4月13日は「喫茶店の日」。喫茶王国・名古屋の最新事情を探る
4月13日は「喫茶店の日」。今から130年前の明治21(1888)年、東京・上野に日本初の本格的喫茶店「可否茶館」がオープンした日と伝えられます(読み方は「かひさかん」「かひちゃかん」など諸説あり)。
喫茶店といえば名古屋です。“喫茶店王国”とも称され、店の数も市民の利用金額も全国トップクラス。コーヒーを頼むとトーストやゆで卵が無料でついてくるモーニングサービスは、旅行者らが楽しみにしている名古屋名物のひとつにも数えられます。ピーナッツなどがこれまた無料でつくおつまみのサービス、小倉トーストや鉄板スパゲティといった喫茶店発祥のご当地メニューも親しまれています。
現在、名古屋を中心とする愛知県には8400件以上の喫茶店があり、人口1人あたりの店舗数は全国3位(1位高知県、2位岐阜県 ※平成26年総務省統計局調べ 以下データ同)。店数が多いのもさることながら、突出しているのは喫茶店に使う金額の多さ。名古屋市とお隣・岐阜県の岐阜市が長年にわたってツートップでそれぞれ年間1万4000円前後。全国平均の5000円台を大きく引き離しています。
面白いことに、ではさぞコーヒーが好きなのだろうと思いきや、コーヒーの消費額は愛知県は47都道府県中23位(平成28年)。これでも順位は上がった方で、過去には後ろから数えた方が早いという年もありました。つまり、名古屋人はコーヒー好きなのではなく、あくまで喫茶店が好きなのです。
これを証明するのが利用する動機や客層の幅広さです。名古屋ではビジネスマンの打ち合わせ、若者のデート、主婦の井戸端会議、ファミリーの団らん、シニアの憩いと、あらゆる世代が多様なニーズで喫茶店を活用します。多くの名古屋市民、愛知県民にとって、喫茶店は生活の一部にとけ込んでいるのです。
今日から使える名古屋喫茶うんちく~その1 モーニングの発祥は?
モーニングサービスの発祥には諸説があります。
最も有力なのは名古屋にほど近い一宮市発祥説。一宮は戦後、繊維の街として栄えました。機織り工場はガチャガチャとやかましいため、商談する応接間代わりに重宝されたのが喫茶店でした。ひんぱんに利用してくれる常連さんに少しでも喜んでもらおうと、昭和30年代にはコーヒーにピーナッツやゆで玉子を付けるサービスが生まれたと伝えられています。名古屋には当時日本3大繊維街と呼ばれた長者町繊維問屋街があり、一宮の業者の行き来も盛んだったことから、一宮発祥のモーニングサービスが名古屋にも広まった、と推察されます。
また同じく愛知県内の豊橋市でも、時をほぼ同じくしてモーニングサービスが生まれました。こちらは駅前の繁華街にある喫茶店が、夜勤明けの水商売の人たちの朝食代わりにトーストなどをつけたのが始まりだそうです。
今日から使える名古屋喫茶うんちく~その2 おつまみに歴史アリ!
モーニングと並ぶ名古屋喫茶特有のおまけサービスがおつまみです。ドリンクを頼むと自動的にピーナッツなどが付いてきます。
これは発祥が明らかで、昭和36年に名古屋のヨコイピーナッツが発案しました。きっかけはピーナッツの薄皮を自動的にむく機械の開発。これによりピーナッツメーカーの生産力がアップし、新たな市場の開拓が見込まれました。そこで目を付けた先が当時、出店ラッシュだった喫茶店。差別化の一環として店に提案したところ、苦味が強い名古屋のコーヒーにピーナッツの塩気がほどよくマッチすることもあり、一気に広まりました。大半の店が採用したため、結果として差別化にならなかったというオチまでついています。
また、当初はピーナッツメーカーが一斗缶で喫茶店に納入し、店主が小皿に盛って提供していたそう。しかし、現在のおつまみはほとんど小袋入りです。これは昭和50年代のデリバリーサービスの流行がきっかけ。当時、多くの喫茶店が近隣企業にコーヒーの出前をするようになりました。これにピーナッツの小皿をいちいちつけるのは面倒だと、小袋入りが誕生しました。小袋入りは若干割高なのですが、管理しやすいことから各店がこぞって採用。加えて、店主が一人前ずつ盛る従来のやり方だと、「もうちょっとおまけしてちょ」とおまけのおまけを要求する常連もいたそうで、こうしたわずらわしさを解消できることも小袋おつまみ普及の要因となったようです。
最新名古屋喫茶事情~その1 ポスト・コメダはロースター系喫茶(!?)
