独立リーグの指導者となった「ハマのスピードスター」、荒波翔が語る「メキシコ野球」(前編)
日本球界も選手の移籍が盛んになってきている。シーズン途中の移籍も珍しいことではなくなった。その移籍には国外リーグからのものも含まれ、今シーズンもペナントをつかむべく、セサル・バルガス投手がオリックスに、ダリエル・アルバレス外野手が独立リーグからソフトバンクに入団、そして2019年に中日で先発を務めたエンニー・ロメロ投手がロッテでNPB復帰を果たしている。
彼らに共通しているのは、メキシカンリーグから日本球界に移籍しているということだ。メキシコと言えば、サッカーの国のイメージがあるが、実は温暖な気候を利用して年中広い国土のどこかでプロリーグが行われているラテンアメリカの「野球大国」でもある。2016年秋と2019年春に侍ジャパンとメキシコナショナルチームのテストマッチが行われたように、それまで「アメリカの付録」としてしかみなされなかったメキシコ球界と日本球界の距離は加速度的に縮まっている。そんなメキシコ球界に2年前飛び込んだのが、かつて横浜DeNAのトップバッターとして活躍した荒波翔だ。彼は現在、ルートインBCリーグの神奈川フューチャードリームズのコーチとして第2の野球人生を歩んでいる。
未知の国、メキシコへ渡ったわけ
大学野球の名門、東海大から社会人野球の名門、トヨタ自動車へ。甲子園の舞台にも立った横浜高校時代も含めると、荒波のアマチュア時代の野球人生はまさにレッドカーペットの上を歩いていたと言っていい。そして、2010年秋のドラフトで横浜ベイスターズから3位指名を受けプロ入り。チームがDeNAに譲渡された2年目以降は外野のレギュラーとしてチームを牽引する存在となった。しかし、2014年以降は、怪我や若手の台頭などもありベンチを温めることが多くなり、チームが悲願の出場を果たした2017年の日本シリーズでもフィールドに立つことはかなわなかった。わずか13試合の出場に終わった2018年シーズン後、球団から突き付けられたのは自由契約の通告だった。荒波は当時をこう振り返る。
「DeNAを戦力外になって、最初はもちろんNPBのどこかの球団を探しました。9月ぐらいにはもう通告を受けてはいたので、その後も練習は続けていたんですが、ドラフトもあり、年内という区切りは自分で決めていました。でも、体は本当に元気だったので、もったいないなって…。それで12月ぐらいからアメリカなど海外も視野に入れて球団を探し始めたんです」
そんなとき舞い込んできたのがメキシコ行きの話だった。プロ野球OBをマネジメントしている事務所から、どういうつながりかメキシカンリーグの球団が選手を探しているという話が持ち込まれたのだ。
「最初は本当に迷いました。言葉はスペイン語になりますし、アメリカの独立リーグに行っている選手の話は結構聞いていますが、メキシコまでは自分自身の考えにはなかったので」
メキシコで野球をやっていることじたいは荒波も知っていたが、なかなかイメージとしては浮かんでこなかった。社会人時代にイタリアでの国際大会を経験していたが、中南米のチームとはあまり対戦しておらず、「メキシコ野球」が実感として湧いてこなかったのだ。それでも、野球人としてのあくなき探求心が、未知の国、メキシコへの背中を押した。
「日本でプレーしていた中南米の選手らのバッティングには興味があったんです」
一筋縄ではいかないラテン野球
行先となったメキシカンリーグは、いうまでもなくメキシコのプロ野球だ。この国には、このメキシカンリーグだけでなく、そのファームリーグ、それに独立系のプロリーグに加えて、プロアマ混成のセミプロリーグというべき大小のリーグが夏季、冬季問わず広い国土全体に林立している。プレーレベルという点では、メジャーリーガーも参加する冬季のメキシカン・パシフィック・リーグが一番高く、人気も高いが、夏季に実施されるメキシカンリーグは、唯一の全国リーグで、半年という長い開催期間という点においても、「ナショナルリーグ」ということができる。
荒波が最初に契約を結んだチームは、レオン・ブラボス。2017年にフランチャイズを移した新興球団だ。荒波のかつての同僚、久保康友が2019年シーズンにこのチームの先発ローテーションに入っている。本来ならかつてのDeNA戦士が投打の柱となるところだったが、それは実現することはなかった。背番号が決まり、ユニフォームの採寸まで行ったのだが、突然契約が破棄されたのだ。いきなりラテン野球の洗礼を浴びた荒波だったが、途方に暮れているところに助け船が出された。人気実力ともメキシカンリーグナンバーワンのモンテレイ・スルタネスが荒波にオファーを出したのだ。
