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ショーン・コネリー:ボンドを嫌い、スコットランド独立を支持した映画界の伝説

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 ジェームズ・ボンド役で世界中に愛された俳優ショーン・コネリーが亡くなった。90歳。息子ジェイソン・コネリーによると、バハマの自宅で、家族に見守られて息を引き取ったという。

 本名はトーマス・ショーン・コネリー。身長188cm。1930年8月25日、エジンバラに生まれた。父はゴム工場に勤務、母は清掃員。子供の頃は牛乳配達のアルバイトをし、一時はイギリスの軍隊に入ったが、身体上の理由で除隊になる。以後は、トラックの運転、日雇い労働、ライフガードなどの仕事で日銭を稼いだ。俳優になるきっかけは、エジンバラの劇場で、舞台裏の仕事をもらったことから訪れる。役者たちのやっていることを見て演技に興味を覚えたコネリーは、まもなく「南太平洋」で小さな役を得た。マイケル・ケインと出会い、生涯の友情を築くのもこの頃である。

 その後、エージェントを得たことで、テレビや映画への道が拓ける。「007/ドクター・ノオ」に主演したのは、32歳の時。コネリーを押したのは、プロデューサーのアルバート・ブロッコリの妻デイナだと言われる。原作者イアン・フレミングは、最初、コネリーのキャスティングに不満だったが、映画を見て気持ちが変わり、その後の小説では、ボンドにはスコットランドの血が混じっていると書いている。

「ドクター・ノオ」への評価は分かれたものの、興行成績が良く、観客からファンレターが殺到したことから続編が作られ、コネリーは「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」「サンダーボール作戦」「007は二度死ぬ」に主演することに。しかし、その間、コネリーはこの役への不満を募らせていたようで、ケインは「その頃、親しい人たちは、彼の前でボンドの話を持ち出さないようにしていた。もっと上手い俳優なのに、彼にはすっかりジェームズ・ボンドのイメージが付いてしまったのだ。街を歩いていて、人に『あ、ジェームズ・ボンドだ』と言われるのが、彼はとりわけ嫌だったようだ」と語っている。

「007は二度死ぬ」(amazon.com)
「007は二度死ぬ」(amazon.com)

「007は二度死ぬ」の後、ボンド役はオーストラリア出身のジョージ・レーゼンビーにわたる。だが、評判は悪く、彼のボンド映画は「女王陛下の007」1本で終了。再びコネリーに声がかかって、彼は「ダイヤモンドは永遠に」「ネバーセイ・ネバーアゲイン」の2本に主演した。その次の「死ぬのは奴らだ」で、無名時代からの友人ロジャー・ムーアにバトンタッチ。それぞれの世代がボンドを演じた本数は、コネリーが7本、ムーアが7本、ティモシー・ダルトンが2本、ピアース・ブロスナンが4本、次の「ノー・タイム・トゥ・ダイ」が最後とされるダニエル・クレイグが5本である。

スコットランドの独立を強く主張

 ボンドを演じる間にも、コネリーは、「マーニー」「丘」「オリエント急行殺人事件」「ロビンとマリアン」など、さまざまな映画に出演した。中でも、ケインと共演した「王になろうとした男」は、本人の1番のお気に入りだという。ボンド卒業後は「アンタッチャブル」で、初めてかつ唯一のオスカーを手にする。その翌年には、59歳にして「People」誌の「今も生きる最もセクシーな男」に選ばれた。

 その後は、「薔薇の名前」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「レッド・オクトーバーを追え!」「ロビン・フッド」「ザ・ロック」、日本企業のアメリカ進出をテーマにした「ライジング・サン」などに出演。2000年には、イギリス女王エリザベス2世からナイトの称号を授与された。人気のほどは変わらないにもかかわらず、「リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い」をもって、72歳にして俳優業を引退。ただし、9年後に、アニメ映画「Guardian of the Highlands」(日本未公開)で声の出演をしている。

 私生活では、1962年にオーストラリア女優ダイアン・シレントと結婚。ひとり息子ジェイソンを授かるも、1973年に離婚した。1975年にフランス人の画家ミシェリン・ロクブルンと再婚し、死ぬまで添い遂げている。バハマに住んだのは、税金が安いのも理由だったようだ。しかし、スコットランドへの愛を忘れることはなく、遠く離れていても、海外からの政党への寄付が禁止されるまで、スコットランドの独立を実現させるべく、スコットランド国民党に頻繁に寄付をしていた。スコットランドの独立を訴えてきたスコットランド自治政府首相ニコラ・スタージョンは、コネリーの訃報を受けて、「今朝、サー・ショーン・コネリーが亡くなったと聞き、悲しみに浸っています。この国は、今日、最愛の息子を亡くしました」「エジンバラの労働者階級に生まれたショーンは、才能と努力によって国際的映画スター、最も多くの功績を残した俳優となりました」「彼はジェームズ・ボンド役で最も知られていますが、それ以外にも幅広い役をこなしています。彼は世界の伝説。しかし、何よりもまず彼は、誇り高く、愛国心あふれるスコットランド人でした」「ショーンは人生でずっとスコットランドの独立を求めてきました。同じことを信じる人たちは、彼に感謝をしてやみません」「ショーンとお知り合いになれたのは光栄でした。最後にお話をした時、体は弱っていましたが、声や精神、彼の情熱は前のままでした。彼のことが恋しいです。スコットランドは彼を恋しく思っています。世界も、彼を恋しがっています」と、数本にわたってツイートしている。

 ご冥福を心よりお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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