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自殺教唆と殺人行為について

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士

■はじめに

ヨーロッパでは、自殺は、古くは宗教的な理由や政策的な理由から〈犯罪〉とされ、自殺を試みた者の財産が没収されたり、葬儀や墓地への埋葬が禁じられていた時代もありました。しかし、現在では自殺(実際には、自殺未遂)そのものを〈犯罪〉としている法制度はまれであり、多くの国では自殺に関する周辺的な行為だけが処罰されています。

日本も同様であり、自殺そのものは犯罪とはされていませんが、その周辺的な行為、すなわち、人に自殺をそそのかしたり(教唆[きょうさ])、自殺を手助けしたり(幇助[ほうじょ])する行為が処罰されています(刑法202条、同条文ではさらに、頼まれて殺したり[嘱託(しょくたく)殺人]、同意を得ての殺人[同意殺人]も処罰されています)。

(殺人)

第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

(自殺関与及び同意殺人)

第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

ところで、自殺とは、「みずからの自由な意思で自分の生命を絶つこと」ですが、外形的にはみずから死を選択したように見えても、他人からかなりの程度強制されている場合には、はたしてそれが「自殺」と言えるのかという問題が出てきます。たとえば、強度の暴行や脅迫を加えて被害者に自殺を命じ、その結果、被害者が自殺以外の行為を選択する余地がなくなったような場合は、被害者の行為を利用した殺人行為(刑法199条)だというべきです。では、その限界はどこにあるのでしょうか。

■自殺教唆と殺人行為

刑法202条にいう「自殺」とは、自由な意思決定によってみずから生命を絶つことですから、死の意味を理解できないような幼児や重度の精神病患者、あるいはかなり強度の暴行を加えて意思決定能力を奪った者などに自殺をそそのかすことは、自殺教唆ではなく、殺人となります。さらに、被害者が意思の自由を完全に奪われていなくとも、かなり強く強要したり、脅迫したりして、自殺するように仕向ける場合も殺人罪が成立するとされています。いくつかの実際のケースをご紹介しながら、この点を説明したいと思います。

[事例1](最高裁昭和59年3月27日決定)

厳寒の深夜、かなり酩酊し、被告人らから暴行を受けて衰弱していた被害者を、荒川の堤防に連行し、上衣やズボンを無理矢理脱がせたうえ、約3メートル下の川に飛び込ませ、長さ3~4メートルのたる木で水面を突いたり叩いたりし、被害者を溺死させたという事案(殺人罪が成立)。

[事例2](最高裁平成16年1月20日決定)

自殺させて保険金を取得する目的で、被告人を極度に怖がり服従していた被害者に、暴行、脅迫を行い、岸壁から車ごと海中に転落して自殺することを要求し、命令に応ずるしかないとの精神状態に陥らせて車ごと海中に転落させたが、被害者は、停泊中の漁船に這い上がり助かった事案(殺人未遂罪が成立)。

[事例3](広島高裁昭和29年6月30日判決)

夫が妻に不貞があると邪推し、妻が自殺するかもしれないと思いながら、毎日のように詰問(きつもん)し外出を監視し,「死ぬる方法を教えてやる」と言いながら失神するほど首を絞めたり足蹴りにしたりし、キリの先で腕や腿を突くなどし、さらには「自殺します」と記載した書面の作成を強制するなどした結果、妻が心身ともに疲労し、実家に帰ることもできず、これ以上夫の圧迫を受けるより死を選んだ方がよいと決意し縊死(いし)した事案(殺人を否定し、自殺教唆罪を肯定)。

[事例4](浦和地裁熊谷支部昭和46年1月26日

同棲していた被害女性が無断欠勤して外泊したことに立腹し、乗用自動車内で同女の顔面を殴り、ガラス製灰皿をその後頭部に投げつけるなどの暴行を加えた上、川岸に連行して下車させ、当時降雨のため増水し流れも速くなっているので川に入れば溺死する危険性が大きいことを認識しながら、同女が被告人から暴行を受け逆らうことができない状態にあったのに乗じ、強いて川に入り頭を冷やすよう要求し、被害女性が川に入って溺死した事案(殺人罪を否定し、無罪)。

■具体的な判断基準

裁判所は、[事例1][事例2]では、いずれも被害者がほかの行為を選択することがかなり難しく、みずから死を選択することが無理もないといえる程度の暴行・脅迫などが加えられれば、被害者の自由意思による死の選択とはいえないとの解釈を示して、殺人行為を認定したものと解されます。

これに対して、殺人罪の成立を否定した[事例3]「事例4]では、被害者に対する被告人の強度の暴行が存在するものの、被害者の死亡時に被告人は現場におらず、被害者には死以外の選択の余地があったと認定することが可能な事案であったとされたものと思われます(ただし、両事案ともに、殺人罪を認めるべきだとの意見もかなりあります)。

これらの裁判例から判断しますと、殺人罪が成立するためには、被害者に対する殺意があったことは当然の前提ですが、さらにかなり強度の暴行や脅迫行為があり、被害者が死以外の行為を選択することが極めて困難な状況にあったということが必要だと思われます。具体的には、暴行や脅迫の手段や方法、それが行われた時間・場所、また、被害者が受けた傷や衰弱の程度、犯人との関係、被害者の年齢・性別・性格、その場から逃げることができたのかどうか、犯人が現場にいて被害者が〈自殺〉するのを監視していたのかどうか、といったような事情を総合的に判断して決められることになるでしょう。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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