『重版出来!』と『トットてれび』から見える作り手の困難
春クールのドラマも残り一か月となったが、意外な掘り出しものとして毎週楽しみにしているのが『トットてれび』(NHK)と『重版出来!』(TBS系)だ。
重版出来! 本が売れなくなった時代の漫画業界
TBS系で火曜夜10時から放送されている『重版出来!』は、松田奈緒子の同名漫画を原作とする漫画業界の内幕を描いたドラマだ。劇中に登場する漫画を有名漫画家が手掛けていることもあってか、Twitterでは漫画家からの反響が大きい。
新人編集者・黒沢心(黒木華)を主人公に、漫画家と編集者と営業と書店員が協力して本を読者に届けようとする姿が描かれるのだが、漫画がもっとも売れていた90年代に漫画家業界の内幕を描いた漫画『編集王』(小学館)と較べると、すっかり冷え込んでしまった出版業界の厳しい現実が見え隠れする。
当初は、漫画業界のちょっといい話といった明るいテイストだったのが、6話以降、新人漫画家を食いつぶしていく編集者・安井昇(安田顕)の過去を描いて以降は、物語はダークな方向に深まってきており、作家の孤独と才能の壁という重たいテーマにも肉薄しつつある。 基本的には明るく前向きな結末に向かうのだろうが、どこに着地するのか楽しみである。
トットてれび 最先端の映像で再現されたテレビ黎明期の高揚感
一方、土曜の夜8時15分から放送されている『トットてれび』は、タレントの黒柳徹子の自叙伝『トットチャンネル』を原作に、テレビ黎明期にNHKの専属テレビ女優第一号となった黒柳徹子(満島ひかり)を主人公としたドラマだ。
脚本は連続テレビ小説『花子とアン』(NHK)の中園ミホ。
そして、チーフ演出は井上剛、音楽は大友良英、そしてナレーションは小泉今日子と、かつて連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)に関わったチームだ。
徹子と脚本家の向田邦子(ミムラ)との女の友情が描かれる第五話以降は中園のカラーが強く出るのではないかと思うのだが、開局して間もないNHKでの番組制作現場の描写は、井上剛の演出が際立っていた。
中でも圧巻だったのは生放送ドラマ『若い季節』の裏側が描かれた第三話だ。
劇中の時間と映像の流れる時間がまるで同じかのように見せることでドキュメンタリー的な臨場感を生み出す手法は『あまちゃん』や『その街のこども』(NHK)等で用いられていたものだ。
そうでありながら、まるでSF映画かのようにディテールが細かいのが井上の面白さで、本作でも当時のテレビ局の内部や時代の空気感を再現映像のように作り込んでいる。
放送を見た人が「今のドラマでも生放送でやったら面白いかも」とTwitterでつぶやいているのをいくつか見たが、ただ生放送をやるだけでは、グダグダの目も当てられないものにしかならないだろう。それはネットのライブ配信を見ていればわかることだ。おそらく当時の生放送ドラマだって、偶然面白くなるものもあれば、単にグダグダのものもあったに違いない。
井上が追及していることは、徹底して過去の映像を再現することでドキュメンタリーに近い緊張感を作り出すことだ。その意味で、ドキュメンタリー的な生々しさですら、映像の完成度を高めるための素材にすぎないのだ。
リアルタイムで映像を配信しながら、コメントのやりとりができるニコニコ生放送の登場が随分昔に感じられるくらい、ネット上には動画配信サイトが溢れている。スマートフォンがあれば、簡単に配信ができてしまう中で、完全に後手をとってしまったテレビが起死回生の一本として打ち出したのが『あまちゃん』だった。
今まで、遅れていたテレビドラマにおけるインターネットの描写は、『あまちゃん』で一気に現代的なものとなった。
同時にネットがもたらした誰もが映像の送り手となれる上に双方向コミュニケーションすら当たり前となった映像環境を、テレビドラマという枠組みを用いて批評的に打ち返すという偉業を達成した。
『あまちゃん』はアイドルを中心とした80年代の芸能史をノスタルジックな視点で追いかける一方で、地方で暮らす女子高生でも、誰でも使用可能となった小型ビデオカメラで撮影した自分たちの映像をネットにアップロードすることで、有名人になることができるという現代のエッセンスを切り取っていた。
