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『笑点』の円楽代演で目立つ落語家と目立たない落語家の差 立川志らくはなぜ18回も回答できたのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

『笑点』での助っ人落語家11人

『笑点』では三遊亭円楽が今年2022年になって長期療養に入り、代演「助っ人」の落語家が毎週呼ばれている。

2月13日 桂文珍

2月20日 春風亭小朝

3月13日 笑福亭鶴光

3月20日 柳亭市馬

3月27日 月亭八方

4月 3日  桂竹丸

4月10日 桂米團治

4月17日 桂南光

4月24日 桂南光

5月 1日 桂米助

5月15日 立川志らく

5月22日 立川志らく

5月29日 橘家文蔵

6月12日までの時点でこの11人が呼ばれている。

『笑点』が選んだ「実力派」メンバーである。

(飛んでいる週は女性アナウンサーとのペア大喜利や、若手との対抗大喜利などがおこなわれており「助っ人落語家」は呼ばれていない)。

目立っていたのは立川志らくと春風亭小朝

あらためて2月からの放送ぶんを見直して、回答者として感心したのは春風亭小朝と立川志らくである。

軽やかだ。

テレビ番組『笑点』を支える大事な部分は、ひとえに「ナンセンス」さである。老人たちがバカなことを言い続ける摩訶不思議な番組なのだ。

意味のあることは言ってもしかたがない。

『笑点』の精神を貫いているのは林家木久扇

勢い、スピードが命となり、軽やかさがこの番組のメインにある。

レギュラーの中でもっともその『笑点』精神を貫いているのは林家木久扇だろう。彼の回答だけは何度聞いても吹き出してしまう。ちょっと異様な存在である。

週替わりゲストのほうでは、軽やかでスピーディだったのが春風亭小朝と立川志らくなのだ。

まず、この二人は「答える数」が多かった。

ゲスト落語家の答える回数は「6回」がスタンダード

『笑点』大喜利のコーナーは、ふつうお題が3回出される。3問である。

司会の昇太は適当に指名しているように見えて、けっこう均等に当てている。

とくに「助っ人」と称される円楽がわりのゲスト落語家は、指してもらえる回数が決まっているかのようだ。

それは「1問につき2回」である。

3問あるから、2回ずつで、合計6回答える。

これがゲスト落語家のスタンダードな回答数なのだ。

実際に数えたらそうだった。

11人中7人がスタンダードに「6回」の回答

2月から5月まで、助っ人落語家が出たのは13回で11人。

桂南光と立川志らくが2週連続で出ているのでそういう数字になる。

このうち「1問につき2回、合計6回」と標準どおりに答えていたのは7人(8回)であった。

桂文珍。笑福亭鶴光。柳亭市馬。月亭八方。桂竹丸。桂南光×2。橘家文蔵。

この人たちがスタンダードに答えた人たちである。

標準より多く答えたのが志らくと小朝の二人

残り4人のうち2人が6回より多く、2人が6回より少ない。

7回以上答えたのが、春風亭小朝と、立川志らくである。

小朝は7回。

志らくは8回と10回。合計18回。異様に多い。

志らくが多いのは二週出演に加えて、最初はフルで30分間大喜利をやっていたからでもあるが、それにしてもとびぬけて多いのは確かである。

同じお題を連続して、はいはい、と答えたり、違うお題でも前に使った同じギャグを繰り返したり、そういう「テレビのお笑い法則」にのっとってスピーディに答えているからだ。

テレビ慣れしているから、ということもあるだろうが、芸人として前に前にと出ていって失敗を気にしない「若手芸人のようなノリ」をキープしているからでもある。

落語家として貴重である。

36人抜きの落語家・春風亭小朝

春風亭小朝のそういう才能については、何をいまさら、という感じなのだが、この人はずっと器用な人なのだ。

若いころから注目され、1980年の真打昇進のおりは「36人抜き」の大抜擢で、大きなニュースにもなった。落語界期待の若者だった。

ただその後、古今亭志ん朝や立川談志のような「古典落語だけで満場を沸かせて独演会のチケットが取れない」という正統派落語家の道を歩んでいない。たぶん望んでそうなっていない。(小朝、という小さい名前のままなのも、いろいろ考えがあってのことなのだろう)

その道を歩まなかった理由もかなり想像できるのだが、21世紀すぐのころに奔走していた「派閥を超えた落語界の結集」のときも(身内の奇妙な騒擾でストップしてしまった)、どうも一人ですべてやっていたらしい。

何でも一人でできるタイプなのだ。

『笑点』大喜利2月20日での昇太との軽やかなやりとりを見て、1980年代に見かけた新進気鋭の小朝をおもいだしてしまった。

才覚があって、それが前に出てくる人である。

それは60歳代の後半になっても衰えていない。

立川志らくと春風亭昇太の「同志」感

立川志らくは、ここ何年かほぼ毎日テレビに出続けている人、というのが他の落語家と違うところだろう。だからテレビの中では軽やかである。

もうひとつ、昇太の司会だとやりやすそうだった。

仲がいい、というのとは違うとおもうが(たぶん楽屋であまり話をしていないようにおもう)、同じ時期に前座だったことのある仲間であり(昇太の入門は1982年、志らくは1985年)、落語冬の時代を乗り越えてきた同志という気配を感じる。

