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台湾西南部の海岸と新スイーツ。本日公開『1秒先の彼女』が心に優しい理由

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
『1秒先の彼女』

 今年上半期の映画の中で、ベストの1本に入れたい『1秒先の彼女』(2020年)が本日、公開される。この映画がどれだけ観る人の気持ちに優しいか、その理由を説明するために、とりあえず、ここ約30年間の台湾映画の流れを簡単に振り返ってみたい。

 まず、1970年代まで人気だったアクション映画やラブロマンスがマンネリに陥ると、1980年代から90年代にかけて、若手映画監督たちが商業ベースとは一線を画すテーマ重視の作品を次々に発表し始める。いわゆる”台湾ニューシネマ”だ。牽引したのは、日本統治時代末期から国民党政府樹立までの激動の4年間を背景に、ある一家が辿る変遷を描いた『悲情城市』(1989年 第46回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞)のホウ・シャオシェンや、1961年の台湾で実際に起きた男子中学生による女子中学生殺傷事件をモチーフにした『牯嶺街少年殺人事件』(1991年 第28回台湾アカデミー賞、金馬奨の最優秀作品賞受賞)のエドワード・ヤン等。そして、彼ら先人たちに続く”台湾新世代”と呼ばれる監督たちの中でも、なぜか”異端児”と呼ばれているのがチェン・ユーシュンだ。彼には”コメディの巨匠”と言う称号もある。なぜかと言うと、過去の代表的な台湾映画の多くが、”歴史”と”青春”が2大テーマだったのに対して、ユーシュン作品ではテーマ以上に、全編に溢れるオフビートな台湾的ユーモアが最大の魅力になっているからだ。親しみやすさ、それも大切なキーワードかも知れない。

『1秒先の彼女』の主人公、シャオチーとクアダイ
『1秒先の彼女』の主人公、シャオチーとクアダイ

 長編デビュー作の『熱帯魚』(1995年 ロカルノ映画祭青豹賞受賞)は、首都台北で誘拐事件が頻発する中、運悪く誘拐事件に巻き込まれてしまった少年が、なぜだか、誘拐犯一家と不思議な夏休みを過ごすことになる話。2作目の『ラブゴーゴー』(1998年 第34回金馬奨で助演男女優賞W受賞)は、台北に住む冴えないケーキ職人や内気な訪問セールスマンたちが織りなす恋模様を、ポップ&カラフルに描いたラブコメディで、16年のインターバルを挟んで発表した『祝宴!シェフ』(2013年)は、モデルになる夢を捨てて故郷に戻ったヒロインが、名料理人だった亡き父親が残したレシピを基に、バンド料理(祝宴の際に野外で振る舞われる台湾の伝統料理)に挑戦する物語。どれもが、確かに少しずつ異色で、かつ、台湾の今を独特のユーモアで包んだ作品になっていた。

アラサーの郵便局員、シャオチー
アラサーの郵便局員、シャオチー

 そして、最新作『1秒先の彼女』は、ユーシュンが20年温めてきた脚本を基に映画化した、ある意味ライフワークと呼べる作品だ。毎朝目覚まし時計が鳴る前に目覚めてしまい、思えば子供の頃から、合唱で歌い出すのも、映画を観て笑い出すのも、常に人よりワンテンポ早い郵便局勤めのアラサー女子、シャオチー(リーロペイユー)主導で、第一の物語が始まる。ある日、彼女は不可解な現象に遭遇する。朝目覚めたら、確かに前の日、期待を胸にデートに出かけたはずのバレンタインデーが記憶から削除されていて、なぜか、デート用の服を着て全身日焼けした自分と対面することになるのだ。そう、大切なバレンタインデーが不気味な日焼けと共にまるまる消滅してしまったのである。

