稲葉篤紀が見上げたイ・スンヨプの白球 金への思いと悔しい思い[日本×韓国・北京五輪野球振り返り 3]
7月に開催が予定されている東京オリンピック(五輪)で、2008年の北京大会を最後に競技種目から外れた野球が3大会ぶりに復活する。本欄では13年前、金メダルを獲得した韓国代表の全9試合を現地観戦した筆者が、北京五輪を振り返る(その3)。
(その2 李大浩にバント、岩瀬(元中日)に左の代打 当たった韓国の采配)
(その1 G.G.佐藤だけじゃない 韓国もエラーを連発。その原因は?)
稲葉監督の言葉で思い出すあの瞬間
「オリンピックの借りは、オリンピックで返す」
6月16日、東京五輪の野球日本代表内定選手発表会見の冒頭、侍ジャパントップチームを率いる稲葉篤紀監督は、就任以来繰り返している言葉を発した。それを聞くと13年前の夏の日、青空に舞い上がった白球を思い出す。
2008年8月22日、北京五輪野球の準決勝、韓国-日本戦は6-2で韓国が勝利。韓国のメダル獲得(金または銀)が確定し、敗れた日本は銅メダル獲得がかかった3位決定戦にまわった。勝敗を分けたのはイ・スンヨプ(巨人)のひと振りだった。
不振が続いた「国民的英雄」
「おい、22打数3安打、どうした」
鳴り物のない北京の球場に韓国語の野次が響いた。「国民的英雄」、「アジアの大砲」のイ・スンヨプは大会期間中、不振が続いていた。予選7試合のうち6戦に出場し、結果は野次の通り。打率1割3分6厘だった。その声はイ・スンヨプにも届いていた。
北京五輪ではベンチ入りできるコーチが3人のみ。一塁コーチは選手が交代で務め、予選のキューバ戦の8回にはイ・スンヨプもコーチスボックスに立った。その際イ・スンヨプは、観客が他選手に向けた声に反応。スタンドに向かって「打者が集中できるようにして欲しい」と頭を下げた。大打者は雑音にナーバスになっていた。
予選を7戦全勝で終え、勢いに乗る韓国。一方で主砲に飛ぶ厳しい声。しかしキム・ギョンムン監督は準決勝でもイ・スンヨプを4番から外すことはしなかった。
まさかの一発が稲葉の頭上を越える
予選に続き、2度目の日韓戦となった準決勝。イ・スンヨプは1打席目、先発の杉内俊哉(ソフトバンク)に空振り三振。2打席目はセカンドゴロ併殺打、3打席目も3番手の成瀬善久(千葉ロッテ)から空振り三振を喫した。バランスを崩し、外角への変化球に対応できず、とても打てそうな雰囲気はなかった。
2-2で迎えた8回裏・韓国の攻撃。1死一塁でイ・スンヨプがこの日4度目の打席に入った。日本のマウンドには5番手の岩瀬仁紀(中日)。予選での両者の対戦は空振り三振だった。
カウント1-2と岩瀬が追い込んだ5球目、イ・スンヨプは内角ひざ元の直球を振り抜く。すると打球は大きな放物線を描いてライトへ。打球を追った右翼手の稲葉篤紀(日本ハム)はフェンス際ぎりぎりまで足を進め、左手はフェンスに触れた。しかし打球は稲葉の頭上を大きく越えてスタンドイン。稲葉は打球が見えなくなると、見上げた目を下ろし正面を向いた。
その視線の先では、悩める主砲のまさかの一発に、韓国ベンチが沸き上がっていた。
勝利への思い、悔しい思い
イ・スンヨプの2ランで4-2とした韓国は、さらに2点を加えて6-2として8回裏を終了。9回表の守りは最後の打者をライトフライに打ち取り、韓国が勝利した。打球をつかんだイ・ヨンギュはグラブと左手を合わせ、拝むようにして芝生の上にひざをつき、しばらく動かなかった。
試合後、日本代表の主将、宮本慎也(ヤクルト)はこうコメントしている。
「金メダルへの思いの強いところが金メダルを取ると信じてきた」。そしてゲームセットの瞬間、ライトのイ・ヨンギュがグラウンドにうずくまる姿に、「あれを見て、向こうの方がすごく強い思いがあったんだなあと思った」と話した。
思いの強さ。
あれから13年が経ち、東京五輪で日本代表を率いる稲葉監督は会見でこう語った。
「北京で悔しい思いをしてから(五輪で)野球競技がなくなり、復活する東京五輪で監督をやらせてもらえるという、私の中で最大のチャンスをいただいた。悔しい思いは個人的ではあるが、もう一度金メダル獲得をしっかり目指していきたい」
前回の勝者と敗者、今度はどちらの思いが勝るか。
⇒ 東京オリンピック野球競技 概要・日程と韓国代表一覧(ストライク・ゾーン)