たとえば、5月22日の最初の挨拶で、志らくは「(私は)若いころ笑点批判をずいぶんしたと言われてますけれど、ここだけの話ですけれど、司会の昇太さんも若いころ、笑点なんか絶対出ないっつってましたからね」と言って、このあたりが「落語冬の時代の若手」同士らしいやりとりなのだ。

昇太も否定せず「悪いやつだなあ」と返すばかりで、通じあっている空気があった。

志らくは勝手に「座布団十枚!」と要求する

志らくはのびのび答えていた。

たとえば2週目の第1問、「……昭和は厚く、令和は薄く」の前句付けで「原節子、石原さとみ、眉メイク…」とまあ、そんなに悪くない回答をしたのだけれど、周りの反応は悪く「…昭和は……厚く」で口ごもり「令和は…」で切って最後まで言わずに立ち上り、楽屋のほうに「座布団十枚!」と叫んでいた。

昇太も「こらこら!勝手に決めるな!」と止めていて、回答内容を超えて、二人で笑いを作っていた。

このあたり、のびのびしていた。

関西の落語家が抱える『笑点』への『アウェー』感

そういう点でいえば、関西の落語家は、やはりアウェー感がある。

笑福亭鶴光は、いまは昇太会長の落語芸術協会に所属しているのでほぼ東京の芸人だが、残りの桂文珍、月亭八方、桂米團治、桂南光には「上方落語界からお邪魔しております」感が漂っていた。

とくに東京でのテレビ露出があまりない桂米團治にはその遠慮が強く、「回答数」は、標準の6回に達せず5回で終わっていた。ちょっと目立つ。

人間国宝の息子・桂米團治の魅力

父は人間国宝「桂米朝」、サラブレッドである彼の高座は「七段目」や「稽古屋」など、ケレンの入った一席では瞠目させる華やかさで魅了する実力派で(そのぶん何でもない小さいネタでは窮屈そうに見えることもあるのだが)、やはり「華やかな高座姿が似合う」という気配に満ちている落語家である。

京都南座公演で、満場の客をずんずん引っ張り込み、ときに解き放ち、存分に沸かしていた高座姿がいまも忘れられず、ライブ公演ではとても魅力的な落語家だ。

テレビではそれはあまり伝わらないのだろう。

どちらかというと、この人の場合は「木で鼻を括ったような魅力」があると私はおもっているのだが、それはたしかにテレビ向きではない。

上方の落語家にとって『笑点』はどうしてもアウェー感がある。

米團治が回答で「上方落語の魂を売って東京の笑点にでてしまいました」と言っていたのだが(閻魔大王への懺悔セリフ)これはまさに上方の落語家の本音(の一端)が出ている。

かなりアウェー感を漂わせていた。

『ヤングおー!おー!』時代を彷彿とさせた桂文珍

桂文珍と月亭八方はもちろん大御所感たっぷりなのだが、でもところどころ軽さも出てきて、おもしろかった。

この二人と「桂きん枝と林家小染(当時)」を加えた「ザ・パンダ」というユニットがあったのだが(50年前のことである)、その時代の空気を感じた。

文珍の回答で、円楽さんをスポーツに例えるのに「ぶあーっと助っ人が来る、ぶあーと助っ人、ぶあすけっと」と持って行く話法が1970年代ザ・パンダ時代の喋りそのもので、あまりに懐かしくて、見ていて私はしばし茫然としてしまった。

1972年ごろの『ヤングおー!おー!』ではこの話法で大受けだったのに、50年後の『笑点』ではやはりそんなには受けない。

回答がもっとも少なかった「隣の晩ごはん」のヨネスケ

回答数が少なかったもう一人は桂米助で、つまり「突撃!隣の晩ごはん」のヨネスケである。

1問目こそ2回答えたが、2問目3問目は1回ずつで、計4回しか答えなかった。

目立って少ない。

小遊三よりも一年先輩にあたり、笑点メンバーに入れば、木久扇の次のキャリアになる。

年嵩なので、ちょっと遠慮しておく、というふうに見えたけれど、どうだったんだろう。

寄席の高座ではずしたことのない柳亭市馬・桂竹丸・橘家文蔵

三遊亭円楽の復帰は少しまだ先のようだから、しばらく「助っ人」が出てくるはずである。

メンバーのセレクトがなかなか楽しみだ。

ここまででも柳亭市馬、桂竹丸、橘家文蔵という、さほどテレビで見かけないが、寄席で出てくるとまずその高座をハズしたことがない実力派が呼ばれている。

彼らを『笑点』で眺めているのは実に楽しかった。

円楽さんの復帰も待ちつつ、中堅あたりの実力派が次々呼ばれるのに期待しているし、上方落語家の頑張りもまた見てみたい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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