シェック・ディアロが京都で熱心にコミュニティー活動に取り組む背景と京都とマリを繋ぐゴムバンド
【日本初お披露目でディアロ選手が発した言葉】
今シーズンから京都ハンナリーズに加入したシェック・ディアロ選手が初めて公の場に姿を現したのは、9月3日に行われた新体制発表会の時だった。
その際にメディアの質疑に応じたディアロ選手は、新加入選手としてチームの勝利を目指していくという耳慣れた抱負を語っていた。だが彼の発言はそれだけに止まらず、自分にとって非常に新鮮な内容の言葉も発していた。
「自分はチャレンジするために京都にやって来たし、そのチャレンジを楽しみしている。
そして自分は様々な活動を通じて街をより良いものにしていきたいと思っている。選手としてバスケットをするだけでなく、コミュニティーに感謝しながら素晴らしいコミュニティーを構築していきたい。
こうして日本、京都に来られる機会を得た。自分にとってコミュニティーはすべてだ」
【両腕に大量のゴムバンドを巻いて会見場に登場】
ディアロ選手はマリ出身だが、高校時代にリクルートされ米国に移り住み、それ以来米国を拠点にバスケット人生を過ごし、NBAまで上り詰めた選手だ。そうした経緯が影響しているのか、彼の発言はまるでコミュニティー活動に積極的に取り込む米国のプロアスリートのようだった。
これまで自分がBリーグを取材してきた中で、米国出身者が多い外国籍選手(もしくは帰化選手)たちからディアロ選手のような発言を聞いたことがなかったため、彼の言葉は新鮮に感じてしまったように思う。
いざシーズンが開幕すると、ディアロ選手が彼の言葉通り、コミュニティー活動に積極的な人物であることを確認できる出来事があった。チームの勝利に貢献し、試合後の記者会見に私服姿で登場したディアロ選手の両腕には、数え切れないほどのゴムバンドが巻かれていたのだ。
米国でゴムバンドというものは、コミュニティー活動やチャリティー活動の象徴として配布されるグッズとして知られているもの。ディアロ選手の腕に巻かれた数々のゴムバンドを見た瞬間、すぐに納得させられてしまった。
会見後に本人に確認したところ、彼は自ら立ち上げたファウンデーション(財団もしくは基金)を持っているほか、レブロン・ジェームス選手などの活動にも共感しゴムバンドを巻いているということだった。
そして最後に「もうすぐ自分の財団のゴムバンドを日本でも配布できると思う」と話してくれた。
【早くもコミュニティー活動を展開】
ディアロ選手の言葉の意味は、すぐに判明することになった。
10月25日にチームを通じて、同月下旬から始まる3週間のバイウィークを利用して、地元の子どもたちを集めてバスケット・クリニックを開講することを発表。
さらに11月15日に同じくチームを通じて、第9節(12月4、5日)の信州ブレイブウォリアーズ戦と第12節(12月17、18日)の三遠ネオフェニックス戦で募金活動を実施することが発表された。
これらの活動で集まったお金に関しては、ディアロ選手のファウンデーションである「CD13ファウンデーション」を通じてマリ及び京都の子どもたちの支援活動に活用される予定だ。
そしてこれらの活動に参加してくれた人たちには、特製のゴムバンドが配られることになっているのだ(募金活動は金額や数によって受け取れない場合がある)。
実際12月4日に実施された募金活動を覗かせてもらったところ、ハーフタイム時には配布予定数のゴムバンドが終了してしまい、追加配布をするという盛況ぶりだった。
ちなみにNBA公式サイトによると、ディアロ選手はフェニックス・サンズに在籍していた2020年にファウンデーションを設立し、米国でも熱心なコミュニティー活動を行い母国マリの支援を続けていたようだ。それを今度は日本で継続しているというわけだ。
【マリと京都の架け橋になろうとしているディアロ選手】
日本人にとってマリという国は、ほとんど馴染みがない国だ。外務省の公式サイトに掲載されている公開資料によれば、2022年10月時点で在マリ邦人数はたった10人で、日本に住むマリ国籍保有者も198人しかおらず、ほとんど交流がない国といっていい。
ただ公開資料をざっと見る限り、内政は今も政情不安が続き、国の主産業は農業で1人当たりの国民総所得は870ドル(日本は4万1513ドル)に止まるなど、かなり厳しい状況に置かれている国であるようだ。
そんなマリ出身のディアロ選手が京都にやって来て、前述したようなコミュニティー活動を実施することで、京都とマリが繋ぐ架け橋の役割を果たしているように思う。まさに彼は、京都在住のマリ親善大使といっていいだろう。
「こうした機会を与えてもらったことに感謝しています。クリニックでは参加してくれた人たちと交流することができ、自分という人間を理解してもらえたと思う。
自分はバスケットをするために日本にやって来たが、バスケット以外でも母国の人たち、そして日本の人たちに役に立つ機会を創出していきたいと考えている。
日本にいてもマリを代表していると感じているし、自分がすることはすべて家族のため国のためだと思っている」
いつの日か京都中の人々が、ディアロ選手のゴムバンドを巻いている姿が日常になることを祈るばかりだ。