウ著「つながりすぎた世界」の書評を元に改めて書き換えたものである。
【参考文献】
ウィリアム・ダビドウ、「つながりすぎた世界」(酒井泰介 訳)、ダイヤモンド社、2012年4月