スローなバス運転手、クアダイ
スローなバス運転手、クアダイ

 これに、もう一つの物語が書き加えられる。バス運転手のクアダイ(リウ・グァンティン)は、何をするにも人よりワンテンポ遅いせいで、カメというあだ名で呼ばれている。思えば子供の頃から、かけっこでは出遅れ、ジャンケンは後出しばかり。実は彼はシャオチーとは幼馴染みなのだが、彼女はそれを忘れている。高校時代に同じバスの車内でシャオチーと再会したクアダイは、数年後、自分が運転するバスに彼女が乗ってきたことをきっかけに、郵便局で整理番号を取ってシャオチーの窓口に呼ばれるのを日課にしていた。そして、彼にも同じく問題のバレンタインデーがやって来る。

 ワンテンポ早いシャオチーと、ワンテンポ遅いクアダイが、果たして、空白の1日をどう過ごしたか?それがこの話の鍵なのだが、ここで監督のユーシュンは、秘密の手法を用いて映画をドラスティックに変換させる。あり得ない出来事を起こしてすれ違い続けた男女の運命を上手に修正してしまうのだ。

昨年の金馬奨で両手で黄金像を掲げるチェン・ユーシュン
昨年の金馬奨で両手で黄金像を掲げるチェン・ユーシュン写真:ロイター/アフロ

 過去のインタビューで、世の中の大多数を占める平凡な人生を生きる人たち、負け犬で挫折を繰り返している人たちに興味があり、彼らに面白味を感じるとコメントしているユーシェン。また、台湾や日本に限らず、今の若者たちは愛を信じなくなっている、とも語っている彼が、平凡な人々に愛情を注ぎ、誰でも、どこかで、誰かに愛されていると囁きかけている待望の最新作。デビュー以来26年、台湾映画を取り巻く環境も変化する中で、途中にインターバルを挟んで、あくまでも、自分が惹かれるテーマにこだわり続けて、撮った作品はたったの5本。監督としてのゆっくりとした足取りは、まるで不器用でワンテンポ遅いクアダイみたいだと感じるのは、筆者だけだろうか。

 これが、過去に作られた時間がテーマのラブストーリー、例えば、肖像画の美女に恋してしまった青年が、彼女が生きた時代にタイムスリップして思いを遂げようとする『ある日どこかで』(1980年)や、過去と未来を行き来してしまう遺伝子を持って生まれた男性と、現れてはすぐに消える彼を待つ女性の慌ただしい関係を描いた『きみが僕を見つけた日』(2004年)や、代々タイムトラベル能力を持つ一家に生まれた青年が、その能力を利用してガールフレンドと、より良い人生を手に入れようとする『アバウト・タイム 愛おしい時間について』(2014年)等と違うのは、ハリウッド映画にはない時間の描き方と、心が安らぐ独特のユーモアと希望。それは、ユーシェン作品最大の魅力である台湾的な人情と可愛らしさだと言い換えることもできる。とにかく、シャオチーとクアダイが可愛いったらないのだ。

 本作は昨年の第57回金馬奨で作品、監督、脚本、編集、視覚効果の最多5部門を制覇し、チェン・ユーシュンの最高傑作との高評価をゲット。また、アメリカの映画情報サイト、IMDbでも10点満点中7.3ポイントを獲得している。

台湾の西南部、嘉義県、東石村の水辺を走るピンク色のバス
台湾の西南部、嘉義県、東石村の水辺を走るピンク色のバス

 ロケ地も魅力の一つだ。今回、2人が空白の1日を過ごすのは、『熱帯魚』が撮影された台湾西南部の嘉義県、東石村。14キロにも及ぶ海岸線、国内最大の牡蠣の養殖場、その間を水面ギリギリで走るあぜ道、等々、映し出される台南の懐かしい風景は、シャオチーとクアダイの大切な1日の舞台として最適。また、劇中で重要なアイテムとして登場する台湾製プリン”豆花(トウファ)”は、今、台湾グルメたちにとってタピオカに続く人気スイーツなのだとか。

豆花
豆花写真:TopPhoto/イメージマート

 窮屈な日々の中で、台湾映画の人情とユーモアと旅とスイーツが楽しめて、見終わった後、とても優しい気持ちになって劇場を出られる。それが『1秒先の彼女』を強く推す理由だ。

1秒先の彼女

6月25日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー

(C) MandarinVision Co, Ltd

本予告

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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