中国映画『妻への家路』を観て チャン・イーモウ×コン・リーが描く悲しく切ない夫婦愛
映画の原題は「帰来」(Coming Home)。「以前いた場所に帰ってくる」という意味だ。日本語では「帰郷」や「帰宅」といってもいいが、邦題は「妻への家路」。なぜ「妻への」なのかは、映画の中で明らかになるが、まさに的を射た意味のあるタイトルだと思う。
冒頭から緊迫したシーンの連続で、核心に入っていき、ぐいぐいと引き込まれ、あっという間に2時間近く経ってしまった。
「右派」として捉えられた夫(チェン・ダオミン)がもし自宅に帰ってきたら、すぐに通報するように、と共産党の党員から厳しく指示されるのだ。ひとり娘は素直に受け入れるが、コン・リー演じる妻は、なかなか首を縦に振らない。
夫が逮捕されたことで、娘はバレエの発表会で主役を演じられなくなり、悔し涙を流す。この頃の中国ではとくに、「政治」が「個人の生活」に強い影響を及ぼしていたからだ。どんなにバレエがうまくても、父親が「右派」のレッテルを貼られた以上、彼女のこの先の人生は暗いものになってしまう。現在ではこれほどのことはなくなったが、やはり政治と無関係でいられないのが中国人なのだ。
自宅前に常に見張りがいる中、どしゃぶりの雨の中を夫がこっそり現れる。しかし、娘に見つかり、妻には会えないまま。翌日、娘の通報により夫は逮捕され、そのまま3年の月日が流れる。文革が終わり、夫はようやく解放されるが、妻は心因性の記憶障害となっていた。しかも夫だけがわからない、という悲し過ぎる障害だ。主演のコン・リーはこの役をやるために2カ月間も病院に通い、記憶障害の患者を観察したという。最初のうち、症状はそれほどひどくはないのだが、徐々に障害が重くなっていくのを見ているのはつらい。だが、徐々に年を取り、ひどくなっていく症状まで、細かく演じているリーはさすがだ。
夫は仕方なく、自宅の向かいの家を借り、そこに住みながら、毎日のように妻に話しかけるが、妻はどうしても記憶を取り戻すことができない。むろん、自分が病気であることすら気づいていないのだから、当然だが……。それどころか、「この人は夫ではない」と強い口調で言い張り、追い出してしまう。夫は昔のアルバムから自分の顔写真を取り出して妻に見せようとするが、バレエへの道を閉ざされた娘が、アルバムから父親の写真をすべて切り抜いてしまったため、夫の写真は1枚もない。
夫は近くに住む党員のところに自分の写真があるか聞きに行き、そこには1枚だけあるのだが、その党員の夫も、文革中に自殺していたという悲しい出来事があった。文革中は多くの家庭で、このような悲劇があったことをうかがわせるシーンだ。夫は外国語にも明るい元大学教授という設定だ。インテリで知性のある雰囲気をチェン・ダオミンがよく表現している。ピアノも上手だったことから、ピアノで彼女の昔の記憶を呼び戻せるのではないかと考え、妻が留守の間に自宅のピアノを弾く夫。その音色を聞いた妻は夫の肩に手をかけ、夫も喜んで2人で抱き合うのだが、やはり、妻の記憶は戻らなかった。
ハッピーエンドでは終われない「時代の重み」
ある日、妻のもとに大きな荷物が届く。そこには下放されていた間に夫が妻に当てた大量の手紙が入っていた。妻に読み聞かせるのだが、目の前で読んでくれている人が自分の夫だと妻は最後まで気づくことができない。映画のラストは、さらに数年経った夫婦の年老いた姿を描いている。妻は「5日に帰る」という夫からの手紙を信じて、夫の名前を大きく書いたプラカードを持って駅に向かう。その傍らには、記憶の戻らない妻を見守る夫の姿があった。
映画を見ながら、何とか妻の記憶が戻らないものか、と切ない思いに何度もかられたが、残念ながらラストシーンまで“救い”はなく、ハッピーエンドではなかった。これから先も妻は夫を迎えに駅に向かい、夫はその妻を支えていくだろうということを暗示させる、悲しい結末だ。しかし、妻の自覚は戻らなくても、これから先は夫婦ずっと一緒。そんな安堵感だけは胸に残った。
この映画が、中国を代表する俳優のチェン・ダオミン、そしてコン・リー。コン・リーを見出した巨匠、チャン・イーモウ、さらに、チャン・イーモウが新たに発掘した新人女優、娘役のチャン・ホエウェンというすばらしいキャスト、スタッフによって完成したことは意義深い。地味な内容だが、中国が歩んできた道を振り返り、考えるためにも、見ておきたい作品だ。
中国社会はこの20年で劇変し、街並みまですっかり変わってしまった。高層ビルが立ち並び、高級外車が走り、贅沢をする富裕層も多い。一見すると中国は、以前とは「まったく違う国」になったかのような錯覚に陥るが、文化大革命が終結してからまだ30数年しか経っていない。当時、この夫婦や娘が味わったような悲劇は数えきれないほどあっただろうし、今もまだ、その後遺症に苦しめられている人はいるに違いない。そのことを改めて考えさせられる、静かだが、胸にずしんと落ちる秀作だった。