Yahoo!ニュース

アジアで4位の厳しい現実、それでも金メダルを「諦めない」 監督・中田久美の覚悟

田中夕子スポーツライター、フリーライター
アジアの敗戦も糧に、中田久美は監督として世界の頂点を目指す(写真/平野敬久)

「この敗戦を、絶対無駄にしたくない」

 観客席から掲げられる日の丸を見て、中田久美は、自分にスイッチを入れる。

 インドネシア・ジャカルタで開催されたアジア競技大会、女子バレーボール準決勝。世界ランク1位の中国と対戦した日本は、0-3で敗れ、目標に掲げた金メダル獲得を果たすことはできずに終わった。

 だが、大会が終わったわけではない。

「この敗戦を、私は絶対無駄にしたくない。最後に負ける悔しさは、自分が現役の頃に嫌っていうほど味わっているので。しっかり、責任を果たします」

 その翌日。韓国との3位決定戦も苦しい戦いを強いられ、厳しい現実を突きつけられた。2セットを失った第4セット、14-20から猛追し24-24でジュースにもつれるも、最後は相手ブロックに新鍋理沙の攻撃が捕まり25-27。日本女子バレーはメダル獲得すらできぬままアジア大会を終えた。

 最後は勝って終わる。それが責任だと自らに課していただけに、悔しさも募る。

「やればできるのにね。すみません、力不足で」

 目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「決まらなかったら『お前のせいだ』が嫌だったから」

 1995年に現役を引退。以後、バレーボール中継の解説を含めタレント業務に携わっていた頃のイメージが先行し、常に激しく熱を振りまいているように思われがちだが実は違う。むしろ練習中も試合中も、最小限しか言葉を発せずじっと見守る。

「動」よりも「静」の人。

 選手とコミュニケーションを図るための時間はいとわず、常に対話を心がける中、特にセッターに関しては、より慎重に言葉を選ぶ。

「自分が嫌だったんですよ。決まらなかったら『お前のせいだ』と言われたり、ブロックが2枚つくだけでもセッターのせいと言われる。最初から否定でしょ。だけどセッターにはどんな状況でも必ず、そこに上げた理由と意図がある。だから『何でそこに上げたんだ?』と思うことがあっても、それを頭ごなしに『何で?』ではなく、まず理解する。だからそこを選択したのか、とわかったうえで、『あの場面ではこっちを使う方がよかったんじゃない?』って。そのやり取りができないと、試合中から『これでいい?』と私の顔を見るようになる。それは絶対に嫌なんです。もちろん困ったら助けます。でも、選手にはもっと自由にやってほしい。セオリーはあっても、相手がいて、ネットがあって、空間があるんだから、絶対にこうじゃなきゃいけない、はない。想像力、勘、勇気。そういうものを持って、自由にやったほうが楽しくバレーができるんじゃないかな、って思うんですよ」

なぜできないんだ、ではなく選手に自由を与える。それが監督としての哲学(写真/平野敬久)
なぜできないんだ、ではなく選手に自由を与える。それが監督としての哲学(写真/平野敬久)

コンビミスに見えた意図的な「トライ」

 アジア競技大会でもこんな場面があった。

 予選グループ戦のホンコンチャイナとの一戦だった。両者の実力差は大きく、第1セットは4点、第2セットが7点、第3セットも11点しか与えず日本が圧勝したのだが、第3セットの10-17の場面で1つ、コンビミスが生じた。

 セッターの佐藤美弥は、ライトの長岡望悠に背を向ける形でバックトス。アンテナよりもさらに外へスッと伸びるトスに対し、長岡はコート中央に切り込んでいたためボールが上がって来た場所にはいない。誰もカバーすることができず、そのままボールは落ち、得点はホンコンチャイナ。大量リードに生じた気の緩みが招いたコンビミスとも見えなくないが、もちろんそこには意図がある。

 長岡が言った。

「今、チームとしてできることや攻撃の幅をすごく広げようとしているんです。それを練習だけでなく、試合の中でトライしていく。練習でできていたり、いい状況では使えても劣勢で使えないとどうしてもバレーが守りになってしまう。だから、もっと当たり前にできる選択肢にしていけるように、今は積極的に、試合の中でいろいろなことに取り組む時期だと思ってトライしています」

アジア大会から本格復帰の長岡。中田監督は「攻撃の柱」と期待を寄せる(写真/西村尚己・アフロスポーツ)
アジア大会から本格復帰の長岡。中田監督は「攻撃の柱」と期待を寄せる(写真/西村尚己・アフロスポーツ)

「やってないことをやりなさい」

 もちろんそれは長岡だけの考えではなく、チームとして共有の発想だ。誰しも得意とするコースやトスがある中、あえてそうではないパターンを増やす。ホンコンチャイナとの一戦では、セット間に中田もこんな指示を出していた。

