SMAP解散 彼らが愛した“嘘”の行方
ついにSMAPの解散が発表されてしまった。
1月の公開謝罪で傍目にも深い溝(メンバー間だけでなく)ができていたのは明らかだったが、それが修復できなかったということだろう。
中居正広は、2014年の『笑っていいとも!』「グランドフィナーレ」におけるタモリへのスピーチでこのように語っている。
この「バラエティ」という文言を「アイドル」あるいは「SMAP」と読み替えるのは容易だろう。
本来、「アイドル」とは儚い存在だ。マキタスポーツが「アイドルとは終わりを愛でる芸能である」と評するように、「卒業」という「終わり」に向かうジャンルである。しかし、SMAPはそんな常識を破り、年齢を超越しメンバーの平均年齢が40歳を超えても、生き様を晒しながらトップを走り続けてきた。
香取慎吾も同様のことを語っている。
「終わりがない」ことの残酷さを誰よりも理解している彼らが選んだのは「終わらないことを目指す」道だった。
だが、それは果たせなかった。
アイドルのチャック
2014年の『武器はテレビ。』と題されたSMAPがメインMCを務めた『FNS27時間テレビ』。その終盤の「未定」と名付けられたフリートーク企画があった。そこで香取慎吾は「解散」について赤裸々に自分の考えを話し始めた。それに対して中居正広は「そのチャックは開けたくなかった」と振り返った。中居にとってその部分はアイドルという“きぐるみ”を維持するためのギリギリのライン、すなわち“チャック”だったのだ。
SMAPは、「アイドル」にとってのチャックをどんどん開けてきた存在だ。「どこまでエンターテイメントにするかということについては、非常識を常識にするということに関して、僕らは腹をくくる準備と覚悟はあった」(『AERA』2013年5月6日・13日合併号)と中居が言うように、彼らはアイドルではタブー視されていた下ネタや恋愛話、ネガティブなことなのも話し、アイドルに生身の人間性を与えてきた。それでも「解散」話は中居にとっては開けてはいけない「チャック」だったのだ。
それに対し「チャックは開けてなくても透けて見えたりするもの」と稲垣吾郎は言う。一方で香取は「チャックとか考えたことない」と語るのだ。「別にチャックがあってそれで隠してるとか開けられるとか、そういうんじゃないから」と。
思えば、香取慎吾は子どもの頃からそんな世界にいた。「ここ以外の世界を知らないです」と香取は言う。そして「SMAPの解散」をテーマにしたフェイクドキュメント風ドラマでつぶやいた。
「SMAPがなくなっちゃうなら、僕は誰になるんだろう……?」
香取慎吾は普通ならば逡巡してしまうような『西遊記』の孫悟空、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉、『忍者ハットリくん』の服部カンゾウ、慎吾ママといった「キャラもの」も躊躇なく演じてきた。
それはSMAPというアイドルグループの一員として求められてきたものをまっとうした結果だろう。
テレビの嘘
2014年の『27時間テレビ』のエンディングで香取慎吾はこう語っている。
香取慎吾は、いわば「テレビの嘘」、あるいは「アイドルの嘘」に誰よりも殉じてきた。
けれど、様々な深い溝ができてしまった現在、もうその「嘘」に彼らは耐え切れなくなったのかもしれない。
真実かどうかはわからないが、誰よりも強硬に解散を主張したのが香取で、解散を拒否したのが木村拓哉と伝えられている。
それは即ち、ひとりの個人として、ぶつかり合った結果だ。
アイドルに生身の人間性を与えてきた彼らは、1月の解散騒動でその人間性を剥奪されたかのようだった。だからこそ、その人間性を取り戻すためには解散するしか道はなかったのだろう。
いわばSMAPの解散劇は、彼らの“人間宣言”なのかもしれない。
「これからも、つらかったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?」
とタモリに問いかけた香取慎吾。
これからも香取はつらかった時、苦しかった時、泣かずに笑うのだろうか。