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映画の“バラエティ化”の果てに生まれた『プロレスキャノンボール』という青春映画

てれびのスキマライター。テレビっ子
『劇場版プロレスキャノンボール2014』

近年、日本の映画界にひとつの潮流ができているのではないだろうか。

それが、映画の“バラエティ番組化”である。

一昔前まで日本の映画館では「静かに」映画を観るのが、マナーとされていた。極端に言えばコメディ映画でさえ、極力笑い声を抑えて観るといった、それこそ笑えない光景まであった。

だが、昨今は「映画館で大勢で笑う」ということに主眼を置いた作品が作られてきている。

たとえばテレビ番組『ゴッドタン』の人気企画「キス我慢選手権」を映画化した『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』や、その第2弾。同じくバラエティ番組の映画化の『サラリーマンNEO劇場版(笑)』、『バカリズム THE MOVIE』、『ゲームセンターCX』もある。少しタイプは異なるが現在公開中の『テラスハウス』もそうだろう。

これらは、テレビのバラエティ番組の文脈をそのまま活かしながら、「劇場で一緒に笑う」ことを前提に作られている。思えばそれは本来的な映画の楽しみ方のはずだ。テレビバラエティから派生し、半ば強引に映画化された作品が、実は映画体験の原点を復活させていると言えるのではないだろうか。

一方、テレビのバラエティ番組以外からもその潮流はある。

たとえばカンパニー松尾監督の『劇場版 テレクラキャノンボール2013』だ。97年から始まった企画モノのAVとして始まったシリーズが5作目で劇場用作品として編集されて公開されたのだ。この作品もまた「劇場で一緒に笑う」作品である。また「AVを映画館で大勢の人と観る」というのも画期的だった。

また、「タイタンシネマライブ」のようなお笑いライブがライブビューイングで上映される、というような試みもある。

映画館はいわゆる“映画”を観るだけのものではなくなったのだ。

そんな中で作られたのが、プロレス団体「DDT」のマッスル坂井が監督した『劇場版プロレスキャノンボール2014』である。タイトル通り、『テレクラキャノンボール』のオマージュだ。

元々、ライブビューイングの会社から「プロレスのライブビューイングをやってほしい」と「DDT」に持ち込まれたのが企画の始まりだったという。DDTの社長・高木三四郎は、「どうせやるなら映画館でしかやれない作品をやろう」とマッスル坂井に「前にやった『プロレスキャノンボール』をやれ!」と白羽の矢を立てたのだ。実は、マッスル坂井は『テレクラキャノンボール』が劇場公開される前の2009年、すでにこのAV企画をオマージュしたテレビ番組『プロレスキャノンボール2009』(サムライTV)を制作しているのだ。

「プロレスのバックステージを切り取ったドキュメンタリーよりも、こういう企画のほうがプロレスの本質を炙り出せるんじゃないか」と考えた坂井は「2時間の映画全体で一つのプロレスの試合として見られるように」(『TV Bros.』2月21日号)意識して編集した。

その編集で「群像劇の見せ方」として参考にしたのがバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』だったという。

プロレスとテレビバラエティとAV。

いずれも日本でガラパゴス的な独自進化をしてきたジャンルが出会い、交錯することで、誰も見たことがないまったく新しい、けれど、「映画」としか言えない作品を作り上げたのだ。

『劇場版プロレスキャノンボール2014』はひたすら笑える青春群像劇でもある。だからプロレスの知識がまったくなくても楽しめる。

“結果的に”この映画の主人公になったのは大家健。プロレスファン以外には、いやプロレスファンでさえも、知られている有名選手ではない。だが、間違いなくこの映画で大家は主役のひとりだった。

大家はプロレス団体「闘龍門」に入門するも、デビューが出来ないまま退団。その後、「DDT」に入門し、デビューを果たした。何度となくリングネームやキャラを変えたが、リストラマッチで敗れ引退。そのご復帰するも、また引退。その間、女性問題など様々なことを理由に長短問わず失踪を繰り返している。その後、「DDT」の別ブランド団体「ユニオンプロレス」に参加。が、ここも退団。そして2013年、高木三四郎から促され「ガンバレ☆プロレス」を旗揚げした。

要するに「ダメレスラー」「ダメ人間」の烙印を押されてしまうような存在である。

『プロレスキャノンボール』は2泊3日で4チームが東北を目指しながら、得点を競うレースを描いたものだ。ルールはゴールに早く到着したかを競うRUNステージと、その道中で「試合成立」すると5ポイント、その勝敗によって加点され、さらに「流血(1P)」「マスク剥ぎ(2P)」「週プロ名鑑20014掲載選手(1P)」「相手に『一番強かった』と言わせる(1P)」などのボーナスポイントが設定されている。

元々は3チームで行う予定だったこのレースに自費で「ガンプロ」チームとして参加をしたのが大家だった。

初日のレースで大家は得点を稼ぎまくる。細かな得点を稼ごうと思えば稼げてしまうのが、このレースの欠点であり、“肝”でもある。

他のチームがあえて遠回りをしてでも、観客があっと驚くような相手と試合を成立させたり、ドラマ性のあることをしている中で、大家はレースの勝ちにこだわって「見てる人がわからないドラマ」で満足している。

その姿を見て、レースにも参加している高木三四郎たちは「画として見せるのがもっとあるんじゃないの? 仕切りがむちゃくちゃだよ」と痛烈なダメ出しをするのだ。

プロレスでもっとも大事なのは勝ち負けではない。

いかに観客の心を動かせるか、だ。

単なるレースではない、人間ドラマを見せなければ意味が無い。それは映画でももちろん同じだ。

ここから大家の「物語」が始まっていくのだ。

何をやっても空回りし続け、なんで上手くいかないかも分からず間違い続ける大家。ついには理解不能のある奇行にまで及ぶ。

そんな懸命に迷走する無様な姿を果たして自分たちは笑えるだろうか。

いや、声を上げて笑ってしまうのだけど。笑っているうちに、なんだかたまらなくなって何の涙か分からない涙が流れてきてしまうのだ。

これは、上手くいかず迷いながら生きているダメな僕らのための映画なのだ。

「物語」の終盤、大家はある挑戦をするかどうか迫られる。「やる気は、あります…」とできなかった時の言い訳を考え、口ごもる大家に鈴木みのるが問い詰める。

「できるか、できないかじゃない。やるか、やらねぇかだ!」

その問いは僕らへの問いでもある。

この映画の完成作品を観て鈴木みのるは言った。

「一番何もできなくてカッコ悪いヤツの涙がすべて持っていくっていうのがプロレス」

出典:『KAMINOGE』Vol.39

強くてカッコいい男だけではない。カッコ悪くてダメな男が主役になれるのがプロレスだ。

だから『プロレスキャノンボール』はプロレスをまったく知らなくても劇場で一緒に大笑いして泣ける青春映画であるのと同時に、紛れもなく「プロレス」映画なのだ。

※なお、『劇場版プロレスキャノンボール2014』は今後も追加上映等が予定されています。

詳細は、公式HP http://liveviewing.jp/contents/ddt/ を!

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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