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漫才『ザ・セカンド』 松本人志の指摘にも反応しなかった「観客審査員100人」の功罪

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

漫才『ザ・セカンド』ギャロップが優勝

ベテラン漫才師の大会『ザ・セカンド』はギャロップが優勝した。

文句なしの優勝であった。3本の漫才ネタを披露して、間断したところがなかった。

この大会は若手の大会と違って、8組が出場して対決勝ち抜き制で展開される。

「準々決勝」「準決勝」「決勝」と3本のネタを披露して勝ち抜かないと優勝できない。

その状況で、ギャロップは圧倒的な3本を見せて、優勝した。

ギャロップと囲碁将棋の「事実上の決勝戦」

唯一、準決勝での囲碁将棋との対決だけが接戦であった。

先行の囲碁将棋を見たときは、こっちが勝ったのではないかとおもったのだが、後攻のギャロップのパフォーマンスも見事で、どっちが勝ってもおかしくない、という状況になった。

蓋を開けたら、どちらも284点と同点。

痺れる状況であった。

高い評価(3点採点した人)の数によってギャロップが辛うじて勝ち抜いたが、負けた囲碁将棋がみずから言っていたように、この対決が“事実上の決勝戦”だったと言っていい。

マシンガンズの躍進が『ザ・セカンド』の特質

決勝戦での相手はマシンガンズであった。

マシンガンズが決勝まで進んだのが『ザ・セカンド』の特徴だろう。

嘘か誠か、マシンガンズは、決勝まで行けるとはおもわなかったので、3本めのネタを用意してなかったと言っていた。

たしかに最後のネタは「いま起こっている状況」を喋っていたから、おそらく用意していた3本目のネタより、いまの状況を話したほうが受けるだろうという判断でそういう漫才に強引に変更したのだろう。

それを決勝の舞台でおこなう度胸はちょっとすごかった。

「目の前の客をわかせるかどうか」で判断された

マシンガンズの漫才は、少し粗さは目立つが、でもその勢いとパワーはほかにはないものであった。

堂々の準優勝である。

どうやら「技術的な確かさよりも、目の前の客をわかせるかどうか」のほうが重要視されていたのが、この『ザ・セカンド』の特徴だったのだ。

それはそれでひとつの見識であろう。

テレビではきちんと伝わらない部分もあったが、でも新しい漫才の大会としての大きな意義はあったとおもう。

「1点」を付けにくい審査システム

審査は、会場にいるお客さん100人の投票によるものであった。

テレビ中継される大きなお笑い大会で、観客の投票だけで勝ち負けが決まるというのはたいへん珍しい。

客席には300人近くの客がいて、そのうち100人が投票する。

どうやらステージ近くに座っていた観客が投票していたようで、みんな「3点・2点・1点」の三種類ボタンがついた小さい機器を抱えていた。

全員が3点を押せば300点で、それが満点である。

「とても面白かった」が3点、「面白かった」が2点で、1点は「面白くなかった」と説明されていて、2点と1点の評価の落差がとても大きい。

だから1点がとても付けにくい判定方法であった。

14回の採点で、1点がもっとも多かったのが5人(マシンガンズ3回目の決勝での採点)で、1点採点というのは少なかった。

会場での採点と、テレビ前で見ているほうの感覚が、少し隔たっていたように感じた。

現場の熱気をもろにかぶって採点している人と、テレビ前でのんきに見ている人では、パフォーマンスの印象が違ってくる。

マシンガンズの漫才の斬新さ

わかりやすかったのが準優勝したマシンガンズである。

マシンガンズの芸は、技術的にはそんなに秀でたものではなかったとおもう。

ツッコミの間合いとボケの間合いが少しずれて、二人が同時に喋る「クロストーク」が少し起こっていた。

ボケとツッコミが違う方向の音をだして、それが重なる、ということは、ふつうの漫才では起こらない。少なくとも高レベルの漫才大会で起こることではない。

でも、マシンガンズは何回かそうなっていた。

どうやら、ボケ(右のほうの西堀)がときどきアドリブを出してしまうらしく、ツッコミがそれに対応していないことがあったのだ。

たとえば1本目の最初のほう、「もっとアガるかとおもっていたら今のところうまいこと行ってるね」とボケが言ったときツッコミの滝沢は「あーあーあー」としか答えていなかった。

