ジョージ・ソロスが売ったゴールドを米国民が買う理由
著名投資家ジョージ・ソロス氏の運営するヘッジファンドが、昨年10~12月期に金上場投資信託(ETF)への投資残高を55%も削減していたことが明らかになった。具体的な投資対象は、「SPDR GOLD SHARES」という日本にも重複上場されている世界最大の金ETFである。要するに、金現物を購入する投資信託の上場版であり、低コストで金現物投資が可能な投資商品として、主に欧米の機関投資家の間で人気が高まっている。
ソロス氏のファンドは、昨年9月末時点で同ETFを金の重量換算で4.11トン保有していたが、年末時点ではそれが1.87トンまで減少していたことが、米証券取引委員会(SEC)の開示資料で判明したのである。
どのような根拠に基づく投資判断なのかまでは分からないが、2月のドル建て金相場が昨年6月29日以来の安値を更新する中、マーケットではソロス氏の投資判断を高く評価する声が広がっている。特に、同氏は、昨年11月半ば以降に円の下落に賭ける投資を行い、いわゆる「アベノミクス」相場で10億ドル(約934億円)もの利益を上げたとも報道されていたタイミングもあり、その後の金ETF市場で欧米系ヘッジファンドの換金売り圧力が強くなっているのは当然の帰結と言えるのかもしれない。
世界全ての金ETFの投資残高をみると、昨年末時点では2,631.92トンあったのが、2月末時点では2,506.04トンまで、累計で125.89トンも減少している。鉱山から新たに産出される新産金が年間2,850トン程度であるのと比較すると、金ETF市場におけるこの売却圧力が、いかに深刻な問題であるかが良く理解されよう。
昨年1年間で、金ETFは279トンの投資需要を創出しているが、今年は1~2月期だけで100トン超のマイナス需要となっているのだ。差し引きすると400トン近い需給緩和圧力が発生している計算であり、これを他の現物投資や宝飾・工業需要、中央銀行の外貨準備買いなどで相殺できるか否かが、13年の金相場における大きなテーマとして浮上している。
■米国民は緩和政策の後遺症を警戒
一方、このようなヘッジファンドの売却圧力を無視する形で、金現物を活発に買い付けているセクターがある。その一つは、中国やインドを筆頭としたアジア現物筋であるが、本稿で取り上げたいのはこれではない。
ここで注目したいのは、「米国民の金貨・銀貨投資が活発化している」という明確な事実である。米造幣局のデータによると、2月の米金貨販売高は8万0,500オンス(約2.50トン)に達しており、前年同月比では+283%という驚異的な伸びを達成している。1月も前年同期比で+18%の15万オンスに達しており、米公式金貨販売高は5ヶ月連続で前年同期比プラスになっている。
投資のプロ多く集まる金ETF市場では、米景気の改善で異例とも言える金融緩和圧力が正常化に向かうのであれば、「代替通貨としての金」に対する投資需要はもはや必要ないとの判断が働いている。米連邦公開市場委員会(FOMC)の議事録では、昨年12月と今年1月ともに債券購入プログラムの修正を求める声が強くなっていたことが確認されている。現在は、毎月850億ドル(約7.9兆円)もの債券購入が行われているが、米連邦準備制度理事会(FRB)のバランスシート(保有資産)が過去最大に膨れ上がる中、これを無事に正常化(=売却)できるのかが金融当局者の間でも懸念され始めている。購入された債券を直ちに売却しないにせよ、購入ペースの縮小や購入そのものの停止を求める声が強くなっている。
これは、無制限に発行されるドル紙幣に対して、供給制約のある健全な通貨として評価を高めてきた金相場に対してネガティブな動きであることは間違いない。仮に資産購入量が過去のトレンドに回帰するのであれば、金価格は11年9月に付けた過去最高値1,923.70ドルをピークに、1,500ドルの節目を試す軟調地合を強いられるとの見方も強い。
しかし、米国民はこのような弱気の金相場見通しを知りながらも、ヘッジファンドの売りで値位置が切り下がった金貨や銀貨を積極的に買っているのである。
米国民の間では古くから、共和党支持者の間を中心に、合衆国憲法は政府の信用以外に裏付けのない「紙切れ紙幣(Bill of Credit)」の発行は認めておらず、金貨と銀貨のみが「法定通貨(Legal Tender)」であるとの思想がある。FRBはドル紙幣に「本紙幣は、公的および私的な全ての債務に対する法定通貨である(THIS NOTE IS LEGAL TENDER FOR ALL DEBT,PUBLIC AND PRIVATE)」と明確に記載しているが、これを疑問視する動きが異例な金融緩和政策をきっかけに再び盛り上がっているのである。
このような思想に基づけば、2008年のリーマン・ショック直前に9,000億ドルだったFRBのバランスシートが、過去最高の3兆ドル台に乗せており、しかも現在進行形で増加している現象は、見過ごすことのできるものではない。この差額こそが、一連の危機対応でFRBが新たに供給した資金であり、事実上無制限に供給されているドルという通貨の購買力・通貨価値が維持できるのか、米国民の不安が高まっていることを明確に裏付けるデータが、金貨・銀貨の販売高と言えるだろう。
11年以降には、ユタ、ジョージア、バージニア州などで金貨と銀貨をドル紙幣同様に法定通貨とみなす法案が成立しているが、1971年のニクソン・ショックで原油やトウモロコシなどと同じただの「コモディティ」とされた金が、「通貨」でもあることが再確認されるステージが続いている。
■アベノミクスは日本人に金投資を促すか?
一方、日本は消費者レベルでの金需給がフラットから売り越し状態にある、世界でも珍しい国である。地金大手の田中貴金属工業によると、同社の12年における金販売・買い取りバランスは、8年連続で買い取り超過(=消費者の売り越し超過)になったとされている。
これは日本がデフレ環境の続く世界でも唯一の国であることからは、正しい投資判断と言えるのかもしれない。しかし、安倍政権の脱デフレ政策を受けて、日本銀行は今年1月に「物価安定の目標」を「消費者物価の前年比上昇率で2%」とすることを決定している。今後は、この目標を達成するために大胆な金融緩和政策が実施されることになる。
その効果の有無、政策の適否についてはエコノミストの間でも意見が分かれている。ただ金市場からの視点では、日本国民が円よりも金を志向するような動きが強まるようであれば、脱デフレの流れは本格化したと判断しても良いのかもしれない。円安で価格が上昇すれば、短期値幅取りを狙った投機需要が膨らむのは当然だが、同時に円の通貨価値を疑問視した富裕層などが、金に退避する動きを見せるか否かにも注目したい。
ちなみに円建ての金価格は、1グラム当たり4,750円水準での取引になっており(3月5日現在)、ドル建て金相場急落にもかかわらず、昨年高値(4,654円)を上回る水準で取引されている。