そういった意味で、新しいものと古いものがバランスよく配置されていたのだが、『トットてれび』は表現こそ前衛的で凄まじいのだが、どこか現在とは切れてしまっているように見える。
ネットに対するテレビと漫画の距離感の違い
この二作からは、出版や映像の最先端にいる作り手が、テレビや漫画といったポップカルチャーは自分たちが自覚的に支えなければならないという強い意思が感じられる。それは裏返すならば、時代の変化に怯える古いメディアの担い手が、自分たちの仕事を褒め称えることで、何とか現実をやりすごそうとしているようにも見える。
それが強く現れているのが、インターネットとの距離感だ。
『重版出来!』では、ネットと直面している漫画業界の現実が描かれている。
匿名掲示板に書き込まれた悪口を見て漫画家が傷つくといった負の側面が描かれる一方で、編集者自身がSNSで情報発信をしたり、イラストの投稿に特化したSNS・pixiv(ピクシブ)で新人漫画家を発掘したり、昔活躍した漫画家の作品を電子書籍で販売するといったエピソードが登場するあたり、ネットに直面した古いメディアが今後どうすればいいのかという危機感は、漫画の方が強く現れている。それも含めて、『重版出来!』には漫画に関わる人々の現代的な葛藤が描かれている。
対して、現代との接点が見えにくいのが『トットてれび』だ。
過去が舞台のため、インターネットは出てこないが――実はそれこそが最大の批評性なのだが――本作の最終的な評価は、テレビの黄金時代をノスタルジックに描いて終わるのか、それとも、過去を描くことで、現代の映像環境の変化を照らし返すような批評性が見せられるかにかかっていると言える。繰り返しになるが、2013年の『あまちゃん』では、それができていた。
テレビ黎明期の熱は、今はネットにあるのか?
また、漫画にはコミックマーケットを筆頭とする同人誌文化があるのだが、テレビドラマも含めたテレビ番組にはインディーズ文化が存在しない。
仮にあるとすれば、YouTubeに上がっている動画や、YouTuberの番組、アイドルやミュージシャンが自分たちで制作したMV(ミュージックビデオ)や本人たちやファンが撮影したライブ動画だ。
もちろん、ほとんどの動画はテレビ関係者から見れば、番組と呼ぶには値しない問題外のものだろう。しかし、ネットには、設立したばかりのNHKにあったテレビ黎明期のような迫力がうごめいていている。
だが、こういった動画はニュースで取り上げられることはあっても、自分たちの仲間としてフックアップしていこうという気配は感じられない。ここが同人誌からプロになる漫画家がいる漫画業界との大きな違いだ。
よくもわるくもテレビ番組は、テレビマンや映像制作会社に勤める少数の人間によって制作され、テレビ局で放送されることによってのみ成立する映像エリートの世界だった。しかし、機材が安価となり、YouTubeを筆頭とする投稿動画サイトが増えた今、この構造は崩れつつある。もちろん、ここには圧倒的なクオリティの差はいまだ存在する。しかし、数年前には考えられないような映像制作と配信の環境が生まれつつあることは見逃せない現実だ。
以前、お笑い芸人がユ―チューバ―を、馬鹿にして笑いをとっているバラエティ番組を見ていて、何だか余裕がないなぁと感じた。
かつてジャーナリストの大宅壮一から「一億総白痴化」と批判されたテレビが、自分たちよりレベルが低いが勢いだけは確実にあるYouTuberを見下しているのだから、随分えらくなったものだなぁと皮肉の一つでも言いたくなる。
今年の3月まで放送されていたNHKスペシャル『新・映像の世紀』の最終話では、スマートフォンさえあれば誰もが簡単に動画撮影ができる現代の風景が描かれた。
誰もが表現の送り手となりうる時代に、テレビマンや漫画編集者は、創作分野のエリートとして優れた作品を発表していき、ネットとは一線を引くのか、それともネットが牽引する作り手と送り手が液状化している世界を肯定すべきなのか。
そういった現代の作り手が抱える迷いが透けてみえるからこそ、この二作は面白いのだ。