前例重視ではなく、混乱回避を狙った?MLBの「危険スライディング処分」
「危険スライディング」を仕掛けたドジャースのチェイス・アトリーに、2試合の出場提示処分が下された。この処分にぼくは納得できないのだが、その理由について述べたいと思う。
問題のプレーは、現地時間10月10日に行われたナ・リーグ地区シリーズ、ドジャース対メッツ第2戦の7回裏でのことだった。
1死一三塁でドジャースのハウイ・ケンドリックの打球は2塁ゴロ。しかし、一塁走者のアトリーが果敢なスライディングで併殺を阻止。同点走者の生還をアシストした。しかし、このスライディングでメッツの遊撃手ルーベン・テハダはアトリーに吹き飛ばされ、右足のひ骨骨折と診断されたのだ。また、チャレンジシステムでテハダがベースに触れていなかったことが明らかになり、塁審の判定が覆りアトリーはセーフに。ドジャースはこの回一気に4点を奪い、勝利につなげたのだ。
本来、処分は前例を踏まえて下されるべきものだが、今回のアトリーへのものはそれに倣っているとは思えなかった。どちらかというと、もっと政治的な判断に基づくものだったと思う。
今回のプレーだけをテレビや動画でご覧になった方は、「ありゃないよ、危険すぎる」と思われたと思う。しかし、同様なスライディングは昔からいくらでもあった。最近では、今季終盤にパーレーツのカン・ジョンホがカブスのクリス・コグランのスライディングで「削られ」、靭帯断裂とひ骨骨折という重傷を負った。それらがお咎めなしで、アトリーは処罰というのはフェアではないと思う(今回の処分決定の責任者であるMLBのジョー・トーリは「過去にどう判断されたかは関係ない」とコメントしている)。これは、「同じ犯罪なのに過去は見逃して今回はNGはおかしい」という議論とは違う。多くの選手、関係者、ファンが「これもゲームの一部」と認識していたはずだからだ。
これが、プレーオフでのことではなく、「被害者」の所属が全米最大のマーケットであるニューヨークの球団でなくても同様な判断が下されたか?ぼくには疑問だ。
また、仮に今回のプレーでテハダが負傷していなかったとしたら、同様な処分が下されていたかどうか?これもぼくは疑問だ。怪我を負わせたから処分、では投手の危険球を「当たればNG」、避けることができたら「OK」というのと同じになってしまう。
選手の安全管理はとても大事な問題だ。これを機に、併殺崩しのスライディングに規制を加える方向で議論を始めようというなら、ぼくにも何も異論はない(ちなみにルール上では、併殺崩しの目的でベースから離れてスライディングを仕掛けても、手なり足なりで塁に触れることができる範囲ならそのこと自体で守備妨害とはみなされない)。ちょうど、2011年の本塁上での激突でジャイアンツのバスター・ポージーが大怪我を負ったことがきっかけで、本塁上のブロックが禁じられたように。
しかし、それはオフになってから始めるべきものだ。これまでの、現在の運用や慣習に沿ってプレーしたアトリーにいきなり新しい運用を適用するのは気の毒だと思う。
今回のMLBの処罰は、全米の注目が集まる大舞台で起こった事象に対するファンやメディアの動揺を鎮めるための極めて政治的な判断だったとぼくは見ている。