文科副大臣 組体操の教育効果を主張 国による規制は不要
■「背中の筋を壊したが、誇らしげだった」
「ヤンキー先生」という呼び名で知られる義家弘介氏が、文部科学副大臣の立場で、組体操事故の問題について持論を展開した。
昨日(1/29)の『東京新聞』に掲載されたインタビュー記事。そこで義家副大臣は、「5~6段の組み体操で、息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった」と振り返り、「私自身がうるうるきた。組み体操はかけがえのない教育活動」と主張している。
子どもが負傷してもなお、それを美談化し、リスクを軽視して教育的意義を強調する。これまでの学校現場と同じように、副大臣もまた組体操の教育効果に重きを置くのである。
■下村前文部科学大臣の対照的な言葉
かつて「5~6段の組み体操」をめぐって、義家副大臣とは対照的な発言をした人物がいる。前文部科学大臣の下村博文氏である。
下村氏は、大臣在任中の昨年9月、記者会見において、自身の経験をもとに次のように述べている。
下村氏は、「5段とか6段」の組体操の教育的な意義について懐疑的である。
なるほど、頂点の子どもは恐怖を感じながら高いところに上り、土台の子どもは重さに耐え忍ぶ。これが体育の時間に繰り返される。ここに体育の授業として、どのような意義があるのか。国が定める学習指導要領に、「組体操」がいっさい記載されていないことも頷ける。
■国による規制は不要
義家副大臣の発言のなかで、さらに注目しなければならないのは、巨大組体操に対して文部科学省が規制をくわえることはないということである。
副大臣によるとその理由は、一つが先の発言に続くかたちで「組み体操はかけがえのない教育活動で、悪いことではない。それを文科省が規制するのは違う」ということである。副大臣が期待する組体操の教育効果は、組体操を規制しない理由へとつながっている。
そしてもう一つの理由が、「教育の地方分権」である。巨大組体操の規制は各教育委員会や学校が主体的に判断することであり、国が上から指示することではないという。体育あるいは運動会の一種目にすぎないものに、国が口を出す必要はないという考えだ。
この点については、現在の文部科学大臣である馳浩氏(昨年12月1日の衆議院文部科学委員会での発言【注】)も、先述した前大臣の下村博文氏も同じ見解であり、文部科学省の動かぬスタンスである。これは重大な問題として考えねばならない。
■巨大組体操の事故を抑止するために
たしかに、各教育委員会や学校の主体性を尊重することは大切である。しかし、まさに主体性に任せてきたからこそ、組体操は巨大化を続けてきたのではなかったか。
その象徴が、八尾市立の中学校で発生した10段ピラミッドの崩壊事故であった(詳しくは「10段の組体操 崩壊の瞬間と衝撃」)。同校では、毎年事故が続き、今年度は学校内部の教員からも反対の声があがったが、結局は今年度もまた10段ピラミッドが決行された。(なお、この事故については、義家副大臣も「安全配慮を欠いていたと思う。私なら運用を見直す」と述べている。)
教育界の自浄作用には、あまり期待ができない。現時点において、実際に組体操に規制をくわえた教育委員会は、大阪市をはじめ数えるほどしかない。
文部科学省の立場として、明示的な規制ができないというのであれば、注意喚起の文書を出すだけでもいい。教育委員会や学校によっては、文部科学省のお墨付きを待っているところがある。教育委員会や学校だけでは、保護者や地域住民からの巨大組体操存続の強い要望に抵抗できないというのだ。国からの注意喚起の文書があれば、堂々と巨大組体操の終了宣言ができる。
優先すべきは、「教育効果」か、「教育委員会や学校の主体性」か、それとも「子どもの安全」か。答えはすでに出ているはずである。
【注】
昨年12月1日の衆議院文部科学委員会のなかで、初鹿明博(維新の党)議員の質問に答えるかたちで、組体操事故について発言している。ただし、組体操の教育的意義については明確な言及がない。
※本文中の写真は、「写真素材 足成」の素材を利用した。