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軍用神経剤による暗殺、ニセ情報工作、傭兵部隊工作~プーチンの悪事のデパート「ロシア情報機関」(後編)

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
マッチョ自慢のプーチン。強さに固執し、世界をひれ伏させる最悪の「皇帝」を目指すか

暗殺・破壊活動も行う「連邦保安庁」(FSB)、情報収集主体の「対外情報庁」(SVR)、軍事的秘密作戦も行う「軍参謀本部情報総局」(GRU)

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 では、ロシア情報機関のどれが、こうした暗殺を行っているのでしょうか?

 ロシアには3つの主要な情報機関があります。ロシア国内を担当する秘密警察で、治安部隊も持つ強大な連邦保安庁(FSB)。海外での諜報活動を担当する対外情報庁(SVR)、そして軍の情報機関である軍参謀本部情報総局(GRU)です。

 このうち、反プーチン派に対する暗殺は、主にFSBの人脈が絡んでいるとみられます。国内に留まらず、海外での暗殺も、おそらくFSBが実行しています。庁内におそらく破壊工作専門セクションがあります。

 ただ、攻撃の実行役としては、FSB破壊工作部門だけでなく、チェチェン系の下請け人脈が代行するケースもあるのではないかとみられています。特に疑われているのは、プーチン政権と癒着しているチェチェン共和国首長のラムザン・カディロフの配下グループです。

 他方、SVRは現在、外国での情報収集活動を主に行っており、近年はこうした荒っぽい暗殺などはあまり聞きません。SVRは世界中にスパイ網を構築していて、もちろん日本にも、ロシア大使館員、通商代表部員などの身分(冷戦時代は国営メディア特派員も。現在は不明)で工作員を送り込み、情報収集活動をしています。ときおり日本の外事警察に摘発されますが、暗殺などはこれまで報告されていません。ただ、北朝鮮の工作機関のように、実在の日本人に成りすます「背乗り」を行っていた事例が判明していますから、その人物に何らかの危害が加えられた可能性はあります。

 GRUも世界中でスパイ活動をしています。日本でもいまだにやっていて、こちらもときおり外事警察が摘発しています。日本では暗殺などの破壊工作の形跡はありませんが、ロシアの周辺国、あるいはロシア軍が介入しているような地域では、特殊作戦・破壊工作も行っています。とくにロシア軍が介入している東ウクライナとシリアでは、GRUも秘密作戦を行っています。

シリアやウクライナで暗躍する傭兵会社の黒幕はプーチン側近

 このGRUの対外工作で最近注目されているのが、民間軍事会社「ワグナー・グループ」の指導です。

 ワグナー・グループはロシアのいわゆる傭兵部隊で、兵士たちはGRU要員ではなく雇い兵ですが、その海外での活動はGRUが支援・調整しています。

 ロシアでは総合警備会社「モラン・セキュリティ・グループ」を母体に、2013年に戦時下のシリアで活動する民間軍事会社「スラボニッチ軍団」を設立していました。当時、ロシアはシリアのアサド独裁政権を支援してはいましたが、まだ直接の軍事介入をしていなかったからです。

 翌年、シリアで活動するさらに本格的な傭兵会社として、2014年に元GRU特殊部隊中佐のドミトリー・ウトキンを指揮官として、ワグナー・グループが設立されました。プーチンの側近の政商エブゲニー・プリゴジンがその設立・運営資金を出しています。つまり、ワグナー・グループのオーナーはプーチン側近の政商というわけです。

 ワグナー・グループは同年、ウクライナ紛争にも進出しています。ウクライナでも表向きは、ロシア軍が活動していないことになっていたため、こうした部隊がウラで使うには便利だったのでしょう。

 その後、ロシアは2015年9月からシリアに直接、軍事介入しますが、ワグナー・グループはそのままシリア各地に投入されます。ロシア正規軍は航空機による無差別空爆などを主に行っていましたが、ワグナー・グループはアサド政権軍とともに地上戦を担当しています。もちろんシリア駐留ロシア軍司令部の指揮下にあります。

 今年2月7日、このワグナー・グループが主導するロシア=アサド政権合同軍が、米軍が支援するクルド人部隊を襲撃し、米軍の空爆によりワグナー・グループのロシア人兵士が数十人以上戦死(300人という情報もあります)するという事件がありました。先に手を出したのはワグナー・グループのほうですが、この作戦の前後に、ワグナー・グループとプリゴジン、それにクレムリンの間で頻繁に連絡があったとみられます。

 なお、プリゴジンはロシア軍(およびワグナー・グループ)の支援でアサド政権がISから奪った東部の油田地帯の利権を手中にしたとも報じられています。

プーチン側近の「ニセ情報」拡散会社と、情報機関運営のハッカー部隊

 なお、このプリゴジンは、今年2月16日、米国で起訴されました。米大統領選でSNSに大量のニセ情報を拡散し、大統領選に不正に介入したということです。このニセ情報拡散を主導したのが、サンクトペテルブルクを拠点とする「インターネット・リサーチ・エージェンシー」(IRA)という組織なのですが、そのオーナーもプリゴジンです。つまり、SNSニセ情報拡散工作はクレムリンと直結した工作ということになります。

 なお、IRAが設立されたのは2013年で、当時から米国社会の分断を目的とするネット世論工作を開始しています。人種差別や宗教差別、左右対立などを扇動し、人々を互いに争わせるように仕向ける。大統領選でのニセ情報拡散工作は、そうした経験から学んだ心理工作の技術がふんだんに使われています。

 なお、こうした心理工作は、ロシア情報機関のFSBもGRUも行っています。2014年のウクライナ紛争から本格化したこうした工作は、ロシア軍が当時、採用した「ハイブリッド戦」に則ったものです。ハイブリッド戦とは、実際に軍を動かすのと同時に、情報を武器として世論を誘導し、優位に立つことを意味します。

 また、ロシア情報機関は、情報工作の一環として、ハッキングにも力を入れています。FSB、GRUともにハッカー部隊を運用していて、米大統領選の際にはそれぞれ別個に米民主党など米国内の標的をハッキングしていました。ハッカー部隊は正体不明のハッカー集団に偽装していて、「ファンシーベア」「コージーベア」などと呼ばれていますが、ファンシーベアはGRUのハッカー部隊(APT28とも呼ばれています)であり、コージーベアはFSBのハッカー部隊(APT29とも呼ばれています)とみられています。

 ロシア情報機関はそれぞれ、こうしたハッカー部隊がハッキングで相手の情報を盗み、それを利用して効果的なニセ情報拡散工作を行って世界の世論を誘導します。こうした工作は、もちろんロシアだけがやっているわけではないでしょうが、ロシアによる工作がきわめて大規模だったことがわかってきていて、主要国政府に大きな警戒心を呼び起こしています。

 ロシアの情報工作は、たとえばイギリスのEU離脱、スペイン・カタロニア州の分離独立騒動、移民排斥、宗教差別、極右運動などをきわめて大規模に扇動していたことが判明しています。欧州の極右各派にはロシアから直接、資金も投入されています。いずれも欧米の社会を分断し、ロシアの立場を強くするための裏工作です。

「皇帝」プーチンの悪事は止められない

 プーチンのロシアは、いまやシリアやウクライナで世界中から非難を受けても殺戮をやめないうえ、これも世界中から非難されても、ハッカー部隊やSNSニセ情報工作部門などを総動員して、外国の世論を誘導する心理工作に邁進しています。外国で罪なき人々を殺戮し、世界中を完全に敵に回しても、大国ロシアの復活を目指そうとしています。オバマ政権時代のアメリカが「世界の警察」から手を引いた間隙に、プーチン大統領はいっきに勝負に出てきた感があります。

 こうしてプーチンが仕掛ける数々の「悪事」を、その命令に従って一心不乱に実行するのが、旧ソ連時代から悪事は得意だったロシア情報機関です。ロシアのメディアを牛耳ってロシア国民を洗脳し(もともとロシア情報機関の心理工作は、最初は自国民に向けられていました)、対立候補の出馬を妨害したプーチンは、まもなくロシア大統領選で圧倒的大差で再選され、任期中の今後6年はさらに皇帝として君臨することになります。

 ますます悪事を重ねていくことになるでしょう。

Photo/Kremlin.ru

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

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