「同じことをやってもつまらないんだから、違うことをやろうよ、って。1つのローテーションでできる攻撃って、考えたらきりがないぐらいある。だからあえて、やってないことをやりなさい、って。結果はミスになっちゃいましたけど、でもその発想をこの緊張感がある中でやることがチーム力になる。ラリー中で、パッと決めるのは難しかったですけど、ああいう勇気だよね。挑戦するってワクワクすることなわけだから。だからあれはたとえ失点になっても、よかったと思います」

黒後愛の迷いを払拭した中田の一言

 たとえばそれが、ただ1つ1つの大会で結果を求められるものであるならば、「よかった」と手応えだけで終わることもできる。だが、あくまで叶えるべき目標は、その先。ホンコンチャイナとの前戦、予選グループリーグでタイにストレート負けを喫した後、自分たちの目指す場所がどこなのか。中田の発した一言が迷いを払拭した、と言うのは黒後愛だ。

「自分としてはそんなに調子もメンタル的にも落ちていないつもりだったんです。でも、パスはなかなか返らないし、負けるのも悔しい。そうしたら、久美さんに言われたんです。『このチームは東京オリンピックで勝つためのチームなんだから、そこを見失わないように』って。今だけを見るのではなくて、もっと先を見据えて、この大会にも臨まなきゃ、って改めて思いました」

「このチームは東京五輪で勝つためのチーム」と選手を鼓舞し続ける(写真/平野敬久)
「このチームは東京五輪で勝つためのチーム」と選手を鼓舞し続ける(写真/平野敬久)

「東京五輪で金。諦める理由はない」

 東京五輪で金メダル。

 監督就任後、いかなる状況でもブレずに、中田はそう口にし続けて来た。

 2020年までのプランはできているとはいえ、どんな経過を歩もうと、評価されるのは結果。それは選手時代から嫌というほど味わってきたからこそ、誰よりもわかる。メダル獲得が目標ではなく使命であったアジア大会で4位に終わった事実、厳しい現実がどれほど重いものか、ということも。

 それでも、何もできない歯がゆさに涙するような、たとえ惨めな敗戦の後でも。アジア大会でメダル獲得を逃がし、悔しさを噛みしめながらも。繰り返し、何度でも言い続ける。

「勝負の世界なので勝つこともあれば、負けることもある。厳しいことはわかっています。でもだからといって諦める理由はない。大事なのは負けをどう生かすかだと思うし、私は絶対、勝つことに対して妥協はしないし、したくない。たとえ勝つのが難しくても、もしもそこで選手が『勝てない』と思っているなら、それは大きな間違いだから。もう1回やってみよう、明日もやってみよう、って何度も繰り返しているうちにパッと選手の表情が変わって、試合に勝ったらこんなに嬉しいことはない。それこそ監督冥利に尽きるな、と思うし、それがチームだし、そうやって選手を本気にさせることが、監督の仕事だと思うんですよ。だから、私はブレない。それだけは絶対、揺るがないです」

 近年世界での活躍が著しい個人競技だけでなく、ホッケー、ハンドボール、バスケットボールなど球技団体もアジア競技大会で結果を残した今、勝てなかった理由は言い訳にしかならない。

もう一回、を何度でも。目標達成までは諦めない(写真/平野敬久)
もう一回、を何度でも。目標達成までは諦めない(写真/平野敬久)

「やると決めたんだから、やり抜く」

 間もなく始まる世界選手権は、2年後に向けたステップの機会ではなく、アジアで敗れ、味わった屈辱を晴らすだけでなく、これまで以上に結果が求められ、並々ならぬプレッシャーの中での戦いを強いられる。

「山田(重雄=メキシコ、モントリオール、ソウル五輪女子バレー日本代表監督)先生ってすごかったんだな、って改めて思いますよ。こんなプレッシャーの中、常に5年先を考えて育成と強化に取り組んできた。今の私に5年先を考えることはできても、じゃあ何ができるかと言われればそこまでの余裕はない。日本代表の監督、という孤独なポジションで、ここまでやった、と言えるぐらいやりきる。ほんとにすごいな、って。私、向いてないな、って思うこともありますよ(笑)。でもどれだけ背負うものが増えたとしても、やると決めたんだから、やり抜くしかない。一喜一憂せずにひとつひとつ、戦うだけですよね」

 これまでもこれからも、逃げずに立ち向かう。進むべき、自分が決めた道を、諦めるわけにはいかない。

 これが、自分の人生だ。

監督は孤独。それでも、ブレずに世界を目指す。(写真/平野敬久)
監督は孤独。それでも、ブレずに世界を目指す。(写真/平野敬久)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

田中夕子の最近の記事