【河内長野市】かつて観心寺の領地だった下岩瀬地域。ここに何体もの秘仏が残る岩瀬薬師寺があります
河内長野市内を南に行けばやがて山に囲まれ、一部の山の上には住宅地が造成されていますね。さらに南に行けば住宅地がなくなり、谷あいに集落が点在する地域となります。
南海高野線の千早口駅の近く、かつては観心寺の領地(観心寺七ヶ村)のひとつだった下岩瀬地域まで行くと、周囲を山に囲まれた田園風景が広がっています。
以前図書館でこちらの本を借りました。これは下岩瀬地域にある岩瀬薬師寺に関する資料で、平成時代に行われた修復の完成を記念して発行されたものです。
この本を読んで、岩瀬薬師寺がとても気になったので一度どんなところか訪問して見たいと思っていました。
先日千早口駅に来る機会を見つけたので、チャンスとばかりに岩瀬薬師寺を訪問しました。
岩瀬薬師寺の位置をおさらいしましょう。千早口駅から南海高野線沿いに北側にあるいたところ、途中から坂を上った山の中腹にあります。
薬師寺の先に石仏バイパスがありますが、ちょうど岩瀬薬師寺の上のところがトンネルとなっており、そのトンネルの名前が薬師トンネルというのだそうです。
駅から線路沿いにある道を北方向に歩いていくと、このように薬師寺に向かう道を示す道標があります。
道標の通りに奥に入っていくと、昔ながらの細い道で登りになっています。
このように坂を上っていきます。
道標がないとわからないような細い道になりました。この山道を登っていくようです。
左側に民家が見えますが、その横の道を上がっていきます。
想像以上に山の上のほうにあるようです。ほかに道がないので迷うことはありません。
やがて見上げると建物が見えてきました。あれが岩瀬薬師寺のようです。
あと一息です。
結構急な登りでしたが、どうにか山の上まで来れました。
ということで境内に到着しました。下岩瀬薬師寺保存会の資料によると、薬師寺はもともとは薬師堂という名前だったそうです。
薬師寺のある岩瀬地域はかつて観心寺領でしたが、1535(天文4)年に観心寺の薬師堂の再建が行われたという記録が残っています。
ところが当時の観心寺の境内には、薬師堂が無かったそうなので、それは境内の外にある観心寺領内にあったのではと考えられており、この岩瀬薬師寺がそうではないかと推測されています。
記録によると、江戸時代の寺請制度(てらうけせいど:寺請証文を受けることを民衆に義務付けて、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度)で、薬師堂から今の名前、薬師寺という名前になったとのことです。
こちらは、1981(昭和56)年に本堂の改修を記念した石碑です。
境内の上を見ると石塔があります。
これは境内にあったものです。天見地域の里山を歩くマップの中に説明がありました。
下岩瀬エリアにある「⑤石造五輪塔」というのが、先ほど見つけた石塔です。
石塔は大阪府の指定文化財です。説明によれば南北朝時代の1341(暦応4)年の五輪塔で河内長野市内では最古のものなのだそうです。
五輪塔の右横にも小さなお堂があります。これは残念ながら情報がありませんでした。
岩瀬薬師寺と五輪塔の説明がありました。
1981年に修復された本堂です。もともとは観心寺と関係する寺院だったので、真言宗に属していたと考えられますが、現在は融通念佛宗なのだそうです。
この中には本尊の薬師如来立像と、不動明王像、毘沙門天像、12神将立像、釈迦如来立像、大日如来坐像が安置されているそうです。
ただこれらの仏像は普段は非公開で、毎年8月8日の夕方の法要の後に開帳するそうです。
寺の境内の奥に道と階段が見えます。行ってみましょう。
こちらです。先ほどの天見地域の里山を歩くマップによれば、「③菅原神社」です。
寺院の敷地内に、神社が共存する神仏混淆(しんぶつこんこう)の名残がここにもありますね。
ということで岩瀬薬師寺を参拝しました。帰りは行きとは違う北側の道を下っていきましょう。
北側の道を下ったところです。このように北側にも薬師寺方面を占める道標があるので、薬師寺に行く場合、北方向からでも迷うことはないです。
医王山岩瀬薬師寺
住所:大阪府河内長野市岩瀬621
アクセス:南海千早口駅から徒歩10分
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