「桂花ラーメン」東京進出50年目の新たな挑戦
昭和30年創業、熊本ラーメンの草分け
熊本ラーメンの老舗「桂花ラーメン」が東京に進出して今年で50年を迎えた。熊本ラーメンの草分け的存在にして、東京に九州の豚骨ラーメンを持ち込んだ先駆者が桂花だ。熊本にラーメン文化が生まれたのは戦後のこと。昭和27年に熊本県玉名市に開業した「三九」の味に惚れ込んだ若者たちが、その後相次いで熊本市内でラーメン店を創業。そのうちの一軒が昭和30年に創業した桂花で、一躍熊本を代表する人気ラーメン店となった。熊本ラーメンの特徴ともいえる焦がしたニンニク油の「マー油」は最初に桂花が考案して広まったと言われている(参考資料:新横浜ラーメン博物館Facebook)。熊本ラーメンを語る上で欠かせない存在、それが桂花なのだ。
桂花が東京に進出したのは、今から50年前の昭和43(1968)年のこと。創業者である久富サツキさんは、まだ都電が走っていた新宿に自ら乗り込んで「新宿末広店」を開店。その時、東京進出の記念メニューとして考案されたのが、桂花を代表する看板メニューである「太肉麺(ターローメン)」だ。当時は東京だけのメニューだったが、あまりの人気でのちに熊本へ「逆輸入」する形で定番メニューに加わった。
豚骨と鶏の旨味が広がる臭みのない白濁スープに黒いマー油が浮き、麺は太くて固めのストレート麺。その組み合わせだけでも当時の東京では斬新だったが、さらに大きな角煮や生キャベツ、茎ワカメ、しっかりと煮込まれた魯蛋(台湾風煮卵)など、その具材もユニークなものばかり。50年経った今みても個性的で唯一無二のラーメン「太肉麺」はどうやって生まれたのだろうか。
創業者サツキさんの義理の弟で、今も現場に立つ久富和憲さんは当時をこう振り返る。「東京に進出するのを記念して、他にはないラーメンを作ろうということだったんですよね。創業者は女性ということもあり、常に身体を気遣ったり栄養のことを考えている人で、栄養的にバランスの取れたラーメンが良いだろうと、生のキャベツや茎ワカメを乗せることになりました。太肉は中華料理の角煮をヒントに、桂花のラーメンの味に合うように甘さなどの研究を重ねて作ったもので、見た目が太い肉なので『太肉』という名前にして読み方を中国風に『ターロー』と呼ぶようにしたんです」
経営破綻、そして奇跡の復活へ
それまで東京にはなかった九州のラーメン、中でも「太肉麺」は東京の人たちに衝撃を与えた。そして多い日は一日1,000杯以上ものラーメンが出る人気店になった。しかしその後東京では豚骨ラーメンブームが到来し、博多ラーメンなど九州の豚骨ラーメンを出す店が激増。そのあおりを受ける形で経営状態が悪化し、さらに食材製造工場への設備投資が負担となって2010年11月民事再生法の適用を申請した。豚骨ラーメンの先駆の経営破綻はラーメン業界に衝撃を与えた。
しかし、同じ熊本を拠点に「味千拉麺」を展開する「重光産業」の支援を受けて復活。関東での展開は神奈川や千葉に点在していた支店を閉めて都内に集中。1号店のある新宿エリアと渋谷エリア、池袋エリアの3拠点でのドミナント出店で着実に店舗を出店している。2016年にはターミナル駅から離れた幡ヶ谷に出店。そして東京進出50年の節目の年となる今年5月28日には池袋エリア3号店となる「池袋東武店」を東武百貨店池袋店にオープンさせた。50年目の節目の年に桂花は完全復活を遂げたのだ。
東京進出50年目の「新作」
今回オープンした「池袋東武店」にはこの店舗だけのオリジナルラーメンがある。東京進出50周年を記念した、桂花の新たな一杯が「檸檬塩拉麺」だ。ベースとなるスープは豚骨の白濁スープに、鶏の清湯スープをブレンドしたダブルスープで、麺はオリジナルの細麺を使う。そして丼の上に並べられたスライスレモンは国産ノンワックスのものを厳選した。インパクトのある見た目と今までにない味わいのラーメンは、形や味こそ違えど50年前に生み出された「太肉麺」と同じく「他にはないラーメンを作ろう」という桂花のチャレンジング精神が込められた一杯なのだ。
東京進出50年目の出店、そして新メニューの発表。創業者サツキさんの孫で、取締役として東京事務所の責任者を務める小林史子さんは何度も「チャレンジ」という言葉を口にした。「2016年の幡ヶ谷出店はこれまでのターミナル駅ではない場所へのチャレンジでした。今回のデパートへの出店も新しいラーメンの提案もチャレンジ。これからも熊本と東京の2拠点で焦らず一歩ずつ広げていって、多くの方に桂花のラーメンを食べて頂きたいと考えています」
東京に進出して50年。桂花の新たな挑戦が始まった。
※写真は筆者の撮影によるものです。