【富田林市】富田林駅近くの六反池とは?池に浮かんだ六反池事件の昔話は本当?隣に古墳があるとの情報も
富田林駅の北側、PL病院や大平和祈念塔(PLの塔)に向かう道の途中に、六反池(ろくたんいけ)と呼ばれるため池があります。殺人事件の昔話で名前が登場したり、古墳がすぐ横にあったりという、なんともミステリーな情報が出てくる六反池を調べてみました。
六反池は場所がわかりやすいです。六反池という交差点の名前があり、その交差点の横にあるため池が、その六反池です。
さて、六反池でいきなり出てきたのが「六反池殺人事件」というキーワード。非常に気になり調べると、大正時代にこの六反池で「おりえ殺し」と呼ばれる事件が起きたというのです。
遺体が見つかった六反池は大阪の郊外の池だそうで、そこに女性の胴体だけの死体が上がったいわゆるバラバラ事件。これが昔話として語り継がれていたそうです。だとすると気味が悪いですね。
しかしさらに調べると、これは富田林の六反池ではありませんでした!大阪市内の京阪野江駅の近くにあったという同じ名前の六反池での話。1920年(大正9)年に起こった事件だとわかりました。
現在の京阪野江駅の周辺に六反池と名の付く池はなく、恐らく埋め立てられてしまったようです。富田林は大阪の郊外なので、一瞬そう思いましたが、そうでは無かったのですね。
大正時代のころは野江駅の周辺が榎並町(旧野江村を含む)と呼ばれていたそうですから、現在は大阪市内だとしても、当時はのどかな郊外の農村地帯の扱いでした。恐らく現在の富田林のような雰囲気だったのでしょうね。
六反池という同じ名前だけで、事件とのかかわりとは無関係なことがわかりましたが、改めて池を見てみましょう。画像のコンクリートの盛り上がった所の上に池があります。
どこのため池でも共通の約束事ですが、中には入れません。
金網の間から撮影してみました。六反池の六反ですが、「反(たん)」というのが昔の単位で、1反が約300坪なので6反だとおよそ1800坪となります。
六反池がおよそ1800坪あるから、そういう名前がついているのかは、残念ながら情報がなくわかりませんでした。
さて、六反池のすぐとなり、ちょうど画像で緑に覆われたところが見えるかと思いますが、ここに古墳があるというのです。その名も六反池古墳。
このように富田林市役所でも、ここに古墳があることを確認しています。
古墳の種類は前方後円墳で60mあるそうです。円筒埴輪が出土しているという情報があり、蘇我氏を始めとした重要な豪族の古墳途の可能性が指摘されていますが、詳細は不明。
見た限りにおいては、竹藪などの緑に覆われているだけのようです。情報によれば墳丘自体の状態もあまりよくないそうですね。また解説の表示板もありません。
ということで六反池とその隣にある六反池古墳を見てきました。上り坂はありますが富田林駅から徒歩10分と意外に近く、わかりやすいところにあるので、散歩のついでに見てみるのもよさそうです。
六反池・六反池古墳
住所:大阪府富田林市新堂
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩10分
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