但し、その契約はキャンプの招待選手というものだった。要するに入団テストだ。もちろん最初は無給で、ここで本契約にこぎつけることができなかったら、シーズンには入れない。それでも、ここまでの努力を無駄にしたくないと、荒波はこれを受け入れた。これだけは出してやると送られてきたチケット片手に荒波は機上の人となった。
日本とは違い、キャンプは本拠地球場で行われた。これも経費削減のためなのだろうかとも思われるが、チームが本拠を置くスタジアムは、MLBの公式戦も行われるメキシコはもちろん、ラテンアメリカでもトップクラスの球場だった。人工芝が少し硬い印象をもったが、高くそびえる2層造りの内野スタンドを含め、設備は日本のそれにひけをとることはなかった。
キャンプには2月末のスタート時点から参加した。集まった選手たちと体を動かしながら、荒波は確かな手ごたえを感じた。
「こいつらには勝てそうだな」。その印象通り、1週間ほどで本契約のオファーを手にすることができた。
「キャンプは最終盤が本番」のメキシカンリーグ
契約どころかレギュラーポジションも獲れるだろうとキャンプ中盤に入っていった荒波だったが、実はここからが「本番」だった。場所を変え年中プロ野球が行われるメキシコ。「最強リーグ」であるウィンターリーグでプレーする選手は、2月上旬のカリビアンシリーズの後、つかの間のオフを家族と共に過ごす。その彼らが、メキシカンリーグの所属球団のキャンプに合流するのは、残り1週間になってからのことなのだ。荒波がキャンプ開始から切磋琢磨してきたのは、控えかマイナー組織の選手に過ぎなかった。
キャンプも終盤を迎えるころになると、球場に行く度、ロッカールームに見知らぬ顔が増えていく。彼らは「新参者」のはずだが、やたら態度がでかい。やがて荒波は彼らこそが主力選手であることに気付かされた。
「日本で一緒だった選手もたくさんいました。サードはアガスティン・ムリーヨ(2015年楽天)、セカンドはラミロ・ペーニャ(2017年広島)。外野にはフェリックス・ペレス(2016年楽天)がいましたね。指名打者はヤマイコ・ナバーロ(2016年ロッテ)、クローザーはウィルフィン・オビスポ(2007-10年巨人)でした。全然知らなくて、実際行ってみて『あれ、どこかで見たことがあるな』って(笑)。結果は出ませんでしたけど、助っ人として呼ばれ日本に来た選手がいるくらいだから、レベル的には高くはなるなって、そこで思いました。実際、『日本でプレーしたい』って言っていたバルガスは今年BCリーグに来て、オリンピックにも出ていますから」
バルガスはオリンピックでは侍ジャパンを見事に抑え、現在は優勝を目指すオリックスでプレーしている。それだけの陣容を整えたスルタネスは、ポストシーズン常連の強豪チームである。このチームが、日本のプロ野球のペナントレースに入れば一体どのくらいの成績を収めるのだろう。荒波は「野球のスタイルが全く違うので」と前置きしながらもこう答えてくれた。
「日本の感じでやるとなると、Aクラスは厳しいかなと思います。バッターはたぶん結構いけると思うんですが、ピッチャーは日本の方がレベルが高いですね。向こうのピッチャーは、速さや球の強さについては、日本よりいいと思いますが、コントロールやクイックなんかの精度という面でNPBのレベルではないです」
私は、これまで10回近くメキシコで取材をしているが、投手の印象については日本と同じく軟投派が多いという印象をもっていた。しかし、荒波は現在のメキシカンリーグはパワーピッチャー全盛だと言う。
「変化球はフォークやスプリットはないので、チェンジアップばかりです。ストレートは94~97マイル(151~156キロ)ぐらいは投げて来ますよ。150キロぐらいは普通ですね。もちろん中には140キロ台前半のピッチャーもいますが。ただ日本のピッチャーとは精度が違います」
一方、打の方で言うと、メキシカンリーグは典型的な打高投低リーグだ。4割打者の出現は珍しいことではなく、規定打席数の7~8割が3割打者という印象である。その昔は、とくにメキシコ人打者については、小柄で長打力に欠けるものが多く、そのためウィンターリーグのチャンピオンの集うカリビアンシリーズでは、アメリカ人マイナーリーガーなどの「助っ人」に頼るメキシコチームは、パワーヒッターのそろうドミニカなど各国の後塵を拝することが多かった。しかし、近年は打者も大型化が進んでいるようである。
「打って勝つというリーグですね、メキシカンリーグは」
パワーピッチャーに対しフルスイングで挑む。そういうよく言えば豪快な、悪く言えば大味なリーグにスモールベースボールの国、日本から挑んだのが荒波だった。
(後編に続く)