同じくアドリブで「チバの人なんかみんなコレ(頭を叩く)だよね」と言ったときも「おあー、あー、あー」と言ってるばかりで、ツッコミが叫ぶだけで言葉になってないという漫才はあまり聞いたことがない。かなり斬新である。

松本人志の指摘も無視した審査

マシンガンズは、ヤフー知恵袋のネタのとき、二人とも紙を取り出してそれを読み上げていて、松本人志もあれはどうなんだと指摘していた。

クロウトの(つまり先輩芸人の)審査だったら、厳しい目を向けられていただろうということだろう。

たしかに漫才で「実際に文字が書かれたものを読み上げる」ということはふつう行われない。

でも、彼らはそのネタでも勝ち抜き準優勝となった。

クロウト審査員なら減点しそうな部分を気にせず、勢いとギャグが大いに受けたので、会場の観客審査員は高い点を与えていたのだ。

松本人志の指摘を乗り越え(彼の講評は採点後ではあったが)次々と繰り出すギャグのスピード感のほうを高く評価していたわけで、これはこれで画期的なことだったのではないか。

客席に突き刺さる変形の舞台

会場の形も審査に関係しているとおもわれる。

囲碁将棋の根建が、先端恐怖症なので怖い、と言っていたように、舞台は三角に飛び出していた。

先端が客席に突っ込む形になっていて、その尖った部分で漫才が披露されていた。

尖った部分に沿って左右の席は延びていて、観客が漫才師を取り囲んでいた。

見ようによっては「敵地に進み出た橋頭堡(きょうとうほ)」にせりだして演じる漫才だったともいえる。

舞台が尖っていたのだ。

この奇天烈な舞台の形が、いろんなことに影響を及ぼしていたとおもわれる。

漫才の熱気を高く評価する場

客席は、漫才師に迫りそうに近かったわけである。

しかもステージは低い。

そんな位置で見ていれば、熱気に強く巻き込まれる。

しかも見上げる形で、審査している。

ここで採点していれば、喋りの技術よりも、漫才の熱気を高く評価するのもわかる。

ツッコミが弱くても、ボケが強ければ評価する現場に見えた。

少々荒っぽくても、前に進む力が強いほうが選ばれていった。

それがどうやら漫才「ザ・セカンド」が求めている方向のようなのだ。

三四郎も「漫才の熱」で高く評価された

三四郎もそうだった。

相田のボケに激しく連続して小宮がツッコんでいくのだが、やはり小宮は小宮なので、ツッコんでいる短いフレーズの最中にブレスしたり、ツッコミセリフを嚙んで言い直したりしていた。

でも勢いはすごかった。ツッコミのギャグが連発される。

その熱が高く、喋りが見事になめらかだったスピードワゴンを一回戦であっさり破っていた。

スピードワゴンのネタは、かつてよく見ていたネタのパターンだったし、お互いすれ違いつづける型でたしかにあまり目新しいものではなかったが、でも「音」としてすばらしく聞きやすかった。テレビの前で静かに見ていた私はスピードワゴンが勝ったかなとおもっていたが、そういう視点では審査されていなかった。

細かい技術よりも、勢いを大事にし、笑った回数で評価するという姿勢のようで(三四郎はかなりお笑いマニア向けのネタでもあった)、もちろんお笑い評価軸として、これはこれで正しい。そっちのほうが真の審査だと考える人もいるだろう。

だから三四郎が勝ち抜いた。

そういう世界線での勝負が展開されていた。

松本人志の意向と違う審査の意味

繰り返し繰り返し番組を見返していると、それぞれのボケとツッコミ、そのバランスが少しよくないところが見えてきた。これはこれで新しい発見だったのだが、やはりそれでも何回見ても笑ってしまう。

中堅どころの真剣な漫才をつづけて見ることが少ないので、とても新鮮であった。

また、若手の漫才コンテストと違った審査の味わいも興味深かった。

松本人志の意向とは違う審査が行われるのは珍しく、それだけでも大会の存在意義はあったとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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