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東京五輪6位の川野将虎が、世界陸上新種目の35キロ競歩で激闘の銀。その戦いから見えた日本競歩の可能性

折山淑美スポーツライター
世界陸上男子35キロメートル競歩、2位でゴールする川野将虎(左)(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 世界陸上最終日の7月24日。午前6時15分にスタートした新種目の男子35キロメートル競歩は、川野将虎(旭化成)が銀メダルを獲得。50キロメートルだった15年大会から続いていた同種目連続メダル獲得記録を4大会に伸ばし、男子20キロメートルのワンツーフィニッシュに続く日本男子競歩の充実ぶりを示す結果だった。

 スタート時は摂氏11度ながらも、途中から日差しも出てきてゴール時には17度まで上がる気象条件。その中で松永大介(富士通)が宣言通りに最初の1キロメートルを3分59秒で飛び出し、独歩体勢を作り出そうとする展開にした。

 5月にケガをして万全の状態ではなかった松永だが、「4分05秒ベースがひとつの目安になると考えていた」と話すように、2周目からはそのペースに落ち着かせようとした。これまでの50キロメートルだと序盤のペースは1キロメートル4分25秒前後。そこから少し速くなるだろうが、それなりの貯金は作れると考えていたからだ。

 だが松永が4月の日本選手権35キロメートル競歩で、16キロメートルまでをそのペースで歩いて2位に最大1分34秒差を付けたレースの情報は海外勢にも入っていた。後続集団は最初の1キロメートルこそ4分25秒と抑えたが、東京五輪20キロメートル優勝のマッシモ・スタノ(イタリア)や、大会初日の20キロメートル3位のペルセウス・カールストレーム(スウェーデン)が集団を引っ張り、2周目から4分10秒ほどにあげると4キロメートルからは4分05秒前後にして松永との差を50秒台でキープ。16キロメートルからペースダウンした松永を追い上げ始めると20キロメートル過ぎで捕らえ、さらに22キロメートルからはペースを4分01~07秒に上下させる揺さぶり合いになった。

 その中で、前半から集団の中で冷静に歩いていた川野はそのスピードレースにも対応し、32キロメートル過ぎには4分00秒ペースに上がってブライアン=ブライアン・ピンタド(エクアドル)が遅れ始めると、スタノとカールストレームとの3人の優勝争いに持ち込んでメダル獲得を確実にした。

「本当の勝負はラスト10キロメートル以降だから、そこまではいかに自分の力を残しておくかをテーマにして歩いた。集団が4分10秒を切っていくことも想定していたし、松永さんに引っ張られてみんなが付いてもっと速くなることも頭の片隅に置いていた。スタミナ練習もしっかりやり、4分を切って歩くようなスピード練習も十分していたので、中盤のハイペースもリズムよくペース走をしているような気持ちで歩くことが出来ました」

 カールストレームが遅れた33キロメートルからはスタノが3分53秒にあげたが、それにも付けた。だが「その1キロメートルで足を使ってしまったので、ラスト1周はスタノ選手も苦しくて落ちているのはわかったが付けなかった」と、34キロメートルを過ぎて瞬間的にスピードを上げたスタノに数m差を付けられた。それでもラスト1周を3分51秒で歩いて食らいつき、最後はゴール手前で国旗を受け取ってスピードが落ちたスタノに1秒差まで迫ったが結果は2位。

「東京五輪の20キロメートルでは、同僚の池田向希(旭化成)が今回の僕と同じようにスタノ選手との一騎打ちになり、9秒差で負けていた。今まで僕は池田にずっと引っ張ってもらい、彼を追いかけて強くなってきた。今回はスタノ選手に勝って、池田を勇気づけられる歩きをしたかった。でもやっぱり彼の方が一枚上手で、まだまだ自分が及ばないところがあった」

 こう話す川野はゴール後に倒れ込むと、地面に拳を叩きつけて悔しがった。

 スタノの優勝記録は、川野が4月の日本選手権で出していた大会前までの世界リストトップの記録を3分26秒上回る、2時間23分14秒。これからの男子35キロメートルは、今回の記録やレース展開が、ひとつの基準になってくる。

 その中で明確になったといえるのは、35キロメートルという距離のレースは50キロメートルのように耐久型ではなく、20キロメートル寄りのレーススタイルが主流になるだろうということだ。事実、2日前に行われた女子35キロメートルの結果は、大会初日の20キロメートルと表彰台は同じ顔ぶれで、同じ順位だった。また男子の優勝のスタノと3位のカールストレームは、20キロメートルでも実績を持っている選手。東京五輪50キロメートルで6位だった川野も18年から50キロメートルを主戦場にして世界歴代11位の3時間36分45秒(日本記録)を出しているが、19年には20キロメートルで世界歴代10位の1時間17分24秒を出しているトップレベルの力を持つ選手だ。

 それを考えれば1時間16分36秒の世界記録保持者の鈴木雄介を筆頭に20キロメートル世界歴代記録では、1時間17分46秒で22位の松永大介まで6人の現役選手が入っていて、19年世界陸上以来は20キロメートルで表彰台に上がり続けて世界をリードする日本は、35キロメートルでも十分に戦えるという素地を持っていることになる。

 それは入賞という結果が先に出ていた50キロメートルだけでは無く、将来を見据えて基盤を拡大しようと、20キロメートルの強化にも地道に取り組んできた日本競歩界の成果でもある。

 今回の距離変更で、選手によっては他国のように2種目に出場する選択肢もある。だが「35キロメートルで2時間20分という夢を追求したい」と話す松永は、「僕には彼らのようにタフさはないし、1週間で2レースをこなせる強さは無い。だからこそどちらかに絞って勝負すべきだ」と断言する。それは他国に比較すれば、選手の厚い日本だからこそ取れる戦略でもある。

 日本陸連の今村文男・強化委員会競歩シニアディレクターは、今回の結果を見て「これまで20キロメートルと50キロメートルを並行で強化していたように、2種目を並行で強化していきたい」と話す。

 現時点では20キロメートルも、大卒2年目の池田や川野以降の選手たちの記録の伸びが少し止まっている状態だ。だが今回の世界選手権では、自己記録は日本歴代17位の1時間20分14秒の住所大翔(順大)が8位入賞を果たした。その結果は、彼と変わらない記録を持つ同年代の選手を刺激した。さらにそれに続く若い選手たちも、50キロメートルの時は遠い距離と思えたかもしれないが、「20キロメートルでこのくらいの記録を出せば世界で戦え、その先には35キロメートルもある」という発想にもなり、目標も持ちやすくなる。

 50キロメートルから35キロメートルへの変更は、日本競歩界にとっては希望が見えるものになってきそうだ。

スポーツライター

1953年長野県生まれ。『週刊プレイボーイ』でライターを始め、徐々にスポーツ中心になり、『Number』『Sportiva』など執筆。陸上競技や水泳、スケート競技、ノルディックスキーなどの五輪競技を中心に取材。著書は、『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)など。

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