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ストリッパーだった過去、男友達の事故死。文書公開でわかったアンバー・ハードの新たな事実

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ジョニー・デップとアンバー・ハードの名誉毀損裁判が終わって、2ヶ月。6週間にわたる裁判では、あのふたりについてのさまざまな事実が出てきたが、さらなる情報が入手できることになった。裁判で判事を務めたペニー・アズカラテが、裁判中は非公開とされていた文書をすべて公開すると決めたせいだ。

 これらの文書は裁判自体の記録ではなく、裁判に至るまでのやりとりを記録するもの。誰かの証言もあれば、お互いの弁護士が裁判でその証拠を出すな、この事実を述べるのはだめだなどと要求するものもある。

 たとえば、ハードの弁護士はデップが敗訴したイギリスのタブロイドを相手にした裁判の判決を持ち出したがったが、判事によって却下されている。ハードの弁護士はまた、裁判でハードとデップの寄付についての話題を出さないよう要求していたこともわかった。しかし、裁判でデップの弁護士カミール・ヴァスケスが寄付についてのハードの嘘を見事に突いてたじたじにさせてみせたとおり、これは通っていない。デップは、ジャック・スパロウの衣装を着て病気の子供たちを訪ねるなどの慈善活動をしてきたのだが、それについても持ち出すなとハードの弁護士は主張している。ハードは寄付をすると言いつつしなかったケチな人、デップは思いやりのある優しい人、という印象を陪審員に与えるのが嫌だったのだろう。

 そんな中に、とりわけ目を引く記述がいくつかあった。ひとつは、かつてハードがストリッパーをしていたというものだ。ハードの弁護士は、文書の中で、「ミスター・デップは、(裁判に)関係ない個人的なことを証拠として出そうとしている。(1)アンバー・ハードのヌード写真、(2)アンバー・ハードの妹ウィットニーのリアリティ番組のビデオ、(3)ウィットニーとアンバーの過去の恋愛、(4)ミスター・デップに出会うずっと前にアンバーが短期間エキゾチックダンサーをしていたこと。また、ミスター・デップがミズ・ハードは一時期エスコート嬢だったと悪意のある示唆をしていること」と述べているのである。ここでは“エキゾチックダンサー”という言葉を使っているが、別のところでハードの弁護士は「女優になるためにロサンゼルスに引っ越してきた後、ストリップクラブで短期間働いていたということは、そのずっと後にミスター・デップと交際したこと、また彼から暴力を受けたかどうかには関係がない」と記述している。

(文書のスクリーンショット/筆者撮影)
(文書のスクリーンショット/筆者撮影)

 ここに出てくるハードの妹ウィットニー・ヘンリケスのリアリティ番組のビデオについても述べておこう。このビデオはイギリスの裁判には証拠として提出され、その時にリークもしているのだが、今回のヴァージニア州の裁判では出てこなかった。姉に続き自分も業界入りをしようと狙っていたヘンリケスが出たリアリティ番組の1シーンを見せるもので、ヘンリケスの体にはあざがあり、それをほかの友達に指摘される。友達は「アンバーに暴力をふるわれたのね」「本当のことを言って。あなたが喧嘩を仕掛けたの?それともアンバー?」などとヘンリケスに聞くのだが、ヘンリケスは「そのことについては話したくない」と繰り返すだけだ。たしかにハードにとっては都合が悪い証拠である。

10代の頃、免停中に車を運転していた

 ヘンリケスがハードから暴力を受けてきたことは、ずっと言われてきたことだ。裁判でも、デップが、ヘンリケスとハードの激しい喧嘩が始まって、デップと当時のハードの恋人が外に逃げたことがあると証言している。

 しかし、裁判の2ヶ月前である今年2月に行われた宣誓証言の記録文書の中で、デップの弁護士に「あなたの人生でアンバーから暴力を受けたことはありますか?」と聞かれたヘンリケスは、「ノー」と答えている。「殴られたことは?」「物を投げられたことは?」「平手打ちをされたことは?」と聞かれても、すべて「ノー」だ。姉による暴力についてヘンリケス自身から聞かされたと、ヘンリケスの元上司ジェニファー・ハウエルが証言していることについても、「私は、そうは言っていない」と否定している。完全に姉をかばう姿勢だ。

 このヘンリケスの宣誓証言では、ハードが10代の頃に親しかった男性が事故死したことや、ハードが運転免許停止処分中に運転をしたことにも触れられた。その男性はローガンという名前で、当時17歳か18歳。ハードとはプールのライフガードのアルバイト仲間として知り合い、ハードの家族全員と仲良くなった。彼とハードは恋人だったのかと聞かれると、ヘンリケスは「私の知るところではそうではない」と答えている。彼が車の事故で亡くなった時、ハードはそばにいたのかとの問いには「そうだとは思わない」、その車は自分が運転していたとハードは言ったのかとの問いには「ノー」と答えた。これが直接の理由ではないが、この事故が起きてまもなくハードは高校を中退したとも、ヘンリケスは述べている。

ハードの妹ウィットニー・ヘンリケス
ハードの妹ウィットニー・ヘンリケス写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 また、ヘンリケスは、その頃ハードが運転免許の停止処分を受けていたと認めている。なぜそのような処分を受けることになったのかについては「知らない」と言い、ローガンの死と関係があるのかと聞かれると、「何の関係もない」と答えた。免停中にハードが運転したことがあるかとの問いには、「ある」と答え、それは免許を取ったばかりだった自分が家の近くで事故を起こしたからだと説明している。

「来られるのは彼女だけだったのです。初めて事故を起こし、私はふるえていて、そこに彼女が来てくれ、家まで運転していってくれました」と、ヘンリケス。その時、ハードの免許が停止されていたことを知っていたのかと聞かれると、「知っていたかもしれません。はっきり思い出せません。さっきも言ったように、初めての事故でふるえあがっていて、きちんと考えられなかったのです」と言い訳をしている。免停中に運転したのがその時だけだったのかどうかは、このやりとりだけではわからない。

 公開された文書は全部で6,000ページ以上あり、筆者もまだ一部しか目を通すことができていない。しかし、今の段階でも、このように興味深いことが出てきた。これらによって、以前は見えなかった背景がわかり、裁判の脈略が見えてくる。さらに読み進めていく中では、ほかにも発見があるだろう。それらについては随時ここでご報告していく。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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