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【富田林市】富田林中野に古城の跡?竹林に囲まれた中野古城の散策路を歩いてみました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林中野町は、富田林駅と喜志駅の間にある町ですね。歴史を振り返ると、江戸時代は中野村で、明治時代に新堂村と合併して新堂村となります。その後昭和に入ってから近隣の村との合併が進み、富田林町を経て富田林市となりました。

そんな中野町周辺のマップを眺めていた時のこと。「中野古城」というキーワードを見つけました。「古城」があると聞くと無性に気になったので、マップで示した中野古城に行ってみました。

マップで示された中野古城があるのは、こちらです。

先ほどの場所を拡大しました。古城を囲むように水路が流れているのがわかります。この城と関係あるかどうかは未確認なのでわかりませんが、見た目は確かに城を囲んだ濠っぽいですね。

中野古城の前に来ました。改めて中野城を調べると、南北朝時代にこの地域を支配していた楠木正成の出城のひとつ。このあたりは正成ゆかりの城や砦が数多くあるので、その中のひとつです。

さらに調べると、この辺りは中野北遺跡とも呼ばれているそうで、以前発掘調査が行われ、鎌倉時代から室町にかけての瓦を含めた遺構や土器などが見つかったそうです。

水路越しに中野城の中の様子を伺います。竹で覆われているようですね。また竹でできた小屋が見えます。

中は竹林に覆われています。東側が企業団地で、コンクリートの建物や工場が並んでいるので、この場所だけは貴重。

どこか中に入れるところがないかと城跡の周囲を歩いていると、新堂交番の横から中に入れるようになっていました。

中に入ってみました。かつて楠木正成が鎌倉幕府の軍勢を迎え撃っていた城(砦)が、ここにあったのですね。

よく見ると散策道として整備されています。ただあまり入っている人は少ないよう。

途中で道が二つに分かれており、まっすぐに行く道と、丘に上がる道があります。

先に、まっすぐの道を歩いてみました。ちょうど先ほど外から見えていた竹の小屋があります。この小屋自体は特に城跡とは関係なく、用具を入れるための物置のようです。

さて竹林の道をさらに進んでみましょう。せっかくなので出口がありそうなところまで歩いてみます。

この辺りが出口のようです。ということで引き返しました。

青々とした竹林が続いています。竹林の道だともっと山の方にありそうなイメージですが、富田林駅近くの町中にあるのは貴重かも。

こうして先ほどの近くまで戻ってきます。

次は丘を登ってみましょう。

階段を登りきったところです。ここから先に続く遊歩道を歩いてみます。

竹林の道が続いています。この辺りが丘の上あたり。

かつては城(砦)だったと思われる場所も、今は竹林で覆われています。

まっすぐ行くとゲートがあります。この先は住宅街。

ふと足元を見ると竹を切った跡がありました。

と思えば、筍が成長し竹になっていく過程のものがあります。

そのまま進むと、下りの道がありました。

先ほどの登りと比べて道が少しわかりにくいので、この道で下るより引き返した方がいいかもしれません。

下ったところです。道路に出ましたが、水路が邪魔をするように流れていました。飛び越えられそうでしたが、ちょっと無理がありそうな微妙な幅だったので、そのまま水路沿いに歩き、最初の交番の横の出入り口に戻りました。

中野古城と言っても実際に歩いてみたら、城跡の痕跡などはほとんど残っていません。説明が書かれた表示板などもなかったのが少し残念。ただ町中にオアシスのようにある竹林の道は、歩いてみて非常に気持ちよく散策には最適でした。

中野古城
住所:富田林市中野町東1丁目付近
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩20分、近鉄喜志駅から徒歩21分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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