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【江別市】江別神社裏に残る史跡、レンガ積みの火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)

赤レンガ江別市情報サイト「えべナビ」編集長(江別市)

江別神社と旧江別小学校に挟まれた抜け道のような道路沿いに残る「火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)」を見に行きました。※2023年5月上旬撮影

説明板と標柱

「史跡 火薬庫」を示す標柱と、江別市教育委員会による説明板が設置されています。

江別市指定文化財第二号
火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)
指定昭和四十六年八月十二日
明治十一年、初めて江別に屯田兵が入地し、江別・野幌兵村の配備が完了する明治十九年までに、総計四百四十五戸の屯田兵が入地しました。当初、江別の屯田兵は札幌・琴似に本部を置く第一大隊に所属していましたが、明治二十年に、第三大隊として独立し、江別・篠津の両屯田は第一中隊、野幌屯田は第二中隊として編成されました。
この第三大隊本部は、今の江別小学校のある萩ヶ岡に置かれ、明治二十四年、江別の屯田兵が予備役に編入され、滝川に本部を置く第二大隊の配属となるまで、その役割を担いました。
大隊本部の建物は、屯田兵の解散後移築され、他の施設に利用されていましたが、昭和九年一月、失火により消失し、現在は火薬庫だけが残されています。
この火薬庫は、大隊本部の付属施設として明治十九年頃建てられたと推定され、建築面積約十五平方メートル(四・五坪)の煉瓦造平屋建の建物です。使用された煉瓦は、「S」の刻印から白石の鈴木煉瓦製と思われます。建築当時は、現小学校の体育館付近にあり、周囲には土塁が盛られてました。
この火薬庫は、唯一の煉瓦造の屯田兵施設として貴重な文化財です。
平成八年 江別市教育委員会

明治時代の屯田兵関連施設としてたいへん貴重な建物です。

元は旧江別小学校の敷地内にあったそうですが、1958年(昭和33年)に現在の場所へ移設されたそうです。

写真だと大きさがわかりにくいですが、高さは3メートル近くはあるでしょうか、実は結構大きな建物です。

屋根や軒の部分は色の濃いレンガが使用されています。

瓦屋根に細かい装飾が見えます。

説明板にもあった白石の鈴木煉瓦製を示すとされる「S」の刻印。軒先などを調べると見つけることができます。

二宮金次郎像はどこへ?

ところで以前、火薬庫の上の方に二宮金次郎像が立っていましたが、現在は無くなっています。

こちらにあった二宮金次郎像は、旧江別小学校が廃校になった後、江別第一小学校(旧江別第三小学校)校庭へ移設されました。

【消えた二宮金次郎像】江別小学校の火薬庫にあった石像はどこへ?【解決】

というわけで、江別市萩ケ岡に残る史跡・火薬庫の現在についてをご紹介しました。

史跡・火薬庫の場所

住所:北海道江別市萩ケ岡19

江別市情報サイト「えべナビ」編集長(江別市)

北海道江別市在住。二児の父。月間100万PV超の地域情報サイト「えべナビ」編集長として地域の役に立つ情報を毎日お届けしています。10年ほど前に東京から北海道へ移住した経験を持つ。趣味は鉄道駅巡りでJR北海道全駅下車済み。江別市徘徊がライフワーク。

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