名古屋の最新の喫茶店事情にも目を向けていきましょう。名古屋ではこのところ、最新トレンドの郊外大型店、そして古き良き個人経営の喫茶店の双方で新たな動きが胎動しつつあります。
喫茶店は昭和50年代まで個人経営の店が主流で、その後セルフサービスのカフェがチェーン化を推し進め、近年はテーブルサービス式の郊外大型店が市場をけん引しています。この3つ目の流れを決定づけたのが、名古屋発の「コメダ珈琲店」であることはいうまでもありません。
郊外大型店で活発なのがロースター系喫茶店の出店です。ロースターとはコーヒー豆の焙煎業者のこと。関東ではキーコーヒー、関西ではUCC上島珈琲と大手2社が断然強いのですが、名古屋では地元の中堅ロースターが群雄割拠しています。ロースターは単に喫茶店に豆を卸すだけではなく、開業支援や経営指南といったコンサルティング業務も担い、地元ロースターがきめ細かく喫茶店をバックアップしてきたことが、名古屋の喫茶文化の発展を後ろ支えしてきました。
ロースターはアンテナショップとして自前の喫茶店を持つことが多く、近年はここでも郊外大型化が顕著になっています。主だったブランドでは「ダフネ珈琲館」(ダフネ)、「CAZAN」(マウンテンコーヒー)、「季楽」(ワダコーヒー)、「珈琲 遇暖(ぐうたん)」(イトウコーヒー)などがあり、昭和23年創業の富士コーヒーの「珈琲元年」も新たな注目株のひとつです。
コメダという強力なトップランナーが先行する名古屋の喫茶シーンにおいて、「ロースターですから差別化の一番のポイントは当然、コーヒーのおいしさです」と塩澤彰規社長。「珈琲元年」ではコーヒーをハンドドリップで抽出し、デザインカプチーノもあり。「100席クラスの大型店で、手間と技術を要するこの2つの要素を取り入れている店は他にないはず」といいます。
現在は名古屋市中川区と愛知県清須市の直営2店舗ですが、今秋から来春にかけてFC出店の計画が進んでいるそう。FC展開においても、長年開業支援を行ってきた実績が活かせるといいます。
王者・コメダの独走に待ったをかけるのは、名古屋の喫茶文化を支えてきたロースターかもしれません。
最新名古屋喫茶事情~その2 名古屋最古の老舗が再生 「喫茶まつば」
一方で、長く愛されてきた老舗喫茶が理想的な形で事業継承されるケースも現れています。
「喫茶まつば」は昭和8年創業の現存する名古屋最古の喫茶店。名古屋名物、小倉トースト発祥店の正当な継承店でもあります。この歴史ある店が昨年12月にリニューアル。内外装は完全に様変わりしましたが、ほっと落ち着く街の喫茶店らしさは受け継がれています。
3代目マスターとして店に立つのは舟橋和孝さん。長年、名古屋のロースターで経験を積み、50歳になったのを機に満を持して家業を継ぐことにしました。
「学校を卒業して実家を継ぐための修行としてロースターに就職しました。時代の流れによる個人経営の喫茶店の厳しさも身に染みて分かっていましたが、やるなら今しかない、と会社を辞め、古くなっていた店も思い切って改装しました」(舟橋さん)。
扉を開けて真っ先に目に飛び込んでくるのは真新しい焙煎機。ロースターで培った経験と技術を活かして、多彩な味わいのコーヒーを用意しています。2代目の享さん・多美子さん夫妻も揃ってカウンターに立っているのも、以前からのお客には安心感があります。新設されたテラス席では若いママグループがおしゃべりを楽しみ、カウンターでは何十年と通っている街の古老がコーヒーをすする、新旧のお客がそれぞれくつろぐ様子も懐の深い喫茶店らしい風景です。
最新名古屋喫茶事情~その3 インスタ女子も魅了する「喫茶ライオン」
4月1日にリニューアルオープンしたのは昭和33年創業の「喫茶ライオン」。こちらも切り盛りするのは3代目にあたる北林三奈さんです。
「昔からの雰囲気を守ることを第一に、手を加えるのは老朽化していた箇所の修繕など最小限にとどめました。でも、奥の個室だったスペースを中庭にするなど風と光をとり入れる工夫も。お客さんの反応は、“全然変わらないね”と“ずい分変わったね”とに分かれます」
北林さんがこの店のママになったのは8年前。マスターだった叔父が病気で倒れたのがきっかけでした。跡を継ぐという強い意志がもともとあったわけではないそうですが、「店の上にある自宅に結婚するまで住んでいて、学生時代もバイトで手伝っていたので、ごく自然な成り行きで私がやることになったんです」といいます。
それでもここ2年ほどはこのまま続けるべきか悩む毎日だったそう。「辞める、続ける、それぞれのメリットとデメリットを考え抜いて、やっぱりたくさんの人が愛してくれているこの店を守っていこうと決断しました。リフォームしたことで“この店でやっていくんだ”という覚悟がようやくできた気がします」。
最近はレトロな雰囲気を求めて東京など遠方からわざわざやって来る若いお客さんも少なくないとのこと。60年にわたって守られ熟成されてきた空間は、インスタ女子も魅了しているようです。
と、新旧それぞれ魅力のある喫茶店が存在感を示している名古屋。「喫茶店の日」に限らず、足を運んで心おだやかになるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
(写真はすべて筆者撮影)