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【河内長野市】岩湧寺の周りは秋海棠がちょうど見ごろ!今なら葺き替え後の多宝塔ブロンズ屋根の見学も。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野最高峰の岩湧山の中腹にあるのが湧出山岩湧寺。この寺の近く、岩湧の森の駐車場まで車で行けるので、ここから岩湧山頂に登る人も多いですね。

今年の夏まで行われていた岩湧寺の多宝塔の屋根の葺き替えが終わり、新しくなった多宝塔が見られるということ。加えて今は岩湧寺の秋海棠(しゅうかいどう)の花がちょうど見ごろということで、その様子を見に行くことにしました。

公共交通派の私にとって、市内でもっとも行きにくい場所のひとつが岩湧寺かもしれません。いちばん近い公共交通のバス停「神納(こうの)」から、90分かけて歩く必要があります。

それをいいだすと岩湧山もそうなのですが、どうも本当の山登りだと覚悟が出来ているというのでしょうか?そこまで気がめげません。ところが花を愛でに行くために90分の坂を上るのはちょっと大変な気がするのです。

とはいえ、この時期しか咲いていない秋海棠ですから、頑張って坂を上ることにしましょう。

この日午後になってから向かったのですが、午前中この地域は雨が降っていたようで道路の路面が濡れていました。そのためか、加賀田川の流れも激しく感じました。

やがて集落が途切れて周りが山となり、そのまま舗装された道を上がっていくと、次のような建物が現れました。この建物を過ぎたところで、

いきなり秋海棠が現れました。てっきり岩湧寺の周辺でのみ咲いているものと思っていましたので、まだ途中なのに、という事実には本当に驚きました。

ここで秋海棠(しゅうかいどう)についておさらいしましょう。

シュウカイドウ科シュウカイドウ属に属してる多年生の植物で、ベゴニアの仲間、学名は「Begonia grandis」というそうです。

元々は山東省以南の中国大陸やマレー半島に分布していたそうですが、江戸時代の初期に、園芸用に持ち込まれたとのこと。いわゆる帰化植物です。

すでに秋海棠の群生は見られましたが、ようやく岩湧山の入り口を示す石碑が現れました。

この辺りでもあちらこちらで群生が見られる秋海棠を拡大してみました。アップにするとまたピンクの色合いがきれいですね。

また秋海棠の特徴として、夏から初秋にかけて草丈 70cm 前後まで成長。そして、左右非対称の葉を互生(ごせい:植物の葉が、茎のひとつの節に1枚ずつ方向をたがえてつく)させるそうです。

岩湧の森の入口に到着しました。しかしここからは6か所の駐車場を越えないとゴールの岩湧寺に到達しません。まだまだ油断できませんね。

ところで、江戸時代初期の本草学(ほんぞうがく:中国や東アジアで発達した医薬の学問)の学者だった貝原 益軒(かいばら えきけん)が編纂した本草書の「大和本草(やまとほんぞう)」にも、秋海棠についての記述があります。

寛永年中、中華より初て長崎に来る。(中略)花の色海棠に似たり。故に名付く

また俳句でも秋の季語として秋海棠が利用されているそうで、あの松尾芭蕉も秋海棠を季語に次のような一句を残しています。

「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」

秋海棠は、岩湧の森に入ってから特に群生が多くなります。特におすすめなのが第6駐車場から第5駐車場の間です。この間は、ほとんど途切れることなく秋海棠が群生していました。

そんな秋海棠の花言葉ですが「自然を愛す」「恋の悩み」「片思い」「未熟」なんだそうです。特にハート形の葉の片方が大きくなる特徴があり、片思いという花言葉になったといわれています。

第5駐車場から第3駐車場までの間は、あまり群生が見られませんでした。

第3駐車場まで来るとまた秋海棠の群生が増えてきます。

第2駐車場です。ここまで来ると駐車場のすぐ目の前で咲きそろっています。

ちょっとこの辺りで動画に収めてみました。近くの滝の音も聞こえます。

第1駐車場を過ぎようとしたところで、このような看板を見つけました。大阪府森林組合が林道の清掃とゴミ拾いをしていたそうです。

見ると、確かに掃除をしている方の姿が見えました。こういう人たちの日々の努力があればこそ、美しい秋海棠を引き立ててくれているのでしょうね。

第一駐車場を越えて最後の一息です。ここまでくると一般車両は通らないところとあって、歩行者にとってはようやく安心して歩けます。

岩湧寺の秋海棠は、秋の彼岸のときに仏壇やお墓にお供えするのに便利なように寺域に植えたのが始まりだそうですが、それにしても本当に多くの秋海棠が咲いていますね。

こうしてようやく岩湧寺に到着しました。所要時間は撮影をしながらなので90分以上はかかったようです。ちなみに帰りは撮影なしで下りでしたので、神納バス停まで70分くらいで降りられました。

岩湧寺の本堂です。伝承では、寺の創建は大宝年間(701年~704年)で、修験道の祖、役小角(役行者)が開いたと伝わります。

もとは天台宗寺院だったそうで、後に融通念仏宗になりました。ちなみに本堂は江戸時代初期に建てられたと考えられています。

本堂の前には地蔵菩薩と、石塔などが並んでいます。

こちらが秋海棠とともにお目当ての多宝塔です。綺麗に屋根の葺き替え工事がおわり、ブロンズ色した屋根が美しく輝きます。

銅板なのでいずれ酸化して青銅色に変わると思われますので、ブロンズ色の屋根を見るのは今がチャンスですね。

多宝塔は国の重要文化財で、室町時代末期の建立、13メートルの高さがあります。内部には平安時代末期に作られた木造の大日如来坐像が安置されており、像の高さは88.7センチメートル。こちらも国の重要文化財に指定されています。

また大日如来像の隣にある愛染明王像が安置されており、鎌倉時代の作。本堂とともに河内長野市の指定文化財です。

しかし実際には、このふたつの像は多宝塔内に安置しているのではなく、堺市博物館に寄託されているとのこと。

またこちらは岩湧寺のカヤの木で、樹齢が400年ほど。高さが20メートルあり、幹回りが5.97メートルあるそうで、この木も河内長野市指定文化財です。

ということで、岩湧寺で新しくなった多宝塔と、寺域をはじめ岩湧の森のさらに手前から広がっていた秋海棠を愛でてきました。

岩湧寺の秋海棠は、9月の間楽しめます。新しくなった多宝塔の屋根とともに、ぜひ実際に見に行ってください。

湧出山岩湧寺
住所:大阪府河内長野市加賀田3824
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 神納バス停から徒歩90分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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