10日間契約でNBAに復帰したスーダン難民の星
2021年12月31日現在、23勝9敗で東地区首位を走るブルックリン・ネッツが、27日に敵地、ロスアンジェルスの「Crypto.com(クリプトドットコム)アリーナ」で試合前のウォーミングアップを始めた折、ウェイン・ガブリエル(24)の姿が目に飛び込んできた。
背番号34、身長206センチ、体重93キロのパワーフォワードである。2019年にサクラメント・キングスにてNBAデビューし、11試合に出場。合計で63分プレーして、通算19得点3アシスト、10リバウンドをマーク。その後、2020年1月20日にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされた。
まだ、新型コロナウイルスが世界を覆い尽くす前、NBAの現場ではメディアが試合前、試合後に控室で選手と直接会話が出来た頃、私は何度となく彼からコメントを頂戴した。
ガブリエルは1997年3月26日、スーダンの首都ハルツームで生を享けた。第2次スーダン内戦から逃れるため、誕生から2週間後にカイロに渡る。当地で2年を過ごした後、国連による難民支援として一家で米国ニューハンプシャー州に逃れた。
「僕は3歳でアメリカに来た。両親は言葉の問題もあって、ブルーカラー労働者だった。苦労していることが分かったから、僕ら4人の子供たちは必死で学業に励んだ。両親からは『何事も一生懸命やりなさい。そうじゃないと、将来は拓けない』って教わったよ」
ガブリエルは己のハードな歩みを、流暢な英語で話した。
「バスケを始めたのは10歳の時。姉がやっていたので、その影響だね。フットボールも齧ったんだけど、背は高くてもヒョロヒョロだったから、バスケの方が向いているかなと思ってさ。周囲の友人たちにも勧められたしね。
1年後にはNBA選手を目指していた。未来を創るんだって思いがあったから、毎日、とことん練習した。夢を実現するには、日々の努力の積み重ねと、自己を信じることが大事だと両親に教えられたよ。今、その言葉は正しかったと思う。練習するから自信に繋がる。たとえ上手くいかない日があっても、夢を諦めないで進むことが大事じゃないかな。そうやってここまで来た」
高校時代にはニューハンプシャー州での公式戦はもちろん、マイケル・ジョーダンやNIKEが主宰する若手育成キャンプでも関係者の目に留まり、複数の名門大学から声が掛かる。その中から、ケンタッキー大を選んだ。高校卒業の年にはアメリカ国籍も得ることができた。
「強豪だし、ケンタッキー大からは100人以上がNBAにドラフトされているので、ベストな環境だと思った。熱心に誘ってくれたことも嬉しかった。卒業を待たずにNBA入りを目指したけれど、大学生活は楽しかったね」
2018年、アーリーエントリーしてNBA入りを狙うが、どのチームもガブリエルを指名しなかった。
「バスケ人生で最も辛かった記憶だな……」
同年のサマーリーグに参加したガブリエルは、サクラメント・キングスとの2Way契約を得、歩を進めてきた。ポートランドでインタビューした際には「チームからの信頼を得て、契約延長することが目標」と語っていたが、望みは叶わず、昨シーズンはニューオーリンズ・ペリカンズの選手として21試合に出場した。とはいえNBAには残れず、今季の開幕は下部組織であるGリーグで迎えていた。
そのガブリエルが2021年12月21日に10日間契約をネッツと結び、NBAに戻ってきた。27日のロスアンジェルス・クリッパーズ戦では、試合終了の1分16秒前に投入され、ディフェンス・リバウンド1を記録。
ガブリエルは、いかに過酷な状況に置かれても、壁を乗り越えられるだけのメンタルを持っているように見える。彼がNBAで確固たるポジションを掴み、スーダンの星となることを、心から祈る。