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JリーグのGMやダイレクター人材難。ポポヴィッチと心中すべきか?

小宮良之スポーツライター・小説家
鹿島アントラーズの監督に就任するポポヴィッチ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「Jリーグは監督が持ち回りで、良い監督が足りない。でも、それ以上にGMやダイレクターの人材が足りない」

 それは日本サッカー界にある深刻な嘆きである。

 実務経験のないGMや名前の通りがいいだけのダイレクターが、監督・選手を含めた現場を司るポストを任される。こう言ったらなんだが、簡単にできるはずはない。彼らは論理的な査定や評価ではなく、人脈と言えば聞こえはいいが、個人的な交友関係や代理人から持ち込まれた人材から監督や選手を選ぶ。場当たり的になるし、一貫性もないのだ。

 もちろん、偶然がはまってうまくいくことはある。それがサッカーというスポーツの面白いところでもあるだろう。しかし根拠がないものは、どこかで行き詰まる。失態を積み重ねていくと、クラブのエネルギーはスカスカになる。タイトル争いから脱落し、有能な選手は離れて、降格など最悪の事態にもつながる。結果は雄弁で、負の連鎖だ。

 では、改めてGMやダイレクターはどうあるべきか?

バルサでも無能な会長がクラブを低迷させた

 GMやダイレクターは選手、監督とは独立したポストである。選手時代の経歴や指導経験は、参考程度にしか役に立たない。身もふたもないが、センスの問題で、できる人は最初からできる。例えば契約書類に目を通し、英文に対処するなど学ぶことはいくつもあるが、やりながら十分に覚えられるものだ。

 つまり、任命権者であるクラブの社長、会長がどれだけ見る目があるか。そこに尽きる。

 あのビッグクラブ、FCバルセロナでさえ、ジョゼップ・マリア・バルトメウという”暗君”会長がいた時代はおかしな人事が多く(最後はPR会社に資金を流し、SNSでメッシ、ジェラール・ピケなどへのネガティブキャンペーンをしていた疑惑が発覚。高額サラリーを下げる画策だった)、エリック・アビダルのように名前だけのGMを連れてきて(どうにかチームを支えていたエルネスト・バルベルデ監督を責任転嫁で解任、大枚を叩いた選手は悉く通用しなかった)チームを混乱させた。

https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=129254

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2021/02/23/ob/

 トップの決断は重く、その負の遺産は今も尾を引く。

 だからこそ、トップだけに責任を与えるべきではないのだ。

GMやダイレクターに何が必要か?

 クラブはプロとして一つの規範に従い、自浄作用を起こす仕組みを持つべきである。つまり、「ろくでもないGMやダイレクターがやってくる」という最悪を想定したマネジメントである。そこで一人のGMやダイレクターが失敗した場合、監督とともにその首を切る。それぞれのクラブが適任を探し続ける、その淘汰によって正当な競争世界を生み出すしかない。

 その自浄作用でしか、Jリーグのこれ以上の繁栄はないだろう。

 GMやダイレクターには必要な資質がある。

 まず、確固たるサッカーのプレーコンセプトを持ち合わせていることだろう。あくまでベースになる概念だが、それを持って、それに近い監督を選び、それに合わせた戦力を”お財布とにらめっこ”で準備する。

 その姿勢が大事で、間違っているか、正解か、は結果や内容で示される。

 監督、選手と同じ船に乗って戦える人物であることは最低条件と言えるだろう。言い換えれば、自分が自信を持って連れてきた監督の首を切るなら、自らも腹を切るのが当然である。監督が一つのサイクルを終えて引き抜かれる、もしくは勇退のような形になる場合は、次も引き継ぐことはあるし、そうあるべきだろう。しかし自分だけが職にすがりつくなど悪い冗談だ。

 そういうポストに縋りつく人間は、クラブを不幸にする。

 逆説的に言えば、監督を誰にするか、はGMやダイレクターが全権を委任されるべきだろう。権利と責任の天秤。社長も現場を任せた限りは、GMやダイレクターのやり方に口を出すべきではない。そこで力を加えることで天秤は崩れる。

 とにかく、GMやダイレクターはビジョンを具現化させる強い意志が欠かせない。

 それだけに、鹿島アントラーズの吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)の発言は違和感があった。

鹿島のダイレクターのアリバイ

「(佐野とは)2回ほど話をして、(問題はあったが、それは)ポポヴィッチだけが要因ではなく、『好きな監督』と言っている」

 鹿島のFDの証言が出た。新たに監督に招聘したランコ・ポポヴィッチと売り出し中の若手で日本代表にも選ばれた佐野海舟が、「FC町田ゼルビア時代に確執があった」というニュースが伝えられたことに対するレスポンスだ。

 日本人の若手選手がかつてうまくいかなかった監督について、その印象を尋ねられて、正直に「嫌です」と拒否できるはずはない。しかし百歩譲って、実はうまくいっていて、本当のところ、好きな監督である可能性もある。その可能性を完全には否定しない。

 拭えない違和感の正体は、監督や選手で構成する現場をマネジメントすべき人物が、そうした事情をいちいち説明する点にあるだろう。なぜなら、FDが「ポポヴィッチで戦う」と決断したなら、わざわざ若手選手に確認したことをメディアに伝える必要もない。その時点で、覚悟がぼやける。

 GMであれ、ダイレクターであれ、あるいは強化部長であれ、現場をマネジメントする人間は、確信を持って行動するべきである。少なくとも監督とは一心同体で、サッカーのビジョンが一緒でなければならない。優勝に向かって突き進むのに、一人の若手選手のご都合を聞き、それをメディアに伝え、「大丈夫です」というアピールは悪手だった。これから二人に何かあったとしても、「確認したよね?」というアリバイ作りのようだ。

 ポポヴィッチと心中すべきなのか?

 そもそも、常勝を掲げる鹿島はポポヴィッチと心中すべきなのか。

 ポポヴィッチは2008年、セルビア3部クラブを優勝させた後、J1大分トリニータを率いたが、好転させたとは言え、降格させている。2011年、JFAのFC町田セルビアを3位でJ2に引き上げたが、その後はJ1のFC東京、セレッソ大阪で好き嫌いが目立つ起用で安定しなかった。2014年、スペイン2部サラゴサの指揮をとるも、昇格が至上命題のところ失敗。マレーシア、インドで監督を続けたしぶとさは立派だが、2020年に町田に復帰し、19位、5位、15位とサッカーが定着したとは言えない。そして最近までセルビア1部のチームを率いていたが、昨シーズンまでの監督よりも順位は下がっていた。

 悪い監督ではない。指導者人生を続けているだけで、一つの評価をすべきである。

 しかし、強者のブランドを取り戻そうとしている鹿島が監督に迎える要素はどこにあるのか。ポポヴィッチは、トップリーグで優勝争いしたことはない。選手からの評判も、かわいがった選手を除くと厳しいものだ。

 例えば、ファン・マヌエル・リージョも結果だけを見れば華やかではないが(そうはいっても史上最年少でサラマンカを1部に昇格させた)、至高のスペクタクルの予感を与えられる。麾下選手たちからは、必ず絶賛の声が聞こえる。そして多くの指導者たちが門下に入りたいと願い、あの名将ジョゼップ・グアルディオラも教えを乞うほどだ。

 Jリーグでは、GMやダイレクターを評価する基準が確立されていない。だからこそ批判を交わし、逃げられる。その結果、これぞGM、ダイレクターという専門的な気概と技量を兼ね備えた人物が生まれにくい土壌になっているのだ。

 選手たちがこれだけ海を渡って世界が広がる中、自浄作用が求められているのだろう。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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