”先生は変わってしまった”――加害者を守る奇妙な悪循環 柔道教室の重大事故【傍聴リポート(2)】
”先生は変わってしまった”
武蔵はいまも柔道を好きだと思います。私たちは昔と何も変わっていません。変わったのは小島先生だと思います。――
2008年5月、長野県松本市の柔道教室で、指導者が小学6年の澤田武蔵さんを投げて、脳に重度の障害(意識障害と全身麻痺)を負わせた。柔道事故では我が国で2例目となる刑事裁判(第8回公判)が30日に開かれた。公判は、午前10時から午後4時と長時間にわたるものであった。小島武鎮(こじまたけしげ)被告人への質問が中心で、最後に武蔵さんの父親である澤田博紀さん(全国柔道事故被害者の会・副会長)が証言に立った。
証言の締めくくりとして、指定弁護人から「武蔵さんはいま柔道のことをどう思っていると思いますか」と質問を受け、博紀さんはこう答えた――「武蔵はいまも柔道を好きだと思います。私たちは昔と何も変わっていません。変わったのは小島先生だと思います。」
小島被告は、事故直後は土下座をして謝罪の意を表明している。しかしそれから数週間後の変化を、武蔵さんの母親である佳子さんは次のように語っている――「「責任は自分にある」から「責任はあるけど分からない」となり「分からない」となり、ついには私たちの前から姿を見せなくなりました」(JANJAN Blog)。
じつは本件はすでに、民事裁判での和解が成立している。そこで小島被告人は改めて謝罪をしたはずであった。しかし、刑事裁判になって態度を変えてきた。事故直後と数週間後の変化、民事裁判と刑事裁判の変化、「小島先生」は変わってしまったのである。
”どうしてこのような事故が起きたのかわからない”
小島被告は、手加減をして、子どもの技量に応じて投げただけなのに、なぜ武蔵さんがあのような事態に陥ってしまったのか、自分にはわからないと繰り返し主張した。これは、頭部を打撲せずに急性硬膜下血腫が生じた(回転加速度のみによる損傷)と考えられる本事案について、そもそもほとんどすべての柔道家はそれを予見することが不可能である、という主張につながる。言い換えると、通常の柔道家は頭部打撲なしの急性硬膜下血腫について無知であり、自分もその一人にすぎないのだから、予見などできなかったということである。みんな知らないのだから、自分も知らないという言い分である。
言い分の是非は裁判所の判断に委ねるとして、私が気がかりなのは、そうしたレトリックをとることができてしまうという現実である。この言い分は、柔道界全体が、頭部を打撲せずに急性硬膜下血腫が生じるという事態にまったく関心がなかったという前提があって、はじめて成り立つものである。
被告人もまた被害者
30年間で少なくとも118名の死亡者を出しながら、柔道界はつい数年前まで、何の手立ても打ってこなかった。全日本柔道連盟には、「医科学委員会」という医師の専門チームがある。柔道事故が社会問題化し始めた2010年4月まで、そこには頭部外傷の専門家である脳神経外科医は一人もいなかった。整形外科や内科の医師が中心であった。いかに、頭部外傷が軽視されていたかがわかる。
そうした怠慢が、いま本件被告人を救おうとしている。頭部外傷に無知な指導者をつくりだし、そこで子どもたちが命を落とし、さらにはみんなが無知だったという理由で、加害側の指導者は救われる。奇妙で不幸な悪循環である。被告人もまた、柔道ムラの被害者であるように見える。
[写真:第四高等学校武術道場「無声堂」 Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net ※写真は本文の内容に直接関係